海外進出の節目

2017年8月3日(木)

昨今の日本企業の海外進出には目を見張るものがあります。昔であれば日本企業の海外進出と言えば、一般的には商社や製造業がその主役でしたが、2000年を超えたあたりからでしょうか、商社や製造業はもちろんのことですがIT会社から飲食店や教育産業、農業法人までありとあらゆる業界がこぞって海外進出するようになってきました。特に直近の2010年以降はその傾向が顕著になってきています。 
島国である日本は戦前から日本製品の販売や資源の調達のために商社が世界中に拠点を設けていました。が、敗戦で一旦は海外からの撤退を余儀なくされます。戦後しばらくは日本人の人件費も比較的安かったことから日本国内で生産し世界で売るという構図がしばらく1980年代初頭まで続いていきます。1960年代は中学卒業者が金の卵と言われ、地方から都市へ多数流れてく社会現象が起きたことからもわかります。日本製品の米国への輸出が凄まじく、アメリカの対日貿易赤字から両国の貿易摩擦になったことを考えるとそのころの日本の輸出がどれだけ凄まじいものだったか容易に想像出来きます。日本製品が世界を席巻し、当時の日本は今の中国同様に世界の工場であったわけです。その流れに変化が起こったのは1985年のアメリカのプラザホテルでG7が締結したプラザ合意です。これにより日本の円は急激に高くなっていきます。円高により相対的に日本のコストが上昇していき、生産コスト削減を目的とした製造業の本格的な海外進出が始まっていくのです。ここが日本企業の海外進出の戦後の節目と言えます。(下記、バンコク商工会議所会員推移)

バンコク日本人商工会会員推移