大学が変わればベトナムは発展する

2023年11月1日(水)

このほど現地のニュースに掲載されたのが先のタイトルにある記事です。
原文は回りくどくて要領を得ません。これを投稿した人物の年代は不詳だが、文面からは年配者のようで教育関係の研究職に奉職していると思われます。
恐らく彼が在籍した時代の大学への進学率は一桁。実際1980年代の調査に拠れば8%もなかった。都市部でも高校に進学できなかったし、地方では貧困と家庭の事情から小学校、中学校すら行けなかった人は多くいたと聞きます。
ではこの所はどうなのか。明確なデータは一般紙などに公表されないので不明だが、現地の大卒者に拠れば20%位かなと言う程度。従って40歳代の大卒者はごく少数なので企業ではエリートだし、省庁なら部長クラス以上にもなる。この人達の横の繋がりやコネクションは絶大で強力。現地での事業やビジネスでも、善し悪しの如何は別にして、極めて重要なのは体験してこそ分ります。
肌でも感じるのは若い人たちの海外留学が急増していること。さらにこうした卒業生が残留、就職し生活している。これは2000年初頭では考えられない事でした。さらに今は帰国して若いリーダーとなり、新しい分野に進出し起業。
語学力を生かして海外にも雄飛しているのが実態です。ベトナムが今後発展するにはこうした若い人達を活性化するべき。

連日起きている在住ベトナム人の犯罪。日本人が考えつかない程えげつない悪行の限り。少数派だろうが知る範囲、資質が確実に落ちているのは事実です。
国の将来を決めるのは能力ある若手経営者育成と、教育の質をあげるのが重要。
これに気が付かず労働輸出と称し、若者を海外に送り外貨獲得を考えるだけの政治思想では、自国が部品供給網に成る計画だと人が要るのに、何年経っても外資頼みでしかなく、未来永劫に先進国の下請けのまま。自助努力なくしては組み立て作業国でしかありません。

此の文章を読むとまさに世代交代の時期にあり、多くの変化が生じているのが実情。もはや20年前など遠い昔の出来事。然し一方で不可解な事象もある。
彼の言に拠ると当時の大学入試は死活問題で、睡眠中でさえ悩ませたのは一流大学の想像を絶するほど低い合格率。実に10人中9人が落とされるが、失敗するという選択肢はなかった。とあり、でなければ自分には暗い将来しか残されていないことを意味したので、必死の思いで勉強した当時を振り返っている。
現在は状況が逆転している。高等教育局は2023年に高校を卒業した660万人の学生のうち、約66万人が大学受験に臨み、このうち61万人が合格、実に92,7%と言う合格率という衝撃的な数字だったとある。
何処までが本当か、だがこれに関して彼の以前の経験からすれば本当に納得できない。もしかすると大学のレベルが下がり、誰でも合格できるハードルの低さになったと思われるという。と積年の恨み辛みの羅列から始まりました。

しかし乍ら一方では全く異なった事例があった。ハノイ科学技術大学でトップクラスのコンピュータ科学プログラムの試験の優秀者2名が、此の入学資格を得られなかったのです。このためベトナムの高等教育部門ではこれに付いての論争を続けているという何とも異常で馬鹿げた話。
これに似た話はごまんとある。知り合いの日本への留学者。帰国して日系企業の現法社長に大抜擢。かつて人材が少なかった時期だがこの会社も良く知っており、家にも行った。彼女はロシア語をハノイ外国語大学で学んだ。成績優秀で留学先にと決めていたが選考に漏れた。結果は親が政治に関与している人物の愚息に決まったという。これは日常茶飯だが、こうした悪習が変われるのか。
本人は奮起して日本語を学び直し、京都に留学、後に就職。ご縁にも恵まれたし、今ではむしろこれで良かったけど、人生何処でどうなるか?塞翁が馬です。

