ベトナムへの進出リスクとは なにか?(No3)

2025年12月17日(水)

ベトナムの病院で いくつかの逸話

大手企業の知人などは年に一回、健康診断のためだけに帰国。だが殆どの現地駐在員や個人事業者はこういう機会は無く外資系の病院を利用した。治療費は高く、風邪で診察と薬を貰うだけでも自費なら100ドル程だが、何かの検査をすればそれ以上。筆者は前歯を折り5千ドル以上掛ったので、海外傷害保険は入っておくべきです。
現在では現地でも代理店があるので便利になったけれど、筆者の時分ようやく始まったばかり。さらに今は日本のクリニックや歯科などがあり、言葉も問題ないので行きつけの医院や先生と馴染みになるのがいい。
同姓同名の人っているのです。此処では日本人医師であっても漢字でカルテを書かずアルファベット。ある時、SOS病院のスタッフから話をされたが辻褄が合わない。そこでハッと気付いて年齢を確かめると遥に若い人だった。何の疑問を持たずに診察を受けるとエライことになっていました、という話です。
また大手病院では検査の都度、診察の都度、薬を貰う時、夫々に支払いが発生する。これは患者が金を払わないで帰らないようにしているからと、スタッフから聞いた事があります。此処はインターナショナルで無かったけれど、薬は何処でも3日分しかくれなかった。
筆者は現地の医院でとんでもない目に遭ったことがある。最近はようやく臓器移植も成功したニュースもあるが、中には経験のないベトナム人医師も多く、格差は激しく信頼できないのでリッチ層はタイに行く。だが筆者が地方で怪我をした時、町の外科の医師は親切で丁寧、縫うのも上手。自宅で夜10時過ぎなのに灯を照らして待っていてくれ、代金も300円しかとらなかったのです。
HCM市に戻ってから、傷口のガーゼの当て方には、日本人医師とベトナム人医師の考え方の違いがあった。ベトナム人医師はガーゼを当てない方が速く乾くと言うし、日本人医師はガーゼを当てる方が傷口は綺麗に治るという見解の相違です。インターの場合この他に韓国、アメリカ、オーストラリア、カナダなどから医師が来ていました。
ではなにがフラストレーションを解決してくれるか。筆者はカラベルホテルのジムに行っていた。当時の日本人マネージャーは知り合い、ジムの責任者とは偶然ダラット往復のバスの中で知り合った。一年500ドルで、器具は揃っていて サウナとバス、駐車は無料。ストレッチが良いようです。
裏話だが、このカラベルの土地は日本人が所有していた。ご主人の功績で何とザップ将軍が残された家族が生活に困らないようにとの配慮。誰も知ることは無いけれど、何にしても真面目に仕事していれば、誰かが観ているのです。
さらにこうした場は外国人やベトナム人の経営者が多い。良いご縁が出来れば現地での生活に仕事も上手行くことだってあり得るので、積極的に話しかけるのが良いようです。黙っていれば何も得ることはないでしょう。
また現地の日本人サークルも多く、大学校友会からテニスにゴルフなどクラブ活動しているけれど、孤独が良いとか、負担に感じる人は休地方の名所旧跡などに足を延ばすのも一案。多少の単語は覚える方が良いが、それ以上は身振り手振りが国際共通言語。何となく考えは通じるモノで、日本人はピクトグラムを発明しているので得意なのです。先ずはアクションを起こすべし。
食に関して考える 野菜不足の人は実に多いある知り合いの現法社長、日本食しか受け付けない。会社の食堂に姿はなく、昼時でさえ車でレタントン界隈の日本食レストランへ行っていました。
だが暫く彼は会社に居なかった。久しぶりに会うと、なんとタイの病院で心臓手術を受けていたと話をした。原因が食のバランスにあるとは思わないけれど偏ってはいけないし、健康診断を受けないため病気が潜むことだってある。
日本食レストランは急増して、何でもある。北海道の毛ガニからウニ、イクラ、ラーメン餃子に黒毛和牛のステーキ。だが多くの場合、揚げ物、焼き物が殆どで野菜は多くなく、知らないうちにカロリーの高い食事を摂っているが、美味しい料理の食べ過ぎは禁物。

