ベトナムの鯨信仰 鯨に纏わる話

2020年9月9日(水)

日本はノルウェイ、アイスランドと並ぶ捕鯨国。だが国際連盟脱退から一年、今や近海での捕獲。今年の商業捕鯨上限は水産庁の指導で383頭と少ない。かつて南氷洋へ船団を組んで捕獲した、マッコウ鯨やシロナガス鯨は口に入らないどころか、鯨文化そのものに消滅の危機さえあります。
大阪は鯨料理が至ってポピュラー。専門の店もあるが、ハリハリ鍋は庶民的で家庭でも作れる簡単な料理。鯨肉を鍋に入れて焼き、赤みがなくなる頃合いに砂糖、醤油を差す。味醂や酒はお好みで。其処へ水菜を投入してさっと火を通すだけ。上品ぶって食べる物でありません。今の水菜は水耕栽培でひ弱で値段も高いが、昔は一株丸抱えの大きさで軸はシャキシャキ感があって旨かった。また冷凍竹輪(が美味しい)を入れて、味が染み込んだ所で食べるのもいい。大阪発祥の関東煮はコロ(皮の部分)使い、脂身の多いベーコンも中々の珍味。
東京はそもそも鯨料理に馴染みが薄くて、渋谷に一店あった記憶があるだけ。
昭和の時代には鯨のカツも売っていたが、安くて、美味しく、ボリューム満点と三拍子揃っており、大阪人が好む総菜の一品になっていました。これを何とデパートで偶然見つけたのです。京都伊勢丹の食料品売り場。しかし一枚千円もするので迷ったけれど諦めました。

この鯨、沿岸でも獲れました。その昔、紀州と勢州の鯨争いがあり伊勢奉行は見事に収める。吉宗に評価され、江戸で名を上げる切掛けとなった大岡越前鯨裁きの有名な逸話が残されています。
また長崎・平戸では島民全員へ平等に別けたそうで、一頭捕獲すれば村が一年潤ったとある。日本人にはそれほど鯨は身近な存在でした。
1853年浦賀にペリーが来航したのは、鯨を求めて日本近海に来た米捕鯨船の水と食料を調達することが本来の目的だとする説もあります。アメリカでは当時まだ石油が採掘できず燃料や光源などとして鯨油は重要資源でした。
アメリカ近海は鯨を採り尽くしており、遥か東シナ海、日本海域へ遠征しければならなかった。これが真実。だが米捕鯨船は油を採った後、肉や皮、骨などは全て投棄。日本人の様に肉を戴いた後、生き物へ畏敬の念や責任を果すため、髭(絡繰り人形に使うバネ等)に至るまで全て利用し尽くし文化を作りあげる知恵は無く、生命の尊厳に感謝する精神さえサラサラ持っていませんでした。それが今、哺乳類だから保護とは身勝手極まる論理。
ところが、この捕鯨船の乗組員は親切。日本人が難破して今の鳥島に流れ着いた際には、同じ海の仲間として親切に処遇。当時、日本は鎖国状態。外国人が入国する事はできません。だが言葉ができなくても阿吽の呼吸。次第に打ちとけ態度と単語を何とか解し、危険を犯してまで日本人が行きたいところへ送るのです。この裏には先年、遭難して捕鯨船に助けられ、教育を施されたジョン万次郎が伝える日本の正確な情報も得ており、その知識を持ったうえでペリーは日本に。いつの世でも情報は大切です。
アメリカ本土でロックフェラーが石油を発見した後、鯨油の必要はなくなりましたが、今に名が残っているのが石油の取引単位であるバレル。その由来は船に人手で樽を積み下ろすために作られた樽のこと。この大きさは人が扱う最大限度。真ん中が膨らんでいるのはレールに乗せても落ちないための工夫。油は船内で煮て採り樽に保管しました。

ベトナム人に鯨肉を食する習慣は無いが、南部では鯨を神様として祀っている民間信仰が続いています。
HCM市郊外。見渡す限り一帯はマングローブ地帯が拡がるカンザー県。世界規模であったが戦争で破壊され、今は森林局が保全管理。海岸は海水浴場にもなっていて夏場は大賑わい。海の家も開かれてなかなか楽しい。また野趣溢れるジャングルツアーに参加する国内外観光客もいます。*コラム117「トンネル要塞を見てみよう」で一部紹介。
サイゴンツーリストのリゾート・ホテルから、更に奥に行ったバンラック村に鯨を祀るお寺があります。流石に此処まで来る外国人は殆ど居ませんが、市場の直ぐ傍に、12Mの鯨の骨を安置してあるリアルな光景。誰でも入れます。祭壇にはローソク立てと賽銭箱。村人は線香を手向け神妙に感謝と安全への祈りを捧げています。
ことの起こりは16世紀~17世紀。グエン朝の古文書にはこの信仰の内容が書かれていて、海で遭難した時、鯨が溺れた漁師を海岸まで運んだという言い伝えがあります。この伝承を地元漁師が信じており、海の安全を祈願するため鯨を神様として崇め、毎年8月16日にLe Nghinh Onhと呼ばれる鯨祭りを催します。ベトナム語で鯨はCa Voi、即ち海の象という意味。
この日は100隻の舟が一斉に沖に漕ぎ出し、鯨の神様を迎えに行く儀式から始まります。大きな船には山車が載せてあり、此処に神様をお乗せして神社で厚く敬い歓待します。賑やかであればある程、神様が喜んで魚が沢山獲れるという現実的な利益を得る期待感、縁起担ぎの神頼みが本音かも知れません。
他地域にもいくつか祀りが有るそうで、水産のトップ2であるメコンデルタ・バクリュウ省では旧暦3月10日がこの日となっています。
日本では動物が眷属(けんぞく)、即ち神様の使いが多く、世界的観光地として有名な伏見稲荷大社の狐はその御使。住吉大社は海の安全を護る海神を鎮座。全国各地に住吉社があり、海の安全を祈願して祭祀を行ないます。

株式会社VACコンサルティング 顧問
(IBPC大阪 ベトナムアドバイザー)
木村秀生