2001年、アメリカで大学の歴史専門家であるクラーク・カー氏は、大学はもはや専門家や学者の象牙の塔ではない。発展途上国は先進国との貿易に際し、生産と物流にあっては新しい世界標準に適応できる世代を迅速に生み出すため、実用的な高等教育システムを抜本的に発展させなければならない、と語ったとこの記事には書いている。
ベトナムの状況にも触れており、歴史的位置付けに拠り遅れたが、急速な変化を伴って進行しています。全ての政府の財源で運営され、2000年初頭まで大学とは純粋に学問と研究開発の場として考えられていたと考えていたとある。
多くの理由があって高等教育に対する政府の予算は減少、要は金が無いだけ。高等教育の民営化への社会的必要性が差し迫った次第です。政府は2024年の77の政令、2021年の81の政令でこれを実現しようと図ったようで、大学は独立して授業料を取ることが出来たけれども、学生の負担は増加の一方。
大学は財政状況を管理するため卒業の要件を満たす必要がある。大学は専門性の発展を望む学生、そして新卒者の受け入れを改善したい企業界を含む両方のクライアントからの期待に応える必要があると説いています。

ベトナムは国際的に繁栄するという野望を持っています。これに到達するため、質と量の両方の向上が必要とされる。特に将来の世代に投資できるだけの資産を持つ中産階級の中では、大学卒業証書が最も価値があるのです。需要が増えるに従って、必要なものを供給できる大学の能力も高くなる筈と語る。
付け加えると新卒者の向上を求める圧力の増加に直面する大学は、最適な学生を選ぶ際に独立性を持たなければならない。例えば、経営・経済に焦点を当てた大学は、英語の使用にかなり依存する世界経済に適応できるだけの英語力に強い学生を優先する必要がある。同様にコンピュータ関連プログラムではより数学スキルの持つ学生、即ち数学と体系的な思考を強く要求されるわけです。
広く多種多様な選択戦略と方法を持つことで、ベトナムの従来のテスト方法より適切な学生を惹き付けることが出来ます。だが果たして現地の実態はそうなのか。学生よりも教育を担う真の人材が欠けていることも実際にあるのです。

ある時、HCM市の若手大学教員が日本の国費留学に受かった。彼は大学に休職願を出したが不許可。上司は妬んだ、教授の学者としての能力や研究成果は極めて低い。これが真相。これでは教えられる学生の不幸はこの上ありません。
また知人の大学教授は現地の有名大学で講義した。終わってから彼にある学生が質問に来たが、日本の学生でも分かる基本。こうしたことさえ学校では教えていなかったのです。筆者は傍にいたが教学レベルの余りの低さに驚愕した。
これでは世界の大学ランキングで上位をとれるわけが無い。個人の能力は優秀であることは良く解かる。だが実力を伸ばせていない。こうした事実を分っている者に取れば、ベトナムの大学教育はそれだけ、でしかありません。
反対に海外の大学に留学し、語学も出来る。この方の講義を聞いたがよく研究されていた。格差が激し過ぎるが、さて今後どう変化するのか。むしろ大学の価値である教育理念、カリキュラム、教員の質格、これに触れて欲しかった。

彼は最後にベトナムの高い入学率は、象牙の塔から大衆化へ向かっていることを表している。大学卒業者の需要が高くなるにつれ、大学はより多くの学生に門戸を開いているが、大学に入学するより卒業する学生の質に強く重点を置いている。こうした現在の急速な変化は、学問に焦点を当てた大学の選択に慣れた世代にとって、馴染みのないことに注意するべきと考えている。
社会が変化する状況を理解するのを役立つメディア報道と、政策分析が不足しているので、教育政策の観点からどれほど重要でない議論になって行くことに繋がるのです。かれの見解では、大学に入学する92,7%の学生が否定的と受けとるべきではない。これは高等教育にアクセスしたいとする人全部の希望を尊重し、教育システムの改善の兆候。古い世代の経験で以って、後継者の未来を妨げてはならないと書いている。
とあるが大学の状況は変わった、だが大衆化と言っても粗製乱造ではいけない。
しかも高校での教育自体に未だに問題があるし、一部を取り上げたが、工業系課程でもまだ日本の工業高校、高専以下という現実もある事を認識すべきです。

株式会社VACコンサルティング 顧問
(IBPC大阪 ベトナムアドバイザー)
木村秀生