はじめに

2017年6月28日(水)

このサイトでコラムを書くにあたり少し自身のことを振返ってみたいと思います。

私が海外との縁をもったのは今から27年前の1991年までさかのぼります。当時、学生だった私は卒論の研究と称して中国を初めて訪れることになりました。それまで海外に行ったことはありませんでしたし、あまり行きたいとも思ってはいませんでした。専攻が日本文学でもあり、どちらかというと日本国名の文化に興味があったと言えます。ただ私の故郷は山口県で私の親戚もブラジルに移民しており、戦前中国や満州に行っていた親戚も多数いたこともあり、昔の話をいろいろと聞いてはいました。
さてその当時の中国は1989年に起った天安門事件の影響で海外との関係が少しぎくしゃくしていたころでした。私はそのような世界情勢などには全く疎く、中国と言えば人民服着た人が自転車に乗っているという、その当時の一般的な日本人が持っていた印象そのものでした。という程度ですので中国の政治・経済情勢もあまり気にもなりませんでした。一番初めに中国で足を踏み入れた地は上海でした。大学が京都にありましたから貧乏学生の身でもありましたのでチケットの安い鑑真号で中国に渡りました。

当時の上海は今からは想像できないぐらい夜も暗く、夕方など無灯火の自転車が街中をうなるように走っていた時代でした。街はなんとなくすすけた感じでこれが戦前、世界4大金融都市の一角を占めていた魔都上海とは想像もできないぐらいさびれた街でした。ただ、今ではなくなった何ともいえないノスタルジックな雰囲気を何か底知れぬパワーを秘めた鳥肌が立つように感じたこともまた事実です。

1990年代初頭、日本企業の海外進出の波は3方向に向かっていました。その3つの波とは①中国・②ベトナム・③ミャンマーの3か国です。歴史検証はここでは触れませんが、中国はその後、順調な発展を続け世界の工場から経済大国へ、ベトナム・ミャンマーは様々な要因で順調な発展の波は打ち消されていくことになっていくのです。
私はこの3つの国々で実際に現地に住み、自分で会社を興し今も事業を継続しているわけですが、その当時の私はベトナムとミャンマーにはあまり関心もなく、特別な感情ももっていませんでした。個人的なことですが私は暑さにあまり強くなく、年中暑い東南アジアに行くことは一生ないかもしれないと思っていたぐらいでした。それなのにどうしてこれらの国々へ行き、事業を起こすことになったのかその経験も踏まえ、これらの国々がこれまでどのような発展をしてきたのかを重ね合わせ、これから数回にわたり話をしてみたいと思います。