現地紙が報じるところでは、日本の小売業最大手であるイオンは2030年までにベトナムの大型スーパーや雑貨店のネットワークを8倍に増やし、100店舗に拡大する計画だとあります。
また食料品とフードコート、美容コーナーなどの一般的な商品機能を組み合わせた新しい業態のスーパーマーケットの設立を目指しているという。
これは急速にベトナムで展開するタイのセントラルの様な企業に対抗するためであり、また食料品などの小規模店舗ネットワークを全国で200店舗に拡大する計画があるとしています。
イオンはこれまで10年間で15億ドルを投資し、現在ベトナム国内でモールを含む総合店舗12店、地場スーパーであったシティーマートを含むスーパーマーケットを36店運営しており、現地責任者に言わせると日本に次いで重要な市場がベトナムであると位置付ける。
ベトナム・イオンは昨年のベトナム事業の実績は、売上高が4,92兆VND(約19億29百万ドル)で利益は2960万ドル(前年比8,6%増)だったが、これが示すのは、ベトナムは中国に次ぐ世界第二の市場であり、東南アジアでは最もパフォーマンスが高かったとある。しかし収益力はまだ低いという指摘もあります。
イオンは昨年5月にはロンアン省でメコンデルタ初となる第一号店舗を着工、クアンニン省ハロンでもモール建設を開始。中部地域ではフエ市に大型店を初オープンさせた。またタインホア省、ダナン市でも計画されているというほどHCM市やハノイという大都市圏には現在主要店舗が7カ所あり、この小売り総面積は462,000㎡にも拡大しているが、それだけでなく、地方都市での新規店舗建設に力をいれている。またハノイの南にあるハナム省でも3500万ドルを投じてショッピングモールを建設する計画で、地元当局と覚書を交わしたとあります。
ベトナムは人口が一億人を突破したが、今もなお増えており、HCM市とその周辺の省、またハノイと周辺の省・地域では都市部の拡大とともに、これまでの市域では住宅が間に合わない。そこで大手デベロッパーで大規模住宅開発が盛んに行われており、こうしたエリアでは地元住民相手の小さな伝統的小売り形態である市場(いちば)しかありません。従って生活物資など幅広く供給できる大規模小売店舗が必要になってくる訳です。
路上店や個人店で売る食料品だけでも需要を満たせない。おまけに路上店の朝は早いけれど、多くの店は昼には閉店するのです。その朝に仕入れた魚などの生鮮物は傷みが出て来るが、冷蔵庫などの設備などもちろん持っていないのだから仕方がない。
これが当たり前なのだが、開発地に住宅が開発され、其処に入居する新住民は比較的若い人が多く、時間的余裕もなく、いわゆる買い物難民になる訳です。
そこで省や地域の人民委員会は、イオンの様な外資系企業が進出することで、貿易やサービス部門の発展が期待できるし、住民の安定した雇用が創出できる。さらに地元の特産品の消費が促進されるとか、これを海外で販売、促進できるので省が潤うといった効果が出て来るため誠にありがたい訳です。
メコン地域でもHCM市にあるCOOPマートが一早く店舗の開設に力を入れていた。しかし筆者が実際に現地で利用して思うのは、外資系企業が持つ積年のマーケティング力や圧倒的な商品力はないし海外製の商品は少ない。これにアミューズメント性を組み入れたモールとなればそのノウハウなどありません。また販売戦略にも乏しく、小売業とかマーケティングを収めた社員などいない。売る方が強く、客は来るものなど、殆ど個人商店が大きくなっただけ。
また一部では外資系スーパーのPB商品を採り入れ、自社ブランドを構築してきたけれど、実際には開発力は極めて低く、アイテムは少なく相手まかせ。
さらに商品納入や新規出店に際し、地場企業にもあからさまに賄賂を要求することが罷り通っていました。そうなると価格が上がるけれど、いかにして良い商品を棚に並べて販売するとか、どのように販売を企画するとか販促するか、競合店に勝つための方策を考えない。上層部から担当者まで小売業に携わる者が企業理念などもちろん無いが、現場で必要な知識、熱意や意欲がないのです。
