・筆者は知っている 地場企業の工場内における作業中の実態
ベトナムの民間中小企業に関する問題点を彼は挙げているのだが、これは一般的な状況としてベトナム経済や企業に精通している人には認知されていること。
民間中小企業を槍玉に挙げているけれど、地場企業が抱える問題など大手でも変わらない。経営者や労働者の資質にしても、企業の歴史自体が浅く経営力にしても先進国に比べ一般論として高いとは言えません。まして技術もないから決して生産性は高くない。2000年代、大学を出ていてもマーケティングとはモノを売るという概念が通用したほど非論理的でレベルは低かったけれど、これは教える大学側と教員の資質に問題と責任があるのです。
ベトナムは外資系企業に労働力を提供する事から出発したが、これは政府自体がその様に図ってきた。ドイモイで国を豊かにしようと中国を参考にして制定した外国投資法に基づき外資の進出が認められても、多くの制限や無理がある。
武器となったのが安価で若い労働力のみで、JV先の地場企業は土地や建物を現物出資。外国企業にすれば工業団地も賃料は低く、必要な電力に用水なども安いというのが決め手だった訳です。また現地で行なった事業は高度な技術を要するものでなく、低賃金で済む単純労働である労働集約産業、即ち組立作業では幾ら高学歴であっても国内でのみ通用するだけ。資質に優れ外国語が出来る能力が無ければ給料が良い外資系企業に勤められなかった時代でした。
役人になるなら家系や身分を調べ上げ、旧政府の関係者や軍関係に身内が居れば排除され幾ら優秀でも成れなかった。この様な人が一念発起、努力を重ねて留学、起業して後に外資企業と巡り合い成功を収めたなんてこともありました。
2000年前後、大学進学率は公表されてないが精々数%。高校進学者も特に地方は少なかった時代。国は貧しく、多くの家庭が貧困から抜け出せず、子供は進学できないどころか時には義務教育すら満足に受けられなかったのです。
ラム氏はこの様な教育面での改革、人材登用も実行できるのでしょうか。
この准教授が述べているけれど、民間企業は管理能力に欠けているとか、長期的戦略を持っていない。時代遅れの技術、管理レベル、財務能力、労働生産性、効率に競争力は低いと指摘もしている。実際に現場を見れば分かるが消費者のニーズ把握から、企画力、創造力、管理能力に欠けているのは確かなこと。
企業自体に理念、経営哲学、社是に行動規範などないが、これは社歴が浅いからで目先のことで精一杯。モノを作るだけで新製品の開発や研究はお座なり。長年事業を続けてこそ芽生えて来る企業風土など存在しないし、勤務している社員でさえ自社へのロイヤリティー、まして誇りなど持っていないお寒い状況。
賃金は少しでも多い方が良く、食費を節約してまで田舎の実家に送金するため会社の給食を腹いっぱい食べるけれど、これが美味しいか、量があるかで勤務する企業を選ぶという程の現金さ。さらに大手企業では保険料を差し引くが、体は丈夫なので取らないで欲しいと言ってくる。其処にきて管理者が居なければ目を盗むほどの集団で仕事を怠ける図太さに加え、少しでも給料が良い所があれば何の連絡もせずに会社に出てこないほどマナーがなっていません。
政府系のビジネス団体では「まだ発展途上国ですから」と自虐気味だったが、ラム氏が先ほどの様な急激な民間企業の発展を望み期待しているのであれば、忘れてはいけないのがモノ作りに対する向き合い方、気概であり謙虚な精神性とビジネスに在ってはセンスであり国際性とマナーであろうと考えます。だが事業やビジネス経験のない政府の人に理解でき、改善される可能性はあるのか。
会社側も苦労が絶えないが、こんな連中に仕事を教え、育成するなんてしたくないのでイタチごっこの繰り返し。ワーカーの業務遂行能力、仕事に取り組む意欲など伸びる訳がなく、根本的にモノを作るという仕事が分っていないので、禁止物を持ち込むとか、入室検査で引っかかることがしばしば。会社はこれを公表するが意に介せず改まることがなど無く、担当者の怒りは収まらなかった。
