実習生・留学生支援に関連して②

2021年2月25日(木)

・実習生も留学生も制度は問題だが 一般に知られていない側面もある

実習生制度は1993年から。当初は苦労したが家を建てた話などで持ち切り。
知り合いにも実際にいて、前の古い家と新築した家にも行った事がある。
だが徐々に目論見は狂ってきた。金銭価値は下落、経済成長で土地は高騰して買えず、家も建築費が上がって建てられない。欲得の中身も変わって来ました。
実習生は国自体が労働輸出と称し各国へ目標まで立て送り込む。規制もしない。投資の必要などなく外貨が入る、だから何時まで経っても問題は解決できない。
名だけの留学制度は更に酷い実態。地方の生活が苦しい人が無理な借金をして日本へ行きたがるのは金銭目的。其処へ儲かると双方の悪徳業者が蔓延る構図。社会的弱者が豊かになれるという絵に縋り、利用する者が利用され、騙され、翻弄され、損をする。元も子も無くして浮ばれない。貧しさを分かち合う社会の片鱗も見えなくなりました。制度的限界だが当初から偽りはミエミエ。此処までくれば個人的に求められても利他の気持ちや努力には限度がある。

受け入れる日本の搾取や実習生・留学生の実態をルポしているジャーナリストの出井康弘さんと巣内尚子さん。現地へ赴き調査。また悪徳受け入れ先企業の実態と彼らの窮状を隈なく調べる真摯な姿勢は評価に値します。
だがその一方で素行の良くない実習生、(偽装)留学生が居る実態もある。昔と違って本気で言葉を覚えず語学力不足。指示をきちんと聞かずに自己流で仕事をした為、不注意からの事故もあり、組合担当者が詫びと手続きに東奔西走もまた事実。あるいは国立大学・院に留学していた知人は語学力が無い実習生のため通訳で企業へ行ったこともある。数が増えると腐った林檎も混じる理屈で我儘の度が過ぎる場合もあるが、不都合な出来事を報じないのは片手落ち。
また西日本新聞は正面から捉えていて、移民政策シリーズとして他紙にはない真摯な報道している。しかし留学生に新聞配達をさせている他紙。仕事をする人がいないから奨学生と称し恩恵を受ける人は居るが、この中身について同業の誼からかこの新聞でさえ報じないし答えない。

実習生は日本人がやらなくなった仕事を日本で研修するとすり替えただけの事。責任は日本政府。留学生にしても無理やり30万人に嵩上げした旧安倍内閣の愚策。中曽根は10万人、福田20万人と徐々に屋上屋を重ねてきた。
無理やり作った制度。明確な議論は無く玉虫色に誤魔化し、ようやく特定技能へ進んだが底が見えている。今や昔と違いベトナムでもスマホは殆ど持っていてリアルタイムで日本の生情報が届く。悪の噂千里を走る、良い話は隠れる。現地の若者は須らく情報を持ち実情を知っているが、我国政府や行政はこうした現地の状況を知らず、過去の状態のまま思考停止状態です。

・先立つものは金銭に違いないが 支援のあり方は時代に順じて変化してゆくもの 自立と社会に馴染むための力添えが最適か

今年元旦朝、伏見稲荷大社へ詣でました。流石に人出が少なくゆっくり出来たのは幸運というべきか。しかし彼方此方でベトナム語だけが聞こえてきます。多くのカップルやグループが和気あいあいで聞くと実習生。これまで無かった光景なので少々驚いた。京都には約6,4千人のベトナム人が住むが、SNSで知ったのか、世界的に有名な千本鳥居を見に来た次いでに稲荷山を一周している訳です。報道で知るのと違い、彼らの身形はしっかりとブランド物の靴や服装で決めており、中には高級一眼レフを持って仲良く写真を撮っていて微笑ましい。皆マスク着用を守り、宗教心などないけれど善男善女なのでしょう。
彼らは一様にしっかりと仕事も生活もしているのか、旧知だった子が倹約生活をしていた時分とは差が激しい。少々ほっとした気分になりました。だが全ての人がそうではない、異なる別の顔がある。これはこの項の後に述べます。

20数年前、在大阪総領事館の領事は講演で、自国は最貧国の一つだと話し、その時、学校の運営支援をどうすればできるか相談する人が居た位でした。
友好団体が少ない頃、日越経済交流センターの創設者、人見さんは旧国鉄労組委員長。VN国鉄と強い関係があり廃車にするJRバスを寄付しようなんて話をしていました。また当時関西に留学生は30人程しかいない。皆本当に苦労しており金もない。今と貨幣価値が違うし留学費用を出せる家庭など殆どありません。人見さんは年に2回彼らを呼んで食事会を開催、相談にも乗りました。学卒者を就業させた事もあり帰国後は日系企業の現法社長に就任。人見さんが亡くなるまで続き、私も何度も会社と自宅に訪問、こういうご縁による相互の信頼関係は大切な事です。

この当時は現地の施設へ行き、寄付や衣類文具、菓子などを子供に届けました。日本の綺麗な服を素直に大喜び、駐在者は帰国時に自分の荷物を少なくしても持って行ったのです。だが経済が成長してくると学校に行けない子供も通える様になり、物質的に豊かになるとお古から新品を求められる様に変化。顔の見える支援であったが、エスカレートが度を過ぎれば個人だと限界が見え始める。
観光バスは日本の公営中古バスを改造しガタガタの砂利道を走っていたのが、道路は舗装され高速道路が完成するなどインフラ整備が進み、バスは新車だししかもベッド付きに変わるなど、世の中はどんどん贅沢に慣れて行きます。

株式会社VACコンサルティング 顧問
(IBPC大阪 ベトナムアドバイザー)
木村秀生