寿司と刺身の話

2020年8月25日(火)

日本料理は人気。HCM市内に400店ほどあると言われます。参入も多いが、閉店撤退も頻繁にある。栄枯盛衰の淘汰劇は何時まで続くのか?
料理が美味しく安心できる所もあるし、そうでない店も多い。名前をよく聞く店は高くても客が途切れず、支店開設の連鎖。だがむやみに店舗を増やしても、まともな職人が育たなければ味や評判は落ちる。この辺りをどの様に考えているかだが、日本の様な職人気質は到底感じない。

来日した外国人が日本の寿司屋で見た話。寿司に緑色のフィルムが挟まっているのを怪訝に思ったとある。日本料理は外国でも日常的に食べられる様になったが、寿司や刺身にしても日本で食するものは別格。また緑色のフィルムが挟まっているのは一体どんな役割をもっているのかと疑問を投げたのです。
その理由を聞いて職人のこだわりに日本と自国の違いを痛感。伝統と経験から成す文化。これは日本のあらゆる製品にも通じる職人の妙技です。
他にも、刺身の多くが赤や白。其処に緑の色彩を加えることで見栄えが格段に上昇し見た目にも食欲が増すこと。さらに重要なのは「仕切り」であると判明。
種類の違う刺身や寿司を隔てるために使うが、味や匂いが移るのを防ぎ、美味しく食べられるようにするため、先人の知恵と配慮があると述懐。高級な店ではフィルムでなく本物の葉・バランを用いると伝えています。
さらに刺身と一緒に盛られている大根の千切り「つま」も、皿と隔てるために用いられ、盛り付けを美しく見せるほか殺菌、口をさっぱりさせ、消化を促進。また寿司も、外国ではろくに修行をしたことのなさそうな人が店主であったり、アルバイトが寿司を握っていたりする事もあるが、日本の寿司は握ったシャリの上に刺身を乗せただけのものではないとしています。
回転すしではサマにならないが、一人前になるまでに10年以上必要だとし、本物の職人の握る寿司は芸術作品。大阪は上品、見て綺麗で優しい味の箱寿司。
季節に合わせた酢の調合、米のブレンドも独自で研ぎも念入り。職人は手を護るため私生活も律するほどストイック。これが日本の職人全てに宿る精神です。
高級店での間合いの取り方は秀逸。自ら市場に仕入れに行き、下拵えに充分に時間を掛ける。気に入らないネタしかなければその日は休む位の気概があり、簡単に真似は出来ません。

触れていないのが、生ものを扱う上での衛生観念とその材料のこと。
20年以上前、初めて日本に来たベトナム人は生ものが食べられない。食習慣の違いもあるけれど寄生虫が怖い事もある。当時は自国で生の食材があっても冷凍庫や冷蔵庫も殆ど無く保存は不可。スーパーでさえ冷凍食品はあるが種類が僅かで店員は扱い方を知らない。食べられないのは無理もない。
魚を薄く切ることや、皮を高温で炙るとか、酢で〆るのも対策のひとつだし、活魚は氷で保存して水分を保持。美味しさを逃さず、経験と伝統から編み出した方法で調理している。また、甘酢ショウガもワサビも食欲を増進するほか、口直しの意味と工夫に食中毒を防ぎます。
酢は味噌、醤油と並ぶ日本の三大発酵食品のひとつだが、本物の醸造酢は造るのに2年も掛かる。寿司は知恵の詰まった食文化の集大成、日本人は幸せです。

ダラットでは日本の食品会社がワサビ栽培を行ったと聞いたことがありますが、現在どうなったのか分りません。高原ではあるけれど、冷たい清水の湧き出る川は無い筈だし、土質も違う。友人宅がワサビを栽培していると聞いて、見に行ったけれど畑栽培の西洋ワサビでした。
日本の有名なワサビの産地のひとつ、長野県安曇野市の大王ワサビ農場は日本最大規模。以前は穂高町、此処は暫し両親が住み、何度か行った事があります。15hrのワサビ田には清廉な湧水が一日12万トン流れ、暑さを嫌うため覆いを懸けた小砂利の畝にワサビが植えられ、冷水に浸かり熊手で均す気の遠くなる作業が連日続く。こうして出荷されるのが毎年130トン。鮫皮のおろし器で摺り下ろすと薫り高く適度の辛さが楽しめます。
回転すしが現れ、寿司が大衆化して安く食べられるが、ワサビを後から付けるのは多分この時から始まったのでしょう。
HCM市の日本料理店では寿司は呼べない位。ムスビと勘違い、バカみたいに固く酢飯を握りしめる際、ワサビをバランスよくシャリに置ける人はいません。適度に空気が混じるのが絶妙なのだが、意味が解らず料理している店、調理人が多い。チューブ入りワサビはスーパーで売っているが、西洋わさびに香料と辛み成分が入ったやたら辛いだけの台湾製。また日本で食する甘酢ショウガはベトナムでも作っています。
子供時分、寿司は超高級品。折に入れた握り寿司の土産に小躍りしたものです。遠縁が仕出し・寿司屋をしていて時折ありつけたのは幸運かも。バランを包丁で器用に飾り細工を施していました。しかし日本人にしても寿司文化はもはや薄く遠くなる一方。海外でも紛いモノが多く、本来持つべき歴史や伝統・文化は掻き回され、その土地でアレンジされて別物になるケースが多いのです。
寿司の起源は雲南のハレの保存食で、彼の地では豚肉のナレ鮨。これが日本に伝来して魚に変わり、飯と塩で熟れ鮨に変化した照葉樹林地域の際たる食文化。
琵琶湖の鮒寿司は有名。照葉樹林文化を提唱した一人佐々木高明博士の著書にある。大学時代の探検部顧問。後の国立民族博物館館長です。

株式会社VACコンサルティング 顧問
(IBPC大阪 ベトナムアドバイザー)
木村秀生