こんなことが工場内で日々繰り返されている有様で、筆者が受けた工業団地の工場内での仕事をする中で勤務態度やレベルの低い人を沢山見てきました。
一方で日本人が一人も居ない工場もある。現地社員とは日本とのやり取りだけ、業務の殆どを任せているが、生産管理や品質管理、製品の質には問題が無い。それ以上に自国向け製品開発の企画を行い独自に売り出して成功。現地目線が如何に大切かだが、市井の日常生活まで赴任者が理解できる訳がないのです。
また実習生を帰国させた後、現地で企業を設立して部品を製造させているが、日本在住の社長が渡越するのは年に数回だとする所も実際に複数社あります。
現地社員を採用するのは誠に難しい。殆どご縁の様な感じだと思うこともあるけれど、これは面接しても分らない。現地でも真面目にコツコツ仕事を進める人もいるし、猫の皮を被った御仁も多くいます。だから日本語が出来るからと採用するのもいけないし、何時までも昇格させず役職も与えずインセンティブも無い企業は意欲を削ぐだけ。明確な目標や達成基準を明らかにして競争力を伸ばすとか、やる気を与えて将来像が見えるなどの工夫も大事だと考えます。でなければ会社は伸びない。だが金銭だけはしかるべき立場になるまで自由にさせられない。信頼し評価しても、裏切られることは現実に多々あり、集団は形成できるが、組織になると馴染めない人も実に多いとの印象を抱いている。
近年は留学をする人が増え、先進国の事情を知り国際ビジネスも理解している。そして自国に戻って起業、人脈を活かし留学した国へ逆進出する人も出て来た。こういう人材を引き込んで将来の事業を捉え、海外へ進出する意義とは何かを見直す時期にも来ているのではと考えるのです。
・根本的な原因と課題究明をしていない
この様な状況がどうして生まれるのか。これは筆者が思う所では、国の教育を考えなければならないと考えています。
経済が発展し社会も個人も豊かになって行った。アメリカとの戦争を経験した人が少なくなり、若い人は当時の真の状況を知る由もありません。HCM市の郊外、ベトコンが居たジャングルでは当時の生活を再現し、極限状態の暮しの中で、どんなに貧しい食事をしていたのか、高齢の語り部が説明しています。
差し詰め日本ならば戦争をしてはいけないという前提だが、過酷な環境の中で如何にして勝利したかなど国威発揚的、多大な犠牲を払ったが解放闘争は素晴らしいと話されている。このように考え方の違いは体制の違いからでもあるが、セミナーを通して浮かび上がってきた様々な問題点には、もしかすると学校にもその真相を求められると思っても間違いなさそうです。
実はボランティアを通して家庭と学校生活に触れる場面が多かったし、高校の父兄会に出席する破目になった事情もあり、様々な現場情報が耳に入って来た。
なぜベトナム人の若い人の多くは目標を持っていないのか。仕事やビジネスにあっては創造性や企画力が無く、目標達成への計画性と思考に欠け、自主性は無いが勝手気儘な人が多いのか。企業経営者も理念が無く金儲けに走るだけで、社会性、文化性に低くR&Dが進まないのか。自助努力できず依頼心が強いのか。
実際に現地で事業を行っていれば、大体この様な場面にぶち当たるが、敢えて言えば国民性とか国民的資質の一面が出たといえるのかも知れません。
言い古された言葉だが、手先が器用で真面目で素朴。進出関係のセミナーとか書物に神話の様に書かれていたけれど、嘘も方便とまでは行かないが、現地で仕事をした経験や生活していなければ鵜呑みにしてしまう。まさに伝言ゲームの様に話を続け重ねれば良いイメージだけ膨み、実際とかけ離れるのです。
以前は子供の数が多く、HCM市の場合は2部制授業であった時期がある。