ならば自分で料理してみればいいだけのこと。やってみると結構デキルのです。
市場や路面で野菜を売っている店にはジャガイモ、タマネギ、ニンジンの根物が定番、ダイコン、サツマイモ、サトイモにレンコンもある。葉物はキャベツにレタス、ホウレンソウ、ハクサイ、シュンギク、オクラにキュウリ、ナス、トマトなど。インゲンもカボチャあるしキノコ、豆腐に揚げもある。これだけあれば何でも出来るのです。安くてたっぷりの量がある。
ハクサイ、シュンギクにネギもあるからすき焼き、また誰もが好きな国民食、根物三兄弟が主役の肉ジャガだが、この材料でカレーも可能。ナス、インゲン、ホウレンソウなら和え物が直ぐ出来る。カボチャにサトイモの煮物、揚げと併せ煮ならナス、ダイコンとでも相性がいい。
野菜の天ぷらも可能、キャベツにキュウリとトマトでサラダが出来るが、ベトナム人は生野菜をほとんど食べないのでドレッシングを余り知らない。だけど市販のドレッシングは油分塩分が多いので、タマネギを擦って酢と醤油少々、砂糖で時分好みに合体、これを冷凍庫に入れて食べる前に野菜にかけるだけ。またお好み焼き、炊き込みご飯にバラ寿司も難しくはありません。もちろん米は日本企業が地方の耕作者に委託し、美味しい日本種米を栽培しているので、スーパーに行けば手に入る。次第に料理の腕は上が上っています。

筆者は常に創味の京風出汁、お好みソース、摺りゴマにカツオ節を何時も用意していた。カツオ節は現地でも造って売っているが血合いが多い、日本の調味料も高いけれど買えなくない。関西人は特にダシの善し悪しを気にします。
有名な九州のとびうおのだし、久原はレストランを出店していて、これを売っていた。因みに味醂は現地で日本企業が造っているし、日本酒もあります。
筆者の知人の母上様など満足に日本食を食べられなかったので、時おり弁当にして持って行ったのです。喜ばれたけれどすでに鬼籍に入られた。

・ボランティアの限界と無駄

折角の好意でも独り善がりに経済が成長、僅かここ10年ほどかと思うが、人々の暮しも豊かになって来た。超高層アパートや高級住宅地には現地の人達が暮らしている。家には海外製の家電製品が並び食生活も洋風化、車の普及率も急速に上昇。またとんでもない大金持ちも出現しているが、これは企業活動の結果で殆どの場合、本人や親族で固めていて保有する株式の配当だけで別の事業がどんどん可能になる勢い。
こうして価値増殖が止まらず、富が富を呼んで、貧富の格差は拡大する一方。
しかし底辺の暮しは良くならず旧態のまま、特に地方との格差は解消できず、HCM市では親と流れて来たストリートチルドレンが街を屯して掏りを働く。郊外の小屋に棲み、親は裸足で工事現場に行き、死んでも補償など無く僅かの金でオシマイ。子供は籤を売り、学校には行けないので団体が面倒を見ていた。
富裕層は海外へ出かけ、不動産を売った金で子供や孫を留学させるが、現地で仕事を得て経験も積んでくるし、家族を持ってしまうと母国には戻って来ない。
かつては海外での生活が憧れ。反対したが管理者の立場の人が家などの財産を処分、家族を連れて勇んで移住したけれど、文化は異なるし、言葉が出来ないので結局は皿洗いとか掃除の仕事しかなかった。僅かの期間で帰国したいとの手紙があったがもう遅い。反対にHCM市の不動産は爆あがり、株式も好調、金価格も過去最高値を記録。だが今更悩んでも仕方がない。という家族がいた。
さて草の根交流資金というのがあって、これは総領事館を通じJICAが審査。
合格した団体に交付されるのだが、これ以外にも海外青年協力隊がある。だが当初の目的を果たした感が強い国もある。事実知人が応募して赴任したけれど、既に現地ではその教育は相手国でも十分できるので、担当者からは何もしないで欲しいとキツク言われた。止めれば金が入ってこないというのが真相だった。
また民間の団体でも文具、服に菓子を持って行った時期があるけれど受け入れ側の本音は現金が良い。受け取る子供達も幾ら綺麗にしてある日本の古着でも、新品を自分で買いたい。街には海外から進出した商業施設が出来、現地で生産したファッションも売っている世の中になった。ありがた迷惑という訳です。
施設側の言いなりになってお礼の手紙を書いて送るのだが、何事も初めの感動など徐々に薄れてゆき、だんだんと要望や要求がエスカレートしてゆくのです。何も知らない人達はこれを知らずに汗水垂らし、他人にお願いしてまでせっせと搔き集めるが、喜んでくれるものだと信じている訳で聞くとアホらしくなる。
もはや物をドネイションするなんて考えは止め、もし何らかの貢献を行おうとするのなら、コトを考えるのが良い。実際に何人かの協力を得て、ある施設で英語を教える講座を持った。さらに子供の放課後の時間にアクセサリーを作り、これを買い上げて日本の協会で売ってもらった事もある。如何に能力を出せるかがヒントで、民間でも寄付の在り方を適材適所で考えるべきと考えるのです。

