(薬の神様がいた)
大阪の中心部、中央区道修町に、神農さんと親しく呼ばれる神社があります。正式には日本医薬総鎮守・少彦名(すくなひこ)神社というが、大学卒業後に入社した企業の近辺にありました。
名だたる世界の薬品会社が集まっている道修町。身近な食品としてカレーが生まれたのもこの街。ハチ食品(当時大和屋)は江戸時代から続く老舗薬種問屋。漢方薬を扱っており、ウコンや生姜等を組み合わせて1905年にカレー粉を日本初製造。今や世界中にファンが居て、インドでは本場を凌ぎ、イギリスはカツカレーがブーム。ベトナムでも美味しいとリクエスト。
検索してみると、中国最古の薬物書に神農本草経があり、神農とは4000年~5000年前と云われる古代中国の神様。身近な草木の薬効を調べるために自らの体を実験台にして草根木皮を試し、何度も毒にあたりながらも薬草の力で蘇ったといい、このため民衆が救われ敬われたとあります。このため神農は薬祖神として祀られており、毎年神農祭が開催される。
神農本草経には365種類の植物、動物、鉱物が薬として収録され、その人へ作用する薬効の強さに拠って、下薬、中薬、上薬と分類され、しかも毒の作用にも触れているので、使い方に注意すべきとの表示は現在も通じます。
だが実際には本人がまとめたものでは無く、後年になって弟子が薬物の知識を纏めたと伝われ、その成立年度は定かでないようで500年ごろに記した本が最も内容が充実し分量も多いとあります。薬は使い方次第で毒と紙一重。古代の人も薬に副作用があるとの知恵があった。
日本で江戸時代に最も基本として影響を及ぼしたのが明王朝期1596年に上梓された本草綱目。1607年に林羅山が入手して徳川家康に献上したとか。
シーボルトの様なスパイも居たが、もし長崎(出島)を一部の外国に開放していなければ、この様な海外の書物や技術は入ってこず日本の医学は遅れたかもしれない。
有吉佐和子さんの小説「華岡青洲の妻」。故郷和歌山・紀ノ川近辺を舞台にしている実話だが、1604年・文化元年に世界初の全身麻酔で乳がんの手術を行なったのです。動物実験を繰り返して後に、妻や母を犠牲にして、トリカブトや朝鮮朝顔など複数の原料を元にした麻酔薬を開発しているが、欧米はこれに遅れること40年。彼もこの本草綱目を参考にしたかもしれません。
(民間で薬用効果あり とする噺)
幾百年の時を経て各地域に独自の民間伝統薬がある。修験者が造る秘薬、大和大峰山では腹痛とかに効く陀羅尼助、木曽御嶽山の百草丸など植物由来の薬は多く、今も愛用者は多い。ベトナムの知人に黒いのは炭で毒消しになるなどと説明、半信半疑だったが服用すると良く効くと好評。
庭にあるイチジクの実をもいだ時に出てくる乳白色の液体でイボが取れるとか、ユキノシタは胃腸に良く、酒酔い予防や虫刺されにはドクダミが効く。酒類は古くから消毒に使われたし、時代小説には足のマメを煙草の火で焼き灰をつけておく荒療治が真か嘘か不明だが書かれており、湿布薬がない時分に小麦粉を酢で練って捻挫や打ち身に使ったなどは昭和でも立派に通用していた。
最も簡単で費用が掛からないデトックスは白湯(さゆ)を飲むこと。古民家の囲炉裏端で鉄瓶に入った湯が一日中湧いている場面を想像する。鉄分の補給と水と火の調和が整った白湯は体を温め、腸を洗って毒出しをする。出生地の水で産湯を使うとか、水が合わないと言う言葉。これなどは生を受けた地の水が人にとって最も重要と言う説の裏付け。人体の60%は水で出来ている。
