・匠の技 使う人への思いやりを受け継いできた日本
かつてベトナムに職人はいるのか、というコラム(コラム72・2019年秋)を書きました。これは私の現地で行っていた事業を通し、現場での仕事振りや道具に関すること、彼らの仕事への考え方など、日本で行っていた時の実務とか状況など違いを認めました。これまで何度か日本とベトナムでの物つくりの違い、思考や思想の相違も自らの体験を基にして現地事情を伝えてきました。
今、日本の伝統ある職人の技がどんどん消えようとしている。跡継ぎが居ない、高齢化、仕事の減少、材料が無いなどの問題を抱えていて先が心配。
しかしいくら最新の先端機械が導入され、AIが工程の一部に入ったとしても細工師の指先や工夫にとって代われるものでは無く、否定する人も多いけれど、職人の磨かれた勘や気概は人工知能が代役を務められるとは思えないのです。
この先はどうなって行くのか。日本の物つくりを支えた職人文化は消えて去る運命にあるのでしょうか。
日本に薩摩焼が鹿児島県にあり、これは豊臣秀吉の朝鮮出兵の際に現地の陶工を連れて帰り、陶土が合う薩摩で焼かせたのがルーツとか。未だ沈壽官を名乗る15代にもなり、過日、NHKドキュメント番組に出ていらっしゃいました。
しかしこの陶工。日本では立派な職人として島津義弘が保護したけれど、朝鮮で彼らの身分は「賎民」とある。則ち韓国時代劇によく出て来る身分制度だと卑しい人物だったのです。ドラマの中に官用窯で官吏のもと、主に宮中で使用する器を焼いているシーンを見たことがある。要はモノを造る人はこれと同じ地位の低い階層だった訳で、日本の職人とは程遠い存在で後世に名が残らない。
これに対して日本では、例えば刀鍛冶にしても現在に至るまで名工として銘が刻まれ、其の価値は驚くほど高価であるなど、様々な分野で職人文化が育っており、重工業では今も変わらずに、最終の仕上げ工程は人の手で収められます。
日本の100年以上続く老舗は3万社強あると言い世界一多い。これは各老舗が独自の家伝の製法を守りつつ、本家の他に分家制を採り入れるなど、時代の変遷に応じて様々に変化させながら職人が誉を伝承してきたからと言えます。
世界最古の会社金剛組、元を正せば聖徳太子が呼んだ百済の大工。千四百余年続くには式年遷宮(建替え儀式)が技術伝承の仕組みとして作られていました。また伊勢神宮は山を持ち遷宮に備えて木を育てているため自家調達できるが、今風に言う6次産業化は既に行われていたのです。しかも余す所がないほど、無駄なく使う勿体ない精神文化と知恵が備わる。
・ところが韓国に職人文化が無いという
空港で売っている土産のキムチ、名家の味を強調。どの名人が作ったか関係ない。ホームメイドキムチ~はママの味。
ドラマでも家業を継がせようとの筋書きは無く、良い大学を出て医者や弁護士、大手企業に就職しホワイトカラーとして出世する。社長令嬢を射止めて結婚、だが実の子ではなく後継争いの泥沼に巻き込まれる。のです。こうして母親を楽にさせ、だが酔いどれ親父が出てきて金をせびる。こんなのをだらだらやる。
こうした文科系絶対主義で、ものを作る事は下層のブルーカラーの仕事であり労働者や技術者は偉くない。だからストライキが多発するのは抑圧された人間の金目当てやウサ晴らしなど年中行事。道理で外国企業は撤退するわけです。
世界的技術はそれほどなく、何時まで経ってもノーベル賞なども取れないまま。精密部品や化成品は輸入に頼って製品化する。汗を流さず命令する人が偉い。
だから大学受験は人生を決める訳で受からなければ其処まで、先はありません。有名大学を出ていなくても、日本企業に就職する方が能力を活かせて活躍できる場があるので余程いいとする。
・基本的にベトナムも大して変わらない
ベトナムに真の職人はいないと言っていい。取り分け専門に長けた人など少なく賃金が良ければ直ぐに職を変える程、矜持を持っていない。これまで経験の試が無い仕事に平気で就く。
少しかじっただけで即「できます」というのは、日本語の挨拶ができるだけで如何にも会話できると思わせる手口です。
「造れる」と言うのは自己流。教育や訓練された訳でなく、当方が思うレベルというもので無い。これを悪いとも考えない。日本人感覚で面接や判断しては絶対にいけません。これら自社での経験則。
・日本のエビデンス文化と韓国
論より証拠は日本の諺。裁判でも物的証拠がなく状況証拠だけで有罪に持ち込むのは難しい。だが韓国は状況や情実だけで裁判所でも通用すると言うほどの恐ろしさ。情で裁かれるのなら警察いらん、鑑識課なんて不要と言いたいが、ドラマでは検察でも天からの指示は絶対で、白でも黒に簡単に覆されるオセロ。例えTVでも、いいのかな。
知らないことは恥、教養が無いのも恥という日本人の文化。それはある程度は裏付けされた根拠があってこそ。
世界最古の長編恋愛小説、内裏の女性を虜にした源氏物語にしても、宮仕えの手引書である随筆・枕草子でも、詩歌に通じた宮中に仕える才色兼備の女房が日々の出来事を基にした作品。千古の時代から日本(女性)は如何に能力・素養の高い国であったとの証明です。
韓国は根拠が無くても自己に都合よく解釈する。自分の信じるものが絶対的で、それ以外の出来事に精通しなくてもいい、百回思えば嘘も本当に。世界が自国をどの様に見て評価しているのかは関係なく、恥も外聞もなく何事も世界一だと自認する。
親(政府)がそうなら子(国民)までも一緒、「親の背中を見て子は育つ」。
かつて現地で韓国人から仕事を請け負った。一族でHCM市に来て夫々が飲食店を始めた。ところが飲食事業の経験なしと言う。要は家庭料理の延長だが、看板に偽りあり「羊頭狗肉」、宮廷料理とあった。韓国人の俳優が一度来ただけ、これを利用して推奨だとかの垂れ幕。
韓国料理店も少なかった時は客が多かった。だが次第に減少、高くて味に嘘があれば誰も行きたくなく閉店。その果ては夫婦で夜逃げを敢行、工事費未払でトンズラ。迷惑を被った怨み辛み。
・本には面白い事が書いてあった
実るほど頭を垂れる稲穂かな、は日本人の特長で戒め。立派になるほど謙虚になれ、という。だが韓国では頭を下げてはいけないとされる。虚勢を張っていればこそ存在感を誇示。
株式会社VACコンサルティング 顧問
(IBPC大阪 ベトナムアドバイザー)
木村秀生