ミャンマーと日本のサッカーの話

2019年9月23日(月)

今月10日に日本とミャンマーの 2022年ワールドカップ予選試合が ヤンゴンで行われました。試合は日本2点・ミャンマー0点で、さすがに日本が勝ちました。
ミャンマーではサッカーがとても人気があります。当日も大勢のミャンマー人は応援に行きましたし、ニュースでも大きく記載されました。ミャンマーサッカーチームは未だ未だ弱いですが、将来少しずつ能力が上達するよう頑張っております。
サッカー試合の終わった後、SNSである話が流行っていました。それは ある応援者日本人グループが 一人のミャンマー人に対する感謝の気持ちを表した文章を書いたポスターを振りながら 応援したからです。そのポスターには「日本のサッカー世界に大きな影響を与えたKyaw Din様と母国ミャンマーをいつも感謝しています。」と書かれていました。
Kyaw Din様とは ミャンマーでは誰も知らないので、誰かなと思いました。SNSで書かれたKyaw Din様の来歴は次の通りです。
「Kyaw Din様とは今からおよそ100年前の1920年ごろ、日本人にサッカーを指導したミャンマー人です。1900年6月ビルマに生まれた彼は、日本の東京高等工業学校に留学します。当時イギリスの統治下だったビルマで、幼少期からサッカーに親しんでいた彼は、その経験をもとに日本の学生たちにサッカーを指導しました。彼の教えを受けた学生たちは大会で優秀な成績をおさめ、その評判を聞いた色々な学校が、彼に指導を依頼しました。
 1923年日本で関東大震災という非常に大きな地震がおこりました。
この地震により彼の留学していた東京高等工業学校の校舎(こうしゃ)は倒壊(とうかい)してしまい、授業が受けられなくなってしまいます。
 この機会に彼は、日本全国でサッカーを教えて周ります。パスやキックなどの基礎、パスをつないで攻めるShort passing Tacticsまで、実技と理論を指導しました。
その結果、日本サッカーの技術力は向上することになります。
また、『How to play association football』という指導書を英文で執筆し、1923年に日本人の教え子の協力により、日本語版を出版しました。
 1924年彼はビルマへと帰国しますが、残念ながらその後の消息は不明のままです。
それから80年ほどの歳月が流れます。
 2007年日本サッカー協会は、Kyaw Din氏を日本サッカー殿堂に選出します。
 日本にサッカーが伝わってから、およそ150年の歴史の中でサッカー殿堂に選ばれた人物は77人。
 そのうち日本人以外の外国人は6名です。
そのなかでただひとりのアジア人がKyaw Dinさんなのです。」
ミャンマー人はその話を聞いてこんな優秀なミャンマー人が昔いたことにびっくりしました。日本人の感謝の気持ちについても感動しました。今回のサッカー試合では負けましたが、ミャンマー人は能力が無いことがありません。軍事政権のせいで教育やスポーツ分野は無視されて悪化になったからです。現在アウンサンスーチー氏も教育・スポーツ分野に力を入れて頑張っています。将来ミャンマーで優秀な選手たちが登場すると信じています。

筆者:Ms. Chu Khet Khine

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