街のにほひ ⑤ 小さな旅に出かけよう

2020年10月1日(木)

ハノイの古き家の造作は壁をレンガで積み、木材を横架している瓦屋根構造。2階の窓は小さくとってある。王様が通る際に窓から見下ろしてはいけない、というのが起源だとされます。また「うだつ」も同じく隣家との境の壁際に設えてあり延焼を防ぐのが役目。だが近代化の波はこの地域にも押し寄せホテルなどに生まれ変わる。かつて豊かさ象徴の家も時代の流れで随分変わってきて小さく片隅に追いやられました。一部は保存されていて見学できるので、往時の商家の生活ぶりを偲び歴史を感じることができます。

36通りの北はベトナム国鉄で遮断されていて、鉄路はそのままホン(紅)河に架かる「鉄の龍」ロンビエン橋を渡り港町ハイフォンに続きます。この橋はエッフェル塔を設計したギュスターブ・エッフェル社の建設とあるが、これは間違い。確かに多くの有名な橋を此処で設計したがこのコンテストでは落選。橋は植民地時代に悪代官ドゥメール総督の発案、3年もの工期で1902年に完成。全長1600m、当時としては東洋一の長大橋、世界でも2番目の長さを誇った文化財です。
橋は戦争中の米軍にとって格好の爆撃目標になりました。かつてTV取材の際、河に沈み入る夕陽を撮るために船をチャーター、その瞬間を待っていたのですが雲がかかり出して諦めたことがあります。撮れても僅か数秒なのだが。
橋の周辺では朝市が開かれ、近郊の農村から早暁まだ暗い内に新鮮な野菜が届きます。私が1997年初めてハノイに来たとき、この辺りはまだ地道。季節は春先、花冷えの雨が降ってきて瞬時にドロドロの泥濘になりました。湿気を帯びたかび色の匂いが印象として残るハノイ。
湖の西側には一柱寺と文廟があり、蓮池の中ポツンと1本の柱にお堂が立つ。だからその名の通り一柱寺。土産物屋で売られている漆絵にもよく描かれます。そのすこし南に立派な建物が並んだ文廟があります。王朝は中国に倣い儒教を国の教えとしその基幹となるのがこの文廟。官吏登用に科挙制度を設けました。最終合格率は5%位という狭き門。合格者は石の亀に乗せた石碑に1306名の名前が刻み込まれ、時空を越えて栄誉が称えられています。大阪に住んだ知人は「私のおじいさんの名前があるよ」と、何世代も前なのに今更ながら誇らしげに語っていた事があるほど、一族一党が家系の永遠の誇りとしています。ユネスコ世界遺産に認定。HCM市と違い見る所は多い。
名物フォー(PHO)は日本でも有名ですが元々はハノイの食べ物。ベトナムは米文化。麺も米から作られるものが一般的で、全国各地には特色のある麺がたくさんあり、それぞれの郷土の味をお試しください。

・港町ハイフォン

港の女はお人好し・・・と五木ひろしが歌っている。確かに親切、気が強いが情は深くて美人だが、腹の内はまったく読めない。これは世界共通だと聞く。
日本は日本海側が大陸との接点があったため秋田美人、加賀美人とか博多美人と言うが、太平洋側でこの呼称を聞いた試しはありません。
海を隔て外国と往来がある港。国は違えど男と女の出会い。混血が繰り返されるのが美の原点。長い航海、いつ再び会えるか分らないが信じて待ち続ける。荒くれ男を相手に子供と生きて行くには、したたかに、しっかりしなければと自然に強くなる。内陸ミートー、サデックも血の交配のため美人が多いとか。
櫻井よしこさんは幼い時に此のハイフォン港から母親に抱かれて帰国の途に。 小説浮雲では主人公の幸田ゆき子が昭和18年10月に此のハイフォン(海防)
に上陸しています。現在は道が立派になりましたが、以前は悪路、確か3時間くらいは掛かったと記憶がある。