・日本企業とベトナム企業

100年を超える会社が約48000社ある日本。これは世界的に見て奇跡であり、現在でも操業しているから驚くべきこと。こうした老舗が何故此処まで来られたかだが、受け継いできた伝統を守りつつ、時代時代の流れを読み取りマイナーチェンジを繰り返してきたからとも云われる。仕事が粗くなるので急拡大を避けつつ本家存続のため後継ぎを迎えるとか、分家という形で暖簾分けして守ってきた技や家訓を持つ。様々な諍いもあるし、見解が違うのは世の常だが、競争というより夫々に工夫され進化してきたのに間違いなく、日本人の特性である誠実で温和、真摯に仕事に向き合う姿勢は時代を超えてきたのです。
世間や先祖への敬虔な感謝の心は日本人の精神的構造であり、世界で稀な右能が殊のほか発達、この感性があってこそ存続できたのも一因と思う。現代的に言えば崇高な理念を持ち、マーケティングにある意味CSを実践していたわけ。
戦後に出来た大企業でも同じ、日本復興のため経営者の意思や情熱が紆余曲折を乗り越えて世界に通用する巨大企業へと成長してきた。変化の速度が速すぎるにしても変革が求められるし、経済が発展して豊かになったあまり欲が薄くなって減速、退化している感は否めず、いかにして生き残るのか。
日本企業は新入社員、殊に学卒者を迎えると丁寧に社内教育を行い、これまでの社歴から醸成されてきた企業風土に染まる様に訓練される。だが即時退職、まして代行に依頼して辞めるなど論外、ブラックなら別だが自ら意思を伝えられず辛抱出来ない脆弱さ、甘ったれた人が居るのは考えさせられる。

