ファンティットは、フーコック島、ニャチャンと並ぶヌックマムの三大産地のひとつ。近海で採れる小魚と塩だけで造る自然発酵調味料で、道沿いに幾つかの老舗があり直売しています。此処は正真正銘ヌックマムの匂いが満つる街。
また道筋に観られるのは一面のタンロン(ドラゴンフルーツ)畑。タンロンはサボテンの実です。採れたてのタンロンを山と積む店が並び、車から降りた誰もが品定め。大きくて色鮮やかな実を選んで値交渉。
ファンティット名物は海鮮料理。どの店も新鮮な魚介類が味わえるが海岸縁のカイバンは有名店。生け簀で泳ぐ蝦・蟹・魚から好きなものを選ぶが値段はkg単位で表示、お客の注文に応じて調理してくれる。海鮮焼き飯は美味。店内は香ばしい匂いが充満して食欲をそそります。言葉と品書きはベトナム語なので不明なら指差しで。夜になると烏賊釣り漁船の灯りが水平線に並び豪壮な光景。一夜干しも一押しの一品です。
見所はかつて中部一帯を統治したチャム遺跡。石材を組んだだけの建物だが、精巧な建築法は未だ解明されていません。祭祀は今も続いている。
少し離れた山には巨大涅槃仏がありロープウェイで往復。薄暗い休憩小屋の囲炉裏には湯が沸り、日本の行者宿の焚火を熾した煙と同じ匂いがして懐かしい。
・フエ 1993年に世界遺産 京都市とは友好都市
此の地は歴史と文化のかほりが漂う。山から流れくる水を集めた香河。世界の芸術家の彫刻を置く河畔には紅い火炎樹の花が咲く。山紫を仰ぎ見られるのは京都と同じ匂を感じます。北側3キロ四方に旧市街に王宮が残り、堀の内側は東西南北に走る街路はほぼ条里制で木立が覆う閑静な佇まいの街並み。此処に日本人が家族と居を構え、当時は珍しく雑誌に掲載された程。彼が信じる占い師の宣託を受けたが、事情で帰国後暫くしての逝去までは見通せませんでした。
香河を少し遡上すると、六角形の塔がシンボルのティエン・ムー寺。庫裏では子供の見習い僧が修行。本堂に観光客は来ないが僧は漢字の読み書きと流暢な文字を墨書します。境内には世界に配信された驚愕の報道、サイゴンで戦争に抗議して焼身自殺を遂げた高僧の遺品、愛車オースチンが展示してある。
1802年に初代嘉隆(ザー・ロン)帝がグエン朝を成立させ、明命(ミン・マン)帝の御世に王都が完成しました。この王宮と歴代の帝廟群を見て回るのがフエ観光最大の見どころ。嘉隆廟も明命廟も舟で行きますが、嘉隆廟は最も遠い山麓に造営されたため、観光ツアーでは行けません。明命廟はJICAが日本の宮大工の手で歳月をかけて修復。この落ち着いた佇まいと気品ある端正な廟が好きです。
フエと言えばチン・コン・ソン。600曲を作ったシンガー・ソングライターで根強い人気がありました。
哀愁を帯びた彼の曲が何時も流れるフエのCafé。ゆったりと優しく低い旋律が醸し出すこの地への想いを馳せ、しみじみ聴くのが心地いい。
彼と国民的歌手カン・リーとは、彼女のためだけに楽曲を提供したと言う位のコンビ。彼女は来日してレコードも出しています。加藤登紀子とは親密な間柄。名曲「美しい音」は天童よしみ、島津亜矢が、また高石友也などもカバーするほど日本と音楽を通した関係は深い。多くの曲は過激な反戦歌でなく女性歌手ジョーン・バエズと同様、戦闘行為より一般民衆への訴求力は強くインパクトに触れる、辛く切なく悲しい恋歌。戦争世代の多くのベトナム人、フエ出身者の友人などカン・リーの歌を聴いて目に涙。フエは史上に残るテト攻勢で無辜の民間人犠牲者を多数出した所。その想いが心に響き、胸に込み上げてきます。
私にはフエはまた反戦と空虚な悲しみを感じる街でもあります。
ソンは96年に来阪するが、2001年に死去。98年に大阪の音楽家が会いたいと総領事館に相談するが、既にガンに侵され面会は不可能でした。
翌年HCM市タンダー地区ビン・コイ村のステージで行われた追悼コンサートにフォン・ニュン等が参加。万来のなか、日本人は私だけ?よき思い出です。
「一緒にアメリカに行こう」。約束の港でカン・リーはチン・コン・ソンを待ち続けます。だが何時まで経っても一向に姿を現さない。何かあったが迫る時間、仕方なくカン・リーは船出。つまびらかではありませんが、チン・コン・ソンは監視されていて抜け出せなかった様です。彼はこの件には一言も話さず真実は墓場まで持って行ったのだが本人自身が歌詞の投影者。
幸運にもカン・リーは10%にも満たないというボート・ピープルの生存者。アメリカでも在住ベトナム人の前で懐かしい故郷の歌を披露して満場の喝采。国は捨てたけれど誰も心まで失っていません。
カン・リーはようやく故国に戻れたがチン・コン・ソンに会えたのは僅か5分ほど。もはや何の言葉も交わさなかったようです。最後のさいごはサイゴンでのあっけない幕切れ。戦争で引き裂かれた者の気持ち、余りにも惨酷過ぎる。
(NHKスペシャル 家族の肖像‘サイゴンの歌姫‘22年ぶりの祖国 に詳しい)まだ多くの人の心の中では戦争の傷は癒えていません。
フエにも町家があり、花に囲まれた広い庭のある民家が幾つか残っています。何軒かはレストランに改装、古都のたおやかな雰囲気に浸りながらフエ料理が味わえます。綺麗に装飾された宮廷料理から、バィン・べオなどの餅料理、少々辛口のブン・ボー、名物シジミ飯など郷土の味も美味。
株式会社VACコンサルティング 顧問
(IBPC大阪 ベトナムアドバイザー)
木村秀生