・神頼りではないけれど
これを書いている時は受験が始まろうとする1月中旬。大学共通入学テストが間もなく始まり53万人が受験します。
私どもが受験した当時は大学を下見に行きがてら入学案内と願書を貰いに行き、提出書類を揃えて再び出願に出向き受験票を受け取りました。
帰宅途中、友人と合格祈願に参拝。境内には全国各地から来た受験生の絵馬が掛けられ、中に合格お礼の絵馬も見受ける。霊験あらたかな神社だが日本にはこうした社寺が多く、この時節になると若い人の想いで溢れます。
だが一緒に受験した連中は確実と思われていたのに不合格。「おまえ、神さんにお賽銭ケチったからや」など周りから笑われたが、他校へ進学できたのは幸い。
切なる祈りはもはや努力し尽くした最後の砦。全てを超越した存在は心の拠り所、一心に念じる精神文化を無下に否定する必要はなくこの場景は今のネット社会でも変わりません。
・偏差値
で、この偏差値。難しい数式で出すようだが、未だに良く解らない。
我々の頃は学校ごとにそれぞれ独自の入学試験を行い、地方受験は一部可能であったが何れの大学でも所在地の近隣圏から来る学生が中心。今でも週刊誌に掲載される全国高校別合格者数。どの高校から何れの大学へ何人合格したかをみると流れは大きく変わっていません。
何故この偏差値が出て来たか。1970年代に大学進学率が急上昇、入学試験が熾烈になる中で導入されたのが発端と聞きます。
1979年に国公立大学で共通一次試験が始まった際、全国の大学ランキングを行なったとあります。しかし夫々の大学や学部が持つ特性や個性を無視し、東大を頂点とする序列を明確にしたが此処に欠陥が見られます。
因みにこれを実施したのが今年の1月に逝去した海部元首相。初入閣したのは1976年。彼は福田内閣当時の文部大臣であり、政界きっての文教政策通でエキスパートとして導入に踏み切ったとあります。
また今も開発途上国で様々に支援活動をする日本の若者。この青年海外協力隊の構想を纏め、創設に力を注いだのも若き日の自民党青年局長であった海部氏。自ら新興国に足を運び国際支援の足掛かりをつくりました。
学生時代に海外旅行へ行った事が切掛けとなって志願。アジアの新興国へ赴いた人も居る。ある時、休暇があり近隣国へ行く事が出来ると言ってHCM市の我が家に逗留。だが漏らしたのは派遣国で彼女が教える筈のコンピュータ技術は必要が無いと言われ、実は特段するが無かった。しかし日本からの支援は欲しい。こんな理由で無駄に続けている実態があると話していたが、これを公表する訳にいかない。
時が経ては何かしらや制度疲労や劣化が生じるのは普遍のことながら、現地の実情が分らない、知ろうとしない行政や担当部署。真に国際貢献しようとする青年に無礼千万な話がまかり通っている。これは何とか避けて貰いたい。
二度目に入閣した中曽根内閣は1983年に留学生10万人計画を指示、海外から学生を日本に呼ぶ事となった。その後福田首相は30万人と変更したが、当初何らかの理念や目論見はあったにしろ、無暗に人数を増やした結果、現在に至っては周知の通り様々な問題が出ています。
・序列はなくならない
さてこの偏差値に拠って中高・大学のランクが数値化。学力指標とされ志望校選定の目安になるのは便利に違いない。だが偏差値至上主義は受験産業に利用され、煽られ、食い扶持にされる可能性があり、一部の塾講師が持て囃される。
フォークソングの神様、高石ともやが歌う受験生ブルースが流行った私の世代でも模擬試験はあった。志望大学の合格可能値を記憶に留めるが、むしろ普段一緒にいた部員は何処の大学へ行ったなど、身近なアナログ媒体を参考にした方が正解。また教科担任から得意分野を指摘され、君に向いている学部は此処にあると勧められたことがある。
当時有名教授や看板学部があるとか、行きたい大学や学部・学科を志望の動機付けにすることがあったように感じる。今は残念ながら受け身の姿勢が多く、相手に即した進路指導、大学選びとは何なのでしょうか。
日本の大学進学率は2020年に54,4%となり過去最高、主要国中で14位とあります。しかしこの所、大学が増え続け格差が拡大、入学定員を割り込む所が半数以上ある。私立大学は定員充足率が100%を切り赤字の所も多いが、大学新設に学部増設、定員増。国公立も負けずに合併改組と屋上屋を重ねている。そこへ来て少子化。一応は全員が入学可能な時代になった。
とは言えそう簡単にはいかない。
昨年はCOVID-19感染の影響で都市部の大学で受験生は減少したが、今年は難関大学を中心に復活。安定志向や地元志向が薄れ大都市圏に集中、志願者は増加傾向にありこうなると偏差値重視がより顕著になる。
高いほどいい学校とされ、受験業者が奮闘していてネットを賑やかしている。
本来目安にしかならない独自開発した数値を合格80%ラインとか逃げを打ち、週刊誌もグルになり、業者毎に比較して煽るが食のランキングと変わりない。恣意的な撒き餌で洗脳、受験技術を指南(商売)するが、当りはずれもある。
この様なことが続く限り入学達成で満足し、後が続かなくなる恐れも出て来る。常識程度の漢字が読み書き出来ない、一般知識が欠如、本も読まず土に触れたことすらない学生が出来上がる。本来の適性や、やりたい事を無視して合格するための傾向と対策に没頭。行きたいより、行ける大学指南はマイナスにしかならないがまるで八卦見、腐った鰯の頭も信心から。落ちれば何とでも繕える。
幾ら入試制度を変えても表面だけで本質的な問題は変わらない。
海外経験者は一様に、日本の学生は能力があってもチャレンジ精神が弱くて、ハングリーさに欠けると判るが、豊かになれば成るほど度合いは増す。
社会に出ても、会社に入っても同じこと。所謂良いとされる大学を出ていても、能力は高いけれども自ら鎬を削ることなく、自ら考えず、計画もせず、指示待ち人間になっている社員は多いと感じます。こういう人は上意下達に逆らわず、可もなく不可もなく文句も言わない、疑義もないから素直だと気に入られる。だが何があっても辞めないでしがみ付き、そのまま定年まで勤めあげる。
本当に会社のことを考え意見を具申する人は辞めてしまう。こんな現実が日本企業で見られるのは残念、海外では百害でしかない。
株式会社VACコンサルティング 顧問
(IBPC大阪 ベトナムアドバイザー)
木村秀生