軍事クーデター後のミャンマーの現状

2021年2月9日(火)

2月1日にミャンマーで国軍による軍事クーデターが起こりました。日本では突然起こったかのようにみられた方も多いかと思いますが、現地ではその前の週に国軍が軍事クーデターを起こすかもしれないといううわさが出回っていました。ただ、ミャンマー国民もミャンマー在住外国人の間でも本当に軍事クーデターは起こらないだろうと高をくくっていました。しかし、2月1日軍事クーデターは起こりました。

2月1日の軍事クーデター以降、ミャンマー国内のみならず日本でもアウンサン・スー・チー国家最高顧問・その他拘束者の解放や軍への反発・民主化を訴えデモが起きています。ミャンマー国内では2月6日・7日・8日と日を追うごとにデモは大規模化し、激しさを増していますし、デモはミャンマー全土への広がりを見せています。

2021年3月は2011年に民政移管されて10年になります。あくまで想像ですが国軍側としては10年でここまで民主化が進むとは考えていなかったのではないかと思います。事実、2011年の民政移管時の大統領は軍出身のテインセイン大統領であり、2015年まで経済対策もそれなりに上手くいっていたとの自負があったため、2016年の総選挙での国軍政党の大敗は想像以上にショックだったのではないでしょうか。反対に言うとこれまで長きにわたる軍事政権への国民の嫌悪感が軍の想像を超えていたと言えます。軍としては民政移管してもある程度の軍の影響力は残せると踏んでいたともいえます。

話は4年前にさかのぼりますが2015年11月の総選挙でアウンサン・スーチー党首率いる国民民主連盟(NLD)が大勝し、2016年に政権交代を果たしたの次の年の2017年1月29日、ヤンゴン国際空港でミャンマー国民民主連盟(NLD)の法律顧問コー・ニー氏が暗殺される事件が起きています。日本ではあまり話題になりませんでしたがコー・ニー氏はアウンサン・スーチー氏の昔からの側近であり、憲法改正論者でもありました。驚くべきことに、この事件は暗殺首謀者がコーニー氏へ銃を構え引くところからコー・ニー氏が銃撃され崩れ落ちるところまでを動画撮影されておりミャンマー国内に即座にネットで配信され、国民に大きな衝撃を与えました。軍はすでにこのころから伏線を張っていたことになります。そこに加えて2020年11月の総選挙で国軍の政党である連邦団結発展党(USDP)大大敗が起こります。ここにおいて国軍はついに追い詰められます。すでにそのころから今回の軍事クーデターを考えていた向きがあります。それは2月1日クーデターにもかかわらず2月2日には新閣僚を任命したことからうかがい知れます。

これからデモは激しさを増していくものと考えられますが軍も以前の軍事政権に戻りたいと考えているのではないと思います。ただ、軍も自分たちが築いてきた様々な人的資産や物的資産をすべて奪われてしまうかもしれない恐怖にとらわれており、軍自体も切羽詰まっていることは想像に難くありません。軍も振り上げたこぶしをどう下すのか非常に難しい局面ですが外国からの圧力のみではより硬直化する懸念があり解決に至らないのではないかと思います。