ベトナム企業はここ数年で急速に色分けされ、歴史は浅く経験も少ないが巨万の富を持つ大企業と経営者が現れた。だが個人商店と比べ根本は全く変わらず、経営陣は親族と取り巻で固め、株式会社であっても資本と経営の分離が出来ず、また理念と戦略無き急拡大だが、次々と枝葉を広げても身内で占めている。
小さな店で奥まったところに女主人が座っている。店先で田舎の親戚の子が客に売った商品代金を渡し、主人は札束から釣銭を数えている。こんな光景が浮かぶけれど実態は変わらない。一つの企業が赤字を出せば他の企業から利益を補填するとか自ら拠出している。こんな芸当が此処では簡単にできるのかだが、充分な経営能力、哲学思想があるかと言えばそうでもなさそう。
だが小さいけれど、留学経験があり資本金以上も掛かる最新設備と先進国的な企業制度を敷いている社長もいる。こういう経営者は、能力があり謙虚な姿勢。海外企業から評価され受注できるのは、時間を経る毎に製品の出来が良くなっているからで、常に勉強熱心で不足する経験には然るべき助言を求めて改良を加え、自も弛まぬ研究をして同じ景色をみている。ベトナムに欠けている自社努力を実践しているので競合他社との格差は拡がる一方。
さらにこの国は国有企業が多い。幾度となく再編してきたけれど民間企業との格差は急激に大きくなっている。2000年前後は合弁でなければ事業が出来ずやむを得ず進出したが、相手には何もなく土地建物の現物出資だけ。殆どの持ち分は相手に在るため、経営能力など無い無為無策の連中がいる限り、戦後処理ができず設備は古いので極めて生産性は低く、付加価値などとれなかった。
国有企業から民間企業に転じることもあるが、積年の主義主張は変わらない。
国有出身の役員や管理職は積極的に事業を拡大し、扱う品目を増やそうという努力や思考が足りず成り行き任せと留学組の社長は頭を抱えていたのが印象的。
外国からの仕事は途切れないが、材料を支給されて画一的な商品の大量生産。
この国の企業が抱えている単純組立作業、即ち労働集約産業です。社長は個人の生産性を上げ、意欲を上げるためのモチベーションを試行するが、役員などは否定的。多品種少量生産で付加価値を上げて販路を開拓、なんて考えない。
こんな具合だから世界の部品供給国に成るなんておこがましい。すでに商工省はベトナムの裾野産業の立ち遅れを認めているのです。だから脱炭素社会とかグリーンビジネス、ITにAIに興味を示し、海外から半導体企業の投資を呼び込んでこの国を半導体立国にしたいという訳。
ベトナム企業は格差が大きい。西側諸国の様な製品の標準化などあり得ない。企業間格差は拡がるし、現地の人材にしてもその能力資質の優劣は現実として大きい。こういう事柄から世代交代と過渡期にあると考えているのです。

・現地採用者をどう活かすか 現地の真の実情

日本人と近い言う人も居るが、基礎と応用力に欠け個人主義的で強く理屈ぽい。
ある進出企業だが、留学経験のある社員と現地の学卒者を採用したが一目瞭然、屁理屈を捏ねる現地の連中だが実は何もできない。然し留学組、語学は元より、留学先の経済力を知っている、アルバイトなどで実践を積んでいるので明らかに呑み込みが早いという。この差は解消されず大きくなるばかりの実態もある。
これは過去にベトナムの教育に関してコラムに書いたけれど、実験や実技を伴わず課外活動もしていないのが要因。知識バカには成れるけれど、体験に拠るものではなく頭で須らく処理するため、その理屈通りにならなければ間違い。
企業活動では日々起きるアクシデントに対応できなければならず、その場で修正が必要なケースもある。現地の大卒者では臨機応変に構えられない。これは高等教育での教科や課程、講師陣に問題があり、レベルが低いと考えるべき。
現地労働者が会社に求めるのは現金であり、如何に支給される給食が美味いかだけ。帰属意識なんてサラサラなく、提供した労力に対する応分としての賃金だけが全て。会社も彼らに求めるものなど何もない、社員に教育をして何処でも通用する技術を教え一人前の職人に育てようとしない。だから伸びない。
教えた技術をネタに他社に行かれると損をするだけ。従がって鼻の差の僅かな給与の違いにも懲りず、メゲず、自分勝手な寝返りを繰り返すのだから扱いが難しい。これは日系企業に勤務する現地社員も同じ、給与を上げると言ったとたん退職届を引っ込めた程に節操、分別など無く、進歩を期待してはいけない。
日本企業の現地スタッフの給料はほぼ安定しているし、日本人スタッフは浪花節的対応を社員にすることがある。だから居心地が良いので離職率は低くなる。これが善し悪しかは見解の分かれる所だが、地場企業で社員の成長は期待薄。
人情よりもモチベーションを高める工夫を考え、仕事を如何に任せるかが課題。
仕事の能力差というより、信賞必罰で退職させることは行なわれており、厳しい処分を下したのを見た。しかもこれは女性管理者から理屈で攻めての通知で、相手に反論の機会を与えない。別の日系企業の女性統括マネージャーは厳しくして有名だが、地域担当マネージャーも女性。だが怖いけれど辞めないという。こうした厳しいけれど愛情を認めた部下も偉かったが稀有な事例がある。
日本人管理者に在りがち、次から止めてねと軽く口頭注意で済ませ、温情を掛けたにも拘わらず、多くの場合これで反省改悛する様な国民性ではありません。
日本的経営は同じ米耕作民族だから有効と思いがちだが、そうではないのです。
長い歴史の中で国境線を持つ隣国と諍い、中国に朝貢し、列強の植民地で収奪され、南北に分かれて戦争してきた。この苦節を経てやっと成長軌道に入って何年になるのか。ベトナムに赴任する前にこの国の歴史をよく読んで欲しい。
自分なりの答えが見つかればそれでいいと納得、先ずやってみることが大切。
ベトナム企業の原点は家族的とか、叱るのは人前でしてはいけないとか言う人がいるが、加えてベトナムタイムと呼ばれる時間を守らないいい加減さは不変。
だが個人的には極めてフレンドリー。メコン、ダラット、フエにニントアン省など何れの地でもホテルに泊まらず家庭に連泊。決して豊かではないけれど、別の豊かな文化が触れたのです。だから招待されれば快く受けるべし。
確かにこれまで幾度となく約束を反故、勝手に金を使われた経験をして来た。だが千差万別、中小個人でも、育った家庭でも全く違うので、一概には言えないし、留学経験が増え、グローバル化がされてかなり変化してきている。
かつて自由主義的経済やビジネスに慣れず能力差は大きかった。だが今の社会に在っては公平な評価を適切に行う人事は必定。任せるところは任せ、指示や注意を確実にしなければならない。だが信義には薄くその場限りの対応も多く感謝の気持ちなど無く平気で掌返しもある。所詮村社会が企業内にも存在し、工員や下級管理職へ村八分もある。経営側がしっかりした社内体制を造り現地社員を登用すべき。理屈が通る説得が出来なければ舐めて掛るけれど、論理や数字、経理には滅法弱い。組織的な行動は不向きだが、集団となれば一時的に結束するのは戦争で見せたのが国民的性格の一部と考えるのです。