生徒も多くて1学級は50人を悠に超えている。先生は手が回らず勉強が出来ない者は放ったらかし。こうなると授業について行けず、学校に行かなくなる。つるんで遊ぶとか良くない道へ歩み出します。だが出来る子供はとんでもなく賢く性格も良い、将来を案じた知人の親は娘を中学から海外へ留学させた。
今はこんな状況は少なくなったけれど、日本にくる実習生の中には事件事故を起こす奴も居るのだが、日本人が思いつかないほど悪辣。多くの人はそうではなく真面目というが、幾ら恩義を受けようと、何かと世話を掛けたとしても、日本の大学や院に留学、大企業に勤務した人でさえ些かの礼儀を弁えない人が多くいるのもまた事実。後に続く同胞後輩への迷惑など考えない人は多い。
日本の様に他人に迷惑を掛けてはいけない、と教えて諭す両親は多いけれど、此処では殆どの人が一向にお構いなし。他人の振りなど見ず、親の背中を見て自制心なく自分勝手に子供が育つから、社会生活ではマナー無視が絶えない。
こういう状況は海外へ出れば即座に目に付くが、現地誌の投書欄では同胞の恥を指摘していることでも証明されており、これは別項でコラムにしています。
筆者は常々書いているけれど精神的貧困が理由です。喰うため必死だった時期を経験したので衣食足って礼節を知る教えなどありません。筆者は現地の日本語学校で日本の話をしたのだが、この際に五円玉の稲穂の意味とか、五円玉で行なうちょっとした作業で人間の意思(想い)は実現するという実験をするが、マジックでもないのに皆が驚きを隠さない。要するに何らかの自己目標の設定など教える人がいません。また利他の心など、旅行本には儒教の国だとか書いていても、実は社会道徳観はかなり希薄なのです。これが事業・ビジネスにあっても目標の設定が出来ず、計画に基づく努力もせずに成り行き任せ。専門的な勉強も不足している。これらが心の豊かさの欠如に繋がり、経営面で様々な支障が生じる訳です。実はこういった状況は、筆者がベトナム人と共同で運営した会社での実態。仕事をする中でスタッフの考え方や言動から感じた事だが、無論彼らが育った地域社会、家庭環境に生い立ちも思考形成に影響しているが、他国事情など分からず普通の生き方、ビジネスをしていると思っているだけ。
また学校での教育課程が大きく違う。学校とは知識を得るだけの詰め込み教育。ある時これを現地の団体が批判していた程。要するに知識量は豊富だが知恵がまるで育たない。ではその原因はどこに在るのか。知人の子供の学校生活を通して見聞きして筆者には思う所がある。近年大学受験がヒートアップし帰宅後も学習塾に通う生徒が多く、学校でも費用を払えば追加で補習を受けられる。
体育や音楽は実技、理科分野では実験が無く全て教科書から得る知識。設備が無いので須らく五感で感じ取れず知恵の泉が湧く筈がなく頭でっかちになる。だから公式を覚え、数学オリンピックでは常に優秀な成績を収められるのです。
高校は普通科のみで、工科高校や商業高校は無く、高専も日本の制度をやっと移入した。従って専門性は低く初歩から教えなければ仕事が出来ない、事業で不可欠である初歩的な簿記さえも知らないし勉強しない人が多い。自社の財務経理など経営状況を正しく把握できず、前近代的な事務作業しかできません。
さらに課外活動。日本でいう所の部活など無く、上下関係で礼節とか、教えられて伸びる、自分が伸びるにはまた勉強して教える。こういう経験をしない。
スポーツなら厳しさ。競争に勝つため日々の努力と練習、時に負傷する傷みを感じ、団体競技をする中で競合相手と審判への敬意、団結力と自主的判断力。規則を遵守し違反すればペナルティーとする規範が養成されない。所属団体・学校を代表するという自負と責任感、支援者への感謝の気持ちも感じられない。
株式会社VACコンサルティング 顧問
(IBPC大阪 ベトナムアドバイザー)
木村秀生