日本の小学校・幼稚園での教育方法に関して、これまでにも幾度となく賛同と敬意のコメントが出されている中国のネット。今回は日本の運動会が忘れられない思い出になったと掲載されています。
リレーやさらに勝敗に関係なく楽しめる玉入れに騎馬戦など団体競技、応援合戦があり、これは団結や集団での行動を重んじるのはまさに日本的とあります。おまけに生徒や児童が準備し上級生が審判や放送や救護と役割を担っている。
まさに日本の組織、集団活動の強さの原点。だが結果的に上意解脱にも繋がり、個人の性格が埋没される可能性は否定できません。
だが今や日本では運動会というより陸上競技大会。日曜には両親など家族がお重を作って持参し、日がな一日観戦する年中行事では無くなっている。しかも秋から春へ変更とか、学校の都合で昔に比べて規模は小さく、かなり変化しているのが実情。
地下足袋を履き、女子はブルマで元気いっぱいだった昭和の時代などもう其処には見当たりません。転んで少々傷ができても赤チン塗っとけ!ではいけない。
今は順位を付けてはいけないアホラシサと何かしら弱さを感じるが、一見優しさは養われるが、競争心が育たないのは先々危ういと感じる。
幼稚園などでは規模にもよるが午前中のわずかな時間。だが先生は準備に多忙。残業はつかないし、やることが多くて自宅でも仕事をしている。お陰で子供を預かりご飯の用意まで老々の親が大変になる秋の運動会時期です。
この記事に拠れば、中国では一部の運動神経のいい、デキル生徒のみの参加。
種目も競技大会そのもので、殆どは応援に回るとか。日本は全員が参加。速くても遅くても関係なく、殆ど個人競技で争うとある。中国では生徒の出番とか役割分担はないようです。だから自分勝手か?
またベトナムで保護者の代わりをしたことがあるけれど、一人の子が小学校から短大までの間だがこんな催しは記憶にはなく、あるのはテトやクリスマス、ハロウィンか、何かの発表会があっただけ。校外社会学習もなかったはず。
まして暑くて湿度の高いHCM市でさえ学校にプールはなく、従って水泳大会もない。マラソンなどすれば熱中症、校庭はコンクリートで塗り固めている。室内で行えるバレーなど体育はそれほどできない実態があります。こんなことでは子供の体は強くならない。やたら近視と肥満児だらけを見かける。
日本は今年オリンピックを強行、何でくそ暑い8月に。要はアメリカを意識し、放映権料の問題。前回の開催はまさに日本の急成長し初めのころ。高い澄み切った青空の下、皆が歓迎。大きな目標があり、都市改造に新幹線などの交通網整備に役立った。だが今回はそんな題目も無く、選手が完全に力を出し切れたのか?観戦の楽しみは運動会にやや通じるが、これもない。一部の外国人選手が選手村の食事は旨かった、味の素のギョーザが一番だったなど、ど~でもいいこと。最後に残ったのは借金のツケ。サッポロはもう止めましょう。
そういえば駅伝は日本発祥。物語があって面白く、必ずチャンネルをONにする。
・修学旅行は何かを変える力がある
COVID-19禍でも良い思い出を作って欲しいと修学旅行を実施する学校がある。賛否両論は当然だが、プラス効果は何時か絶対に出る切掛けになる。
いま幼稚園教諭をしている娘は、中学三年生の時に運悪く校内で骨折。担任は行けないと言うが、保健の先生は車椅子で行かせると決め生徒が協力。迷惑をかけたがこういう経験は二度と出来ない。これが進路に影響もした筈です。
韓国では日本の残滓だと決めつけ呼び方を変えるとかだが、する事が同じなのは効果を認めている証。どうでもいいけれど、生徒に先導してつまらない政治的判断を持ち込むのは間違い。嫌ならやめればいいだけのアホな話。
別の記事に中国はこの様なイベントが無く、日本の学校では特徴的な活動のひとつで羨ましいとあり、これは日本のアニメなどで知ったと言う。
自然に触れ、社会の習慣や他地域の文化を体験することに教育的な価値を見出しています。
ベトナムでもあると聞いた事はない。ある時、日本の大学生が来た際に彼らを農園とか海浜のリゾート地に連れて行った。この時、ベトナム人の知り合いの子供を連れていったのです。2段ベッドが幾つか置いてあるがほぼ雑魚寝状態。こういう集団で遠出し、宿泊する催しなど殆んどないので親は心配したけれど子供は大変喜び。違う世界を体験させるのは何処でも大切です。
誰しも小・中学、高校の修学旅行に関する記憶は何かしらあり、大学ともなれば自ら計画を立て実行。一人旅する人の多いが自分探し、無銭放浪は慎重に。
様々な理由があって旅行に行けない子供もいる。知らない土地を訪れ見聞するという経験は、本を見るだけは学べないことが多い。また時代に依って方法や行き先は変わるが自主性を育てる役目もあり、こうした行事は恐らく廃れない。
ある有名私立高校はベトナムへ修学旅行に行きます。もう20年以上前に始めたが、生徒の自主性に任せ何処へ行くかは本人次第。ある生徒は事前に歴史を調べ、外国の文化を知るため行く先に決めたのがさる身障者施設。
偶々この話を先生から聞いたが、現地事情見知ってショックを受け、帰国後にレポートを纏め、この経験をもとに進学先と決めたのが医学部。なにが人生の将来を決めるか、変えるか、分らないが、自分の置かれた豊かな境遇や立場を知り、自分が将来何をなすべきかを考える大きな切掛けになったと言います。
HCM市内には幾つかのこのような施設があり、夏休みとかに多くの大学生がネットで調べボランティアにやってくる。宿泊などはすべて自費。私も現地に在住中この施設は殆ど毎週行って一緒に手伝ったが、この時に来た一人が九州大学の学生。就職先に選んだ先はグローバルな環境で活躍したいのが目標であったため、外国人学生が大勢いるAPU。
株式会社VACコンサルティング 顧問
(IBPC大阪 ベトナムアドバイザー)
木村秀生