・気になる最近々ニュースから 独り善がりの憶測だが

ハノイ発のロイター記事だが、ベトナム公安省はエネルギー、通信、建設などの分野への投資に付いて、公安の承認を義務付けるとの政令の草案を公表した。
これは当局が治安強化と共産党の絶対的権限の確保が目的で、大幅に拡大するとあるが、開発案件の多くでは限定的にしか実施されていないので公安は助言に留まっている。しかし自由主義社会では権力の介入などあり得ないことで、果たして額面通りに受け取ればいいのでしょうか。しかし省が勝手に決められる訳でなく、実際には党や政権中枢の指示である事に違いないと考えられます。
念のために現地メディアが発信するこれに関するニュースを確認したけれど、何れも書かれていなかったのは、何か裏があると疑念を持たれても仕方がない。
具体的に明らかでないが、取り沙汰されている原子力発電所、新幹線、外国が関与する通信衛星サービス、港湾などの重要インフラの安全保障上の観点から公安省の承認が必要になるとある。海外投資家が支援する案件も含まれ審査の結果、拒否も可能とされるのだから、正論であるけれど恐ろしいものを感じる。
表向きはそうであっても、これから先は外国企業や外国政府のODA援助などもその範疇に入ってくる可能性が絶対に無いとは言い切れないのが不安要素。
かつて日系企業のビル内で盗聴していた事実を聞くが、社会主義国ならではの茶飯事かも知れない。共産党はラム氏が現書記長だが元々は公安出身。以前にもあったけれど政府と公安は密接に連動しており、権力強化の手段とみて良いのではと考える。そうなると現政権でも進めている汚職撲滅どころではなく、権限が強化されるなら企業は弱い立場に置かれ、撲滅どころか賄賂攻勢は増々頻繁になり、汚職は増えて行くことが懸念される所で、然らば本末転倒になる。
これまでにも触れたけれど、省再編などで合理化を推進しているけれど、真に目指すところが何なのかよく分らない。原子力に南北新幹線計画の復活や国家の経済発展とかでなく、権力誇示と社会規制や人民統制強化への前触れなのか。
先祖返りでは無いがチョン前書記長の意思と路線を引き継いだラム氏。精力的に活動している印象は強いが、本人が直に話す訳でなく虎視眈々と何を狙うのか不気味。この様な草案では地場企業に対し公安が直接関与するとしているのに等しく経済活動を自由にできるという保証などない。常に政府の監視下に置かれるという重大な含みがあり、ここに違和感と強烈な危機感を覚えるのです。
9月にはクオン主席が訪中。ベトナム共産党と国家は一貫して中国と関係強化と発展の必要性と包括的戦略を有し、また外交政策全体に於いては最優先事項と見なし、運命共同体を構築して関係強化を行うと習近平に伝えているとある。
サン元国家主席は南部ロンアン省出身で大の知日派。彼の時代は自由経済が進むと思っており、来阪の際には講演会にも行ったが会場のロイヤルホテルは満席で日本企業の期待度は極めて高かったが、現主席、書記長は来日していない。
ラム書記長は北朝鮮労働党創建80周年記念行事のため平壌訪問が決まったと報じていたが実は18年間振り。中国は李強首相が参加したが主義主張を同じながらも急速接近中。またベトナムはこのところ親中外交に積極的で高官同士は相互に往来している。しかし北朝鮮の泣き所。金正恩総書記の母親高容姫は大阪生野区の出身、62年の夢の楽園でっち上げ事業で帰還。これでは白頭山血統の正統性が無く、世襲体系が根底から覆されるのでひた隠しにして来たが、高氏の成分が漏れると体制は崩壊する。これらの出来事は何を意味するのか。
大阪に総領事館が出来た時、日本語ができる領事が赴任した。彼の話に拠ると、最初は平壌大学で日本語を学び、苦労して早稲田にも留学していたというので通常会話は全く問題がなかった。だが同時に漏らしたのは同期で英語を学んだ外交官の方が昇進は早くて悔しかった様だが、政府は30年程前にはアメリカとの接点が発展に最も必要だと考えていた節がある。しかし今、ラム政権下では先の公安の権力が増し、反動が水面下で蠢いている様な気もしないではない。

経済を発展させるには西側諸国の企業活動を見習わなければならない。これがこの後アメリカとの戦後収拾へと進み、クリントンの初訪越に繋がり、ベト僑の帰国と二重国籍を認める、あれほど嫌っていた南軍の元将軍グエン・カオ・キの帰国を承認。サイゴンの歌姫と言われたカン・リーが22年振りに帰国、この時かつて恋人と言われたチン・コン・ソンに会ったけれども、そっけなく、ほどなく彼は病死。など、積極的にアメリカから金を持ち帰れと言わんばかりの全方位的八方美人外交の展開が顕著に始まった。今ではアメリカへの輸出がベトナムの巨額貿易黒字の源泉になっているも、トランプとの交渉では上手く擦りぬけ、彼の身内が国内で行なう開発事業をすんなり認める狡猾さが伺える。
経済が成長し地場企業も力を付け中所得国に近づいてきたけれど、東西の混乱が続く中で、さてベトナムの現政権はどういう立ち位置を採るつもりなのか。
中核人事を見れば北部出身者が占めており、この構図は変わらず権力を書記長へ集中する可能性に付いて、前頁の記事は企業監視の前哨であり、意を汲んで思い通りに動かせる公安は爪を磨いて表舞台への出番を密かに待っている筈。
経済発展を継続するため自由主義国の支援と企業の投資・進出は続けて欲しい。先端技術はこれまで書いてきた通り、自国企業だけでは開発能力など無く到底出来ない。また中国企業のベトナム進出が加速している現状だが、何と言っても原材料を中国から入れなければならない弱い立場にあることに間違いはなく、理念共有の関係を曖昧にし、二進も三進も行かなくなるのか。シタタカに渡り合うのか。これでは顔を右や、左にも向けバランスを取らなければならないが、一旦は自由な空気を吸い豊かさを享受してきた国民に、元の貧困に戻れと言えないが、似非資本主義的経済活動をこのまま続けるのか。どうも良く判らない。

株式会社VACコンサルティング 顧問
(IBPC大阪 ベトナムアドバイザー)
木村秀生