匠の技を受け継いできた日本②

2021年11月9日(火)

私が居る京都の住宅地内に古墳公園がある。この中に幾つかの墳墓が保存されており春秋に公開されるが、明らかに6世紀頃の朝鮮式円墳。石室内部が見学でき、恐らくこれは渡来してきた豪族一族のものに違いないと考えます。
反対に韓国でも日本式の前方後円墳が複数発見されており、これは日本から渡った高官の人物ではないか、と現地の歴史研究者がNHKで説明していた。
京都は桓武天皇が遷都してできた都。かつては人が定住するのに適さない広大な低湿地で、それほど魅力のある場所ではなかったとあります。彼の地は秦氏一族が生活拠点、半島から当時として近代的で高度な土木・灌漑、養蚕、機織り、酒造などの技術を持ち込んだのが新羅から来た人達で、その代表は秦河勝。

住める様になったのは葛野の地と言われた湿地帯を河川改修で水を抜いたからだし、葛野川(桂川)に堰を築造、流量を調節し土地を開墾したと伝わります。
太秦一帯は一族の拠点であり広隆寺、伏見稲荷大社は護りの社です。桓武天皇が母方は百済の血を引く大枝の土師氏だが、平安京の前、長岡京築造の責任者・藤原氏一族には秦氏が係累に嫁すなど、桓武天皇、また日本は都の造営に三韓の区別や拘りなく半島の技術を採り入れ、彼らと共生して新たな文化を創成。
日本は島国、ほぼ単一民族なので民族間や国境を接する国家間の対立など考えられない。今も進出先で通じないのが、ビジネスにあっては阿吽の呼吸、空気を読むとか、頭を下げる行為など相手の気持ちを思う文化。同一民族の社会で思考方法が似ている所ならば問題ないが、世界から見れば特殊な部類です。

ところが大陸と接する半島では常に民族が対立。韓国時代劇でも見られる様に陸の国境での諍い。互いに大声で主張し罵り合い腹を探り合うとあり、侵略の繰り返しが歴史で、強き者のみが勝利。戦に負ければ国土や財産を収奪、武官は殺害され、民百姓は奴婢となって一生を僕としてかしずく泥沼に。

これがそのまま時空を超え、今でも訳の分からない論争と非難の応酬が延々と続くが相手の意見は全からく否定、理性をなくし熱くなり感情に走ってしまう。好き嫌いがはっきりしているため、諾か否のどちらかです。

日本人は玉虫色の世界で何となくはぐらかすのが得意。まあまあと適当に収め、時には水に流してハイおしまい。だが海外では相手が取引先であろうが、工員、サービス業、政府の役人だとしても通用しない。善し悪しや下心は外に置き、何らかの回答が要求されるので、毅然とした態度でないと舐められます。
ベトナムはインドシナ半島に位置。歴史を見れば中国にルーツを持つ京族が、土地・食料等を求めて南下。チョンソン山脈で地理的に分断され西側は越えられず、南下するしか道はありません。
元来、人為的な国境の概念など関係無く、人が行き来しているし、ベトナム語でさえ分からない人も居て、様々な54の民族が入り混じる複合国家。中部のチャンパを駆逐し、南部クメールの領土を収奪してきた歴史を持ちます。
カンボジア人は未だHCM市の事をプレイノコールと呼び、道標にも書くのはかつての支配地だったからで、過去の誉れ、矜持の証なのです。
これ等が大陸に接する半島にあっては、黙って大人しくすれば服従か侵略されると言う緊張感が常にあって然るべき。日本人に理解できないが、陸の国境越えを一度経験すれば地政学が少しでも分るのではなかろうかと考えます。

日本は仏教国。しかし無宗教者、新興宗教も数多く、古来神様も様々に居るが唯一絶対神でない。クリスマス、バレンタインデー、ハローウィンもありとの意味・節操のなさ。正月に餅を食らい、ケーキを祝いごとに供し、何でも幅広く受け入れる。
ベトナムもほぼそうで、カオダイ教など日本と類似。ミュウという祠、地方に住む民族ごとに神様・精霊もいて悪魔から生活を守ってくれる。
ベトナム仏教徒、テトには多くの参拝者が地方から有名な寺に来て二年参りもする。だがこれ、現世利益を願い我が儲け優先。間違っても世界平和とか家族の健康や安寧を求めず、他人の不幸は密の味。
過去には中国の影響もあって、特権階級、即ち科挙に受かった官吏。農民は金を出し合って一族から合格者を出す現金な目標。要はお零れに預かるためで、心から支援する真摯なものではない。

だが双方は何処かに善悪を大切にする宗教心、道徳観が意識として人の心に残っている。

日本人の仏教観で象徴的な話があります。秋もたけなわ、紅葉と苔庭が綺麗な嵯峨野の山裾にひっそり佇む美しくも小さな庵、此処は祇王寺です。
祇王とは白拍子の名。即ち遊女であり、妹の祇女と平清盛に最も寵愛を受けました。
だが加賀の仏御前と競うが清盛は仏御前の芸に軍配を上げ、無念、祇王と祇女、母親の閉(かい)は奥嵯峨に隠棲したのです。この地を選んだのは京の西山、即ち西方は夕陽の沈む極楽浄土と見做されていたからで心の安寧を求めました。
ある時、清盛に呼ばれた祇王。仏御前の具合が良くないため、舞うようにと命じられ、やむなく清盛と仏御前の前で舞い、歌ったけれど、屈辱感しかない。
妹と共に自害しようと決意。ところが母親の閉は、二人が死ぬなら私も生きてはおられない。しかし死期の来ない内に母親を死なせるのは「五逆罪」になる、と戒めます。
五逆罪は仏教でいうところ五つの重罪があり、その一つが親殺しで、これは無間地獄に墜ちると信じられました。この世は所詮仮の世、これが当時の宗教観なのです。また八百万の神様が日本にはあり、万物には神が宿るとされ、穢れを嫌います。武士道、柔道、剣道などの「道」もある。潔しとするのが日本人の観念です。

儒教の韓国は損得勘定で人が動くとされ、ベトナムもこれは真っ先に仲間入り。
儒教観では情が優先される。これが恨・ハンであり、末代まで決して消える事なく永劫続くという民族のDNAと言われます。

株式会社VACコンサルティング 顧問
(IBPC大阪 ベトナムアドバイザー)
木村秀生