ベトナムの有力紙が報じていたのは、ベトナムの高校生が学校からの帰り道に残り物や金属くずを集めて家族を養う、との記事を写真入りで掲載していた。
これは年部メコンデルタ・カマウ省に住むある11年生(日本であれば高校生2年生)を取材したものだが、毎日の自転車通学の折に、食べ残しの容器とか金属くずを袋に入れ集めて回収しているという。
彼の住む住宅街からナムカン地区へ5キロを自転車で通っており、彼の行動と実践している行為に称賛が集まっているとあります。
因みにこのナムカンという地、国道一号線の最南端の起点。随分前に行った事とはあるけれど、特に何があるというものではなく当時は地道。だが最近TVの画像を見ると随分発展した感がある。ベトナムは急成長のど真ん中にあって留まることを知らない。都会では超高層ビルが林立し、ハノイにHCM市では地下鉄が開業し公共交通がこれから発展しようとしている。また市民の日々の買い物は伝統的な市場から大型商業施設へ変わり、個人小売店から大企業傘下のコンビニエンス・ストアに変化、海外から先端の流行ものや高級品が入るしアミューズメント性も高くなり、生活の質は格段に良くなりました。
しかし、HCM市であっても家庭から排出されるゴミはようやく分別が始まったけれど、ペットボトルとか空き缶にガラス瓶は回収(個人)する業者が居て自転車で自分のエリアを回って集めている。これらは拠点があって其処に行けば古紙なども一緒に買い受けてくれる。地方から来て取り立てて資格や技術の無い人はこの様な日ゼニ稼ぎをしているとか、くじを売って生計を立てている。
この生活は一向に変わりがなく、むしろ貧富の格差は拡大する一方で、未だに一部屋(2m×2m)なんて信じられないほどの狭い部屋での生活を強いられているのが現状です。こうなると余程のことが無い限り浮かばれないと考えるけれど、それでも自らの薄い能力を鑑みた所で田舎にいるより何かの(無駄で儚い)期待感があるという訳で、都会での格差は激しいものがあると感じます。
また地方の農村部でも貧困格差は高く、地元TVではこうした品行方正で学力優秀だけれど、生活に事欠く生徒を応援する番組を放映しているが、都市部でも視聴されているほど人気があるけれど、こうした生徒に一般視聴者がTV局へ寄付をしています。テロップにはしっかりと住所とか寄付者の名前に金額が流れているほど。ドルに換算すると数千ドルを悠かに超える額、田舎から出て来て苦労した人達が地元の若者を応援したいとの純粋な気持ちと考えます。
ベトナム人は意外にこういう寄付をします。台風で被災した地域へ新聞社などに(安全だから)送るけれど、実際に同僚の出したその金額は本人の月収からしてもかなりの額であったのは驚きでした。
さて記事には、この学生Dさんは毎朝8個のコンテナを持ってきて道路沿いに住宅などから捨てられたモノを回収しているとあります。
放課後には残り物を集めて家で飼っている豚や鶏にエサをやったり、回収したペットボトルなどを売ったりしているという。こうして得たお金は彼の学校での費用の足しにするとか、家族の食費を賄えるというほど集まる。
彼の担任はD君の日課を知ってから、クラスメイトの過程から出るリサイクルできる品を貯める運動を始めたとある。今はD君の忍耐力をクラスの生徒全員が共有して各生徒が自らの生活への課題を克服する様に教えているとあります。
D君の父親は漁師をして家族を支えていたけれど、健康が悪化して働けなくなったので2人の兄弟は経済的に困窮していたのです。父親は息子が廃品の回収を毎日していて、これをお金に換えて生活をしていることに心が痛むとしているが、こういう体力を使った仕事をつづけながらも学校を続ける覚悟をしているのは立派な心構えと評価している。
またメコン特有の猿橋(カウ・キー)と呼ぶ木や竹で造られた細いトラス形の橋脚に渡した一本の棒の桁、重たい荷物を持って通るのにも慣れたという。
この橋はメコン観光に行けば現地で実際に通ることが出来るけれど、少しでもバランスを崩すと一瞬で川に落ちてしまう危険が多分にあります。
なぜこの行為が広く、全国有名紙にまで知られて取材される事になったのか。