折角、若い従業員が日本のCOOPで研修を行なったにしてもそれで御終い。これでは伸びない。さらに企業に資金力がないのが最大の問題なのです。
イオンにはPB商品を開発する子会社A社がある。業界ではイオンの品質検査は厳しくて他社がなかなか追随できない。このA社はイオン本体がベトナムに事務所を構える前に実は進出していた。
現在は養殖魚やバナナにドラゴンフルーツなどなどベトナムで生産されたモノが日本の店舗で販売されているが、こうした先鋒を担ったけれど、PB商品を造るにはこうした早くから担当者が現地に入って、殊更努力して来た結果です。
実際にホテルで開催された説明会。これはVCCIに頼んで現地業者を集めて行なったのだが、この時の質問と言えば、資金を借りられるのか、買ってくれるか金銭に関する話に終始、企業として体の為さない小規模な業者が来ていた。自分の生産したモノを評価して欲しいとか、サンプルで持って来る、あるいはビジネスとしての要件を聞こうとする人はいなかった。それだけ熱意がなく、聞いていた筆者は唖然。当時だが、この程度の国なのかと思えて来たのです。
・道のりは険しかった
日本国内の消費市場が人口減少などで縮小、海外展開を行なうことで企業存続をかけたのだが、その海外展開の中で、現在ベトナムは利益の40%を占めるまで成長して地方にも展開。
如何にもイオンが破竹の勢いの如く現地で成功しているという風にも見えるのだが、最初から楽に此処まで来たのでは決してありませんでした。
記事にはこの10年間の投資と表現があったけれど、開発担当者とは別に店舗責任者が赴任したのはそれよりも前、2000年中頃だったか。当時イオンの現法社長N氏は奈良出身、長野県でスーパーバイザーをしていたと話していたけれど、当時彼が独りで棲んでいたのが筆者の近所7区・PMHで、買物するスーパーも同じだった。ある時用地を探しているが、出て来る物件は適地ではなかったので、何とか助けてほしいと依頼してきたのです。
この時期、地場スーパーはそれほど多くも広くもなくドングリの背比べ状態。ようやくCOOPマートがHCM市内で拡大しかけた時期であり、外資系小売業のベトナム進出は地場業者保護のため厳しく制限されていました。もちろん成長の過程にあったけれど、家庭に冷蔵庫などは少なく地場スーパーでは只でさえ少ない冷凍品の扱いが分からなく商品は解けた状態のまま放置だった。
国営デパートと呼ばれる大型店舗があったし、外資系の百貨店業態パークソンも一等地に進出したのだが暫くして撤退。だがロッテマートは一早く大型店を進出させ、映画館や家電量販店も併設して人気が出て来たころでした。
其処へイオン、だがベトナムの不動産事情が全く分からない。今でこそ地方であっても人民委員会と仲良くなって大型モールを出店できるが、当時は相手が理解できない。軍隊系のデベロッパーに良い土地情報があって先方へ連れて行くって直接説明を受けたのだが、会社案内やプレゼンの資料さえ持って来ない。
不動産協会へも行ったけれど本気で探しているのかと思われる位で、こちらが恥をかいて謝る始末。ビンユンの東急・ベカメックス開発地、此処は良いのではとB社の日本人スタッフUにも紹介。VCCIにも声をかけたのです。
日本で最大、アジアでも展開という気概は良いけれど、大企業であろうが関係ない。相手に謙虚、現地に深く人脈が無ければ情報など入ってこないのは当然。
思い余って結局は外資系開発企業の土地を借りて開店したけれど、こんな市内最大の墓場近くに人が来る筈は無い。そこで市内から無料バスを出す始末。
日本人でも無理してこんな所へは行かない。要は土地勘が無かったが、焦っていた証拠です。此処には日本でも有名な魚屋があったと云うが、暫くして撤退したと聞くではないか。その後も市内の僻地に進出したのはやむを得なかったことだが10数年経って時代も所得も大きく変わり、やっと出番が回ってきた。
株式会社VACコンサルティング 顧問
(IBPC大阪 ベトナムアドバイザー)
木村秀生