今年のテト(旧正月)は2月12日。政府はテト休暇を2月10日~16日迄の7連休としています。
しかしとり分け民間地場の小・零細企業は少なくても2週間は休みにしている所が多く、都会で働く人は各々の故郷へ戻ります。家族や散らばっている友人知人と旧交を温めたい気持ちは誰も同じ。しかし今年はどうなるのか?
ところが経営者は頭を抱える時期でもある。田舎に暫く居る間、話題になるのは誰もが興味を持っている給料の話。ただでさえ同僚の支給額が分っている位なので金の話には事欠かず、鼻の差でも羨ましい。
それどころか昼食に出る給の善し悪しまでが影響し、ジャうちに来る?何て事になり、勤務先には連絡せず勝手退職。家財道具などは無いから気軽に反対の方角に即時転職、人に迷惑を掛けようが一切気にしない。
これを避けるために日本企業の現地責任者は、地方へ帰る従業員に会社がバスに乗せて帰郷させ、戻る時にも無料で送迎することを発案。テト離職率を1割下げたという位涙ぐましい努力。多くのベトナム人は300キロなんてバイクで往き還り(二人乗りでも)するのは平気なのだが、これは楽で嬉しいかも。
電気・内装などの超ローカル事業を行っていた時。テト休暇が過ぎても戻ってこない奴がいた。スタッフが連絡すると飲んで遅れてしまったと得意の言い訳。
都会への憧れは強い。学才の無い連中は取り敢えず親戚友人などを頼って出てきて居候を決めながら職探し。本当に学校を出たのか分らず、身に付けたモノが無いため何でも良いから住めればいい。この仕事はできると言うが嘘。例えば土木に携わっていた=労務者という具合で使いモノにならない者もいて、端から続ける気は無く帰郷したまま。農家なので飯は鱈腹食えるため節操がない。
ネットにベトナムは第二の韓国になれるか?とあったが、無理との結論は正解。知人の日系企業に就職を頼んだ大卒者でも面接で嘘を付く、直ぐ退職するなど赤恥話はキリが無い。真の事情を知らない日本人は未だ神話を信じている。
さてテトの時期に帰国して家族や恋人に会いたい邦人は多い。だが飛行機運賃が高く独り身などは勿体なくて残留。この時期隣国カンボジアは雨季ではなく祭日でもないので観光に行く人も居るし、タイなどへも遊びに行くのです。
でも折角の外地、できればベトナム人宅で過ごすのもいいかと思います。私はこの時期は殆ど友人の家や彼らの地方の実家に長々とお世話になりました。
ホテルなどこの時期は書き入れ時、通常の倍はする正月料金です。
HCM市内の友人宅。生まれ故郷にはもう誰も居ません。テトの朝、時間指定で自宅に来るよう依頼されました。この時は知らなかったのだが、彼はXONG DAT(ソン・ダット)と言う正月最初の訪問者により、その年の運が決まるとする風習を信じているので、他の人が来ても戸を開けません。
また西瓜を2玉貰ったことがあります。中を割って赤ければ赤い方が、その年の運が良いなどと言っていました。この時節、各家では正月用の料理と菓子を用意していて、レストランではない家庭の味をしっかり味わえます。こういう慣習に文化などは肌で感じなければ滅多に分るものではありません。それには親しくなるのが一番なのです。(コラム82に「旧正月の料理」)
ダラットへ訪問した際は、家の中に見知らぬ若者が居るので、聞くとHCM市に居る家人の「友達の友達」という赤の他人。泊るだけだが、こういう奇特な事も普通にある。旅行に行きたいが金が無いので互いに融通し合います。
この時はバス利用だが何と会社がliXi(お年玉)をくれました。赤い袋に入れた(赤は縁起色)500VND、気のもの。
メコンデルタ南・バクリュウ省に行った時は、外国人など来ないようなガンハ(銀河)という街。仏間に一人大名宿泊だが、カントー大学に行っている帰省の学生と話をしました!またこんな鄙の村でもアメリカ帰りの人が居て英語が通じる驚き。当時は遠距離バス便が無く、延々と地道を走る合作社の小型バスだけ。これがまた定員超過で夜通しぶっ飛バスから怖さ半端でない。
普通の外国人が滅多に経験しない事をした分、幸運だったかも知れません。
この家の主は稚エビを養殖している金持ち。持参したお土産の菓子には喜んでくれた良き時代です。
また中部のニントアン省、此処は従業員の実家。トカゲを養殖しレストラン用に副業で飼っている。とにかく広く、鶏が走り回る庭。この内の一羽が食卓に載りMoui Tieu Chanhだけのシンプルな味。この旨さと言ったら・・他にない。
なけなしのスパークリングワインで気分が良くなり、涼みにテラスに行くと急に目の前が真っ暗。気が付けば口が血だらけ、歯が折れている。家人は塩水で洗っとけば治るなんて言うけれど、街の外科医宅に夜10時位に行って縫合。薬も貰って僅か5万VND。ハノイとHCM医科大学を出ているという先生。こんな所に結構立派な日本の設備があり安心できました。感謝しかありません。再び行く機会があればと思うのだが。
此の地は実は2度目。ドキュメント番組の撮影で訪問した地域。マングローブの植林専門家である浅野さんと一緒した折、コーディネイトをしたのです。
私は日記を書かないので、思い出すなりに、テトの時期に起きたこと、行った先の一部を認めました。
海外で生活、仕事をすると、プライベートでも一緒だが、文化や習慣の違いは当然ある。だが辛くてしんどい事、思いもよらない悲しい事、腹立つ事が多々あるのは何処も同じ。しかしできれば楽しく過ごしたい。でなければ損。私は自身で決めて勝手に住んで好きに仕事していましたから余計です。あっという間の16年半。儲けを気にするより(思っても出せない)仕事半分、遊び半分。適度に勝手気儘で自由奔放、人がやれない事ができたなど見えない財産は残るもの。これも皆様のお陰、ご縁を大切にしたいもの。
株式会社VACコンサルティング 顧問
(IBPC大阪 ベトナムアドバイザー)
木村秀生