実は昨年10月に学校の教師が偶々なのだが、校庭に泊まっている自転車には金属類などが集められ、その回収道具が積まれているのに気付き、怪訝に思っていたところ、何とD君の毎日行っているタスクと判ってTIKTOKに投稿したのです。この教師が言うのには視聴回数をと取ろうとしたのでなく、D君の行為が忍耐力に富んでおり、学校に通いながらモノを売らなければならなかった自分の子供時代を思い出し、人々が彼を理解し助けを提供したかったからと訴えたのです。
メコン地域は今でこそ道路インフラが整備され高速道路も走っているが、以前はこのカマウ省ナムカンまで行くには、HCM市から地道の一般道を通って行かねばならず2日がかりの旅。外国人が行くことなど滅多にありませんでした。
高校まで行ける若者は居たけれど、それ以上となるとなかなか進学できるものでないのは経済的貧困事情から。だが今ではメコンの各省に大学が出来ており、昔のようにメコンで唯一のカントー大学、無理をしてHCM市の大学進学など余程で裕福で能力がなければいけなかった時代からみれば随分発展したもの。
心あるベンチェ新聞の記者が居て、貧困率が高くて就学児童も多くない地域で、女性教師が夜間にそれこそ電灯が無い暗い部屋の中、学校などに行けない子供を手弁当で教えていて、これを記事にして応援したこともありました。
たまたま日本のある実業家が、メコン最深部の病院で働く医師の記事を見つけ、必要な薬品などを調達して現地に届けたことがあり同行したことがある。彼の話を聞くとかなりの貧困で母子家庭。HCM市医科大学を卒業して地元に戻って医師をしているが、親や親戚などがなけなし金を出して支援くれた恩返しであると言っていました。今とは違い、貧困ゆえにこそ恩や義理が通じたのです。
わずか20年ほど前なのだが、この様な経済状況の家庭が極めて多かった理由の一つには、戦争に負けて後に、比較的裕福に暮らしていた人とか、外国語を教えていた教師などが職をはく奪され、新体制から追放されやむなく小作人としてメコンの大地で農業に携わっていたことも考えられるのです。
こういう家庭の子弟は躾も良く、親が読み書きを教えていたし、何よりも高等教育に理解があり何とかして子供をHCM市の大学に行かせたいと頑張ったのです。この様な小作人が解放後も居たということなど外国人は知らないけれど、カンボジアでポル・ポトが行なった知識階級の追放と同じ様にも思われるが、其処まで酷くはなかった。だがメコン地域はかつてフランス軍への抵抗勢力や、反共の伝統もあってゲリラ的活動していた歴史があり、こうした知識人の職務はく奪が行われたのは違いありません。事実、日系企業に勤務するベトナム人の奥さんの父親だが、こうした被害に遭っていたという話を聞いたことがある。
家庭の貧困から高等教育が受けられないというのは能力がある若者にとっては大変辛く厳しい事で、もしかすれば人材を活かせないという国家的機会損失であると考えられます。この国でも高等教育への関心は強いけれど、それは戦争時代の親が苦労したからで、良い大学へ行き、良い会社に就職するための手段であって、学習塾とか家庭教師について学校以外で勉強している子供は極めて多いのです。日本からも大手有名進学塾が進出して高いけれど大変な人気振り。
だが真の能力開発は勉学だけではなく、何をどうすればいいか、問題解決手段とかだがどうやら知識の詰込みが主流となっており、また実験などでの理解は得られず教科書を覚えるだけ。一部の教育家からはこの様な問題が指摘されて久しいのだが、未だ以って是正されていません。
高校でもクラブ活動など無いので、専ら帰宅して勉強するか、何か儲けるために動くだけ。厳しい見方をするけれど、経験から言えるのは多くのベトナム人留学生に欠けているのが社会性に適応力。また目標達成への計画性とか自発的な創造力。これ等は課外授業や、組織での上下関係を通して得られることも多いけれど、このような経験は一定の政治的組織の中でしかありえないのです。
折角大自然の中で育ち、金には苦労するけれど心の暖かい地域と豊かな感性が得られるメコンの若者には何とか頑張って貰いたいものです。
株式会社VACコンサルティング 顧問
(IBPC大阪 ベトナムアドバイザー)
木村秀生