日本を目指した二人のベトナム人 ファン・ボイ・チャウとクォン・デ物語③

2020年5月24日(日)

・クォン・デ 王宮からの大脱出に成功

クォン・デは当局の監視が厳しくなかなかフエを出ることが出来ませんでした。ようやく王宮を抜け出し、手引きで貧しい農民の身なりに変装して海岸に行き、小船でハイフォンに上陸。そこからフランス商船に火夫として乗り組みます。ボイラー室には誰も来ないし顔は真っ黒。人目に付かないという策でしたが、お供と香港に着いたのち、さらに2カ月かけて1906年4月、念願の日本に到達。期待に満ちた一歩を踏みだします。

仏秘密警察は突然居所が不明となったクォン・デを捜索。妃のチャンを軟禁し執拗に迫りますが、聡明な彼女は全く知らないと貫きます。クォン・デは日本行きをチャンに打ち明けていたとあります。
しかしこの後クォン・デは、ベトナムに戻りながらも愛しい家族と一生会えず、懐かしいフエにも戻る夢は叶わない悲愴な運命に翻弄され、苦難の道を歩んで行く人生が待っていようとは、知る由もありませんでした。
香港では後に独立の志が同じでもチャウの論敵になる、チャン・チュー・チンとも出会い。ハム・ギ帝の忠臣グエン・ティエン・トアットにも会っています。
日本に上陸したクォン・デも振武学校に受け入れられました。しかしフランスにばれると外交問題に発展しかねない状況であったにも拘らず特別扱い。だが当時の日本の政治家は、貧しいけれど志士のある外国青年の保護に鷹揚でした。
ところが安南皇子と呼ばれたクォン・デは一皇族。軍事訓練は大の苦手。王宮育ちで性格の好い彼にとって、肉体的にも精神的にも厳しい教練に嫌悪。また命令を受けることにプライドが許さない。抵抗感と苦痛のみが残り、とうとう病気になって退学。のち早稲田大学に籍を置く事になります。これも大隈重信の配慮から実現したが、チヤウほどの強い意思と信念があったのかは分らない。

・チャウの東遊運動が始動

チャウは日本で幾つかの執筆をしています。これらは梁の支援があって殆どが日本で印刷されて後ベトナムへ持ち込まれ、密かに回し読みされました。
だが漢字で書いてありますから教養がなければ読むことはできません。これらの熱烈檄文を読んだ人々は刺激を受け、子弟を日本へ送ろうと一念発起。また国内では独立するぞという愛国心が芽生え始めるのです。
日本へ行けば立派な教育を受けられる、という噂が広まり、チャウの関係先や同志の子弟など独立の理念を理解した優秀な青年が集まってきて、その多くが脱出することになりますが、其処には期待と裏腹に落し穴が潜んでいました。
最初は振武学校に入れることが出来たものの、いくら何でも沢山の人は収容できない。すると今度は柏原(後に国会議員)が副校長を勤める同文書院が受け入れ大切に扱われます。
ベトナムではフランス当局によって科挙制度が廃止。儒学や漢字も廃止され、勉学するための施設や機会も与えられなかったため、南部の裕福な家庭は香港などに子弟を送りましたが日本にも興味を持ちます。その理由は初代ザーロン帝の直系である皇族クォン・デが日本にいると知ったからでした。
チャウは日本に留学に来るベトナム青年が増えた事を喜びますが、一方で資金難が問題となり、その様な中で青年達の苦労が始まります。親がチャウと同郷のゲアン出身の資産家であったチャン・ドン・フンは、援助を父親に頼もうと手紙を送るが何時まで経っても返事は来ず、見捨てられたと勘違いして自殺。しかし実際にはこの時フランス当局は国内で東遊運動の摘発に乗り出していて手紙などは検閲を受けて開封され筒抜け、支持者や協力者の拘束を始めていました。彼の父親もそのような厳しい状況下に置置かれていたと考えられます。

・浅羽佐喜太郎との運命的出会い

このような状況のある日、グエン・タイ・バット青年は行き倒れになり、そこへ幸運にも通りすがりに助けたのが医師の浅羽佐喜太郎でした。
元々資金が無かったバットはチャウに頼み込んで来日。日本語を勉強しながら工事現場などで生活資金を稼いでいましたが、節約の余り空腹と疲労が重なって倒れたのです。事情を知った浅羽は青年の学費を払い同文書院に入学させました。偶然と言うより、必然と言う天祐です。
此処から浅羽佐喜太郎のチャウたちへの無償の援助が始まります。浅羽はもともと徳のある医師で、金の無い患者からは診察料を取らなかったくらいの人物。
静岡県浅羽村の出であったのですが、東京帝国医科大学を卒業してから神奈川県国府津で医院をしていました。これは彼自身が結核に罹っていて、温暖で空気の良いところで療養することも理由にあります。
ドイツに留学するという希望がありましたが、病気で諦めなければなりません。なので、偶然の出会いでしたが彼は自分が果たす事ができない海外へ雄飛する夢を、ベトナムから来た若い苦学生に託すという気持があったのです。

株式会社VACコンサルティング 顧問
(IBPC大阪 ベトナムアドバイザー)
木村秀生