豊かになりたい!人の気持ちは古今東西、変わりなく、これは誰も咎めない。だが物欲は際限なく跳ね上がるのも人情。人様に頼るだけならば抜け出せない。自助努力するかどうかは評価の分かれ目だが、多くの場合、少し慣れると安易にアレコレ依頼してくる。新品も喜んでいたのに自由に買いたいので金が欲しいと宣う。所詮はオネダリでしかなく、断られても駄目元と人の心根も変わり落胆の度合いが増えた。自ら動かず支援を待つだけでは変化は望めません。
また留学生も学費等が払えず、平気で何度も貸して欲しいと泣きつくが返した試しは一切無し。就職の世話などもしたがその場限り、勝手に退職して一言の挨拶も無く帰国と節操がない。例え日本で生活経験が長くても精神文化の欠片もなく恩も義も無い。鶏の如く三歩進めば都合よく忘却して逃げ得が二度三度。
自らが約束をしても守らず、借り方や節目の際に礼儀やケジメがないのは社会性の低さ、文化度の未熟さが原因。先々何らかの形で志を尊び、貢献する意思があればまだ嬉しいが、そんな気が無ければ相当厳しい表現ではあるけれど、支援を続ける道理はありません。
アジア特有、持つ者から貰うのは当たり前、施しを受けるのは恥でない。この甘えた考え方は日本人が持つ恥の文化、潔さと馴染まない。貧しても心掛けが良ければ見込みはある。しかし与えるだけでは善意を蔑にし、怠惰にするのを数多く見てきた経緯から、本人の自立への努力が無ければ脱却しかありません。
支援して貰ったと感謝、謙虚に道路掃除をメンバーが行っている記事を見たが反対給付例は実に少ない。見返りなど端から求めないけれど、自ら地域社会に入り込む姿勢や規律ある行動、約束の履行責任が伴わなければ進歩しない。
そういえば何年か前だが、HCM市の劇場でベトナム人演じる日本語劇があり「鶴の恩返し」を観た事があるのは何とも皮肉。日本人の精神性がまるで解らない、立ち位置は分らないのに演技は上手でした。因みにこの鶴(つう)役を演じたのはNHK・VN語講座に出ていたきれいな女優さん。
・日越友好団体の取り組み 協力関係推進へ懸命な努力
COVID-19で困窮する外国人支援のため各団体は募金活動を行っている。中には戦争中から活動を行い、並の苦労では無かったと聞く位で足許にも及びません。現地での生活や事業経験が長い方もいるし、また調査や経済交流を通じて太いパイプを築くなど見えない財産をお持ちの方などが夫々に活躍されています。
しかし歴史がある処は、このところ若い人の加入が何処とも少なく資金的にもシンドイ。誰もが崇高な理念に基づいておりベトナムの知識や経験も豊富だし、真剣に正面から向かい合い定期的に訪越している姿を見かけますが、なかなか出来るものでありません。何か出来る事があれば協力したいと思う人は多いし、想い入れは大切だが、偏愛が過ぎれば個人思考が強い若者には受け入れ難い。
友好・交流=支援・慈善とは限らず、物事には変革期があり時代に即して変わってゆくものと、伝承してゆくべきものもある。現在ビジネスでの進出が増え概念と志向との差異が明確になってきたことを知るのも大切と経験から感じる。
・ボランティアは「任意」だが 亡己利他をモウ・コリタにならないように
無償・無限の神の愛、アガペーは何時か何処かに限界があり似非的。愛の形は瀬戸内寂聴さんが書くところ仏教の渇愛の方が人間的と感じます。
日本人は宗教心が無くとも万物に宿る偉大な神的霊的なもの対し、素朴に感謝の念と自然な振舞いが組み込まれている。一般的に生きとし生ける物への思いやりの心は深く、これが具現化したボランティアは自発的な奉仕と考える。
日本人は歴史上危険を承知で様々な場面で献身的に他国の人を救ってきました。時には超法規的な個人の裁量で職を賭けてまでの人道的行為。深く自然に染みついた利他の心というべきか、俗っぽく言えば義侠心か。語り継がれる御仁やサポートした表に出ない人達も沢山いて飽くなき活動は続いている。
活動に参加する動機は不純でも構わない。他人の目線など気にもしない。人によっては金銭に変えられないだけの価値や縁を得る場合もある。海外へ出れば取り組み方次第で思わぬ能力が出る人もいる。試練を踏み失敗しても何かしら結果は付いてくるし、何かに気付けばいい。経験する価値はある。
一方でHCM市日本総領事館の総領事は、草の根資金の説明会でボランティアが日本で育たないのは無償活動が原因。米国では自己犠牲を強いられるものでなく、慈善団体に所属するスタッフは有償で動くので活発だと話されました。
米国の事情は解らないが、成る程これも然り、宗教的献金とは異なりビジネスライクな権利と義務の関係でボランティアも成り立っているとは慧眼の至り。
・進出への期待は膨らむが 真の人材確保は難しい
日本は人口が減少、このままでは企業業績もダウンサイジング。国内では撤退や業容の縮小を余儀なくされます。しからば新興国へ進出するのは拡大生産の企業論理。何も手を打たなければ競争に勝てないし、伝統の技や日本人の職人気質が継承できず、日本が得意の精緻な技術も革新できないまま取り残される。ならば論議や是非はあっても存続をかけて出かけて行き、日本で培った技術やノウハウを現地化するしかないが、そのためには人をどうするか悩むところ。
実習生や、留学後に採用・育成した学卒者が帰国後に、進出して工場を建設。彼らを主軸にして現地をほぼ任せ成功している企業の実例が幾つかあります。
グローバル化と言いつつ現地事情や現場の実態を知らずに進出する企業もある。真の実態を殆ど知らない新聞記事などを鵜呑みにするのは危険なことです。
手先が器用で真面目という聞き飽きた神話もどきも疑うべし。現地で人を採用、信用して仕事をさせるが、思惑とは違い惨々な目に会うことも多々あります。
自分勝手で仕事はまともに出来ない、そう簡単に優秀な人材は確保出来ないし、乾いた地面に水がドンドン吸い込まれる様に金が出て行く。
であれば該当国で確実な人物をマッチングして正式に採用、日本で育成できる簡素化した就業制度にし、残りたければ在させて登用すればいい。
オカシゲな制度があるから、誰もがオカシクなっている。(了)
株式会社VACコンサルティング 顧問
(IBPC大阪 ベトナムアドバイザー)
木村秀生