ベトナムでも同じ様に庶民に使われてきたものがあり、先の痩せる健康食品の様なダイエット茶もある。他に土産にもされているダラット産アティチョーク。生を使った料理もあるが葉を乾燥させて茶にしたのは銘品、肝臓に良いとか血を綺麗にするとか。また桑の葉を煎じると咳や喉に良いとされ、これは薬として販売もされている。蓮の花は睡眠効果がありこれを原料にした薬もあります。
メコンに行けばバナナの焼酎漬けがあって、これは肩や腰の痛みに効くと言い、一日の疲れを癒すのです。滋養強壮にはフエのミンマン(明命)湯、般若湯とは意は異なるけれど、ベトナムの養命酒。また蛇やサソリの焼酎漬け。ある時、開発中だった7区の我家近くの草叢で、蛇を採っている人が居て籠は結構一杯になっていた。売るのと言うが、中でも緑色の小さい蛇が一番危険だが値が高いそうで如何にも効き目はありそう。だが蛇酒や蠍酒などは日本への持ち込みが禁止されているはずなので、購入したい方は事前の確認が必要です。
だがとんでもない誤った民間療法がまかり通っていて、流石に危険だから止めた方が良いと薬局で薬を買ってきたことがあります。ある時料理中に奥さんが火傷をした。これを見たご主人が持ってきたのがニュックマム(魚醤)。まさに傷口に塩をすりこむのだからその痛さは半端でない。日本でも確か味噌をすり込むとか聞いた事があるけれど、同じ理屈。だが反って悪化させるだけです。この夫婦、漢方好きなので5区チョロン地区(中国人街)で漢方薬を買ってきて煎じて飲用するため、疑うこともなく無茶をしていた。
漢方は生薬を組み合わせて人間の気・血・水を補うとか、体内を巡らせ、また温めるとか冷やすことで正常な状態に戻すもの。食事の組み合わせも同じ原理。
5区には漢方薬の店が並んでいて、時折購入しに行ったが、近辺はこの臭いが充満していました。原料は中国からの輸入で多くは親戚などが故郷に居るため多品種を大量に揃えていて安い。漢字表記が嬉しく目の前で粉にするので安心。
しかし今、開発の波が押し寄せ、サイゴン時代から続いた古き良き街の景色が消えて行き、かつての面影が無くなっているは勿体なくもあり、寂しい限り。
(ベトナム伝統医薬に付いて)
ベトナムの薬局。Nha Thuoc Tayと書かれた看板が掛かっている。だがこれは敢えて言うなら西洋の医薬品を扱う薬屋さん。
これに対してベトナム伝統医薬品があり、中国から伝わったThuoc Bac(北薬)と、ベトナム南部で独自に進化したThuoc Nam(南薬)の二つが大切にされて脈々と受け継がれています。
この南薬は石器時代から続く貴重な遺物なども存在。北と南の気候や自然条件の違いから植生も異なるので北薬にない薬もあり、独自の進化をして来たと言われます。効き目は北薬に比べて穏やかだと聞きます。
この南薬の祖と言われるのがトゥエ・ティンとされ、明確ではないが14世紀の人とあります。
こうした伝統医薬品も身近な植物を使ったもので、その数は4千に及ぶとされ、海藻類が52種、またサイやトラなど動物が約400種、鉱物も75種類あるとも云われています。現在栽培されているのは133種だそうでその収穫量は数千トン。これを国内向けとか、また輸出しているとある。
この伝統医薬の高名な博士に師事。大学を卒業後に畑を借り栽培した熱心女性が居て何かの時に会ったが、聞けばとても採算に見合うものでは無いという。歴史ある伝統を守って行くのは何処も大変な苦労を伴う行に近い。
この薬になるとされる素材の多さから、動物は違法取引になる可能性はあるが、ベトナムを含んだアジア亜熱帯地域は薬になるとされる植物の宝庫。未利用・未開発、もしくは未発見の新たな薬種原料が見つかるのではと推測できます。
株式会社VACコンサルティング 顧問
(IBPC大阪 ベトナムアドバイザー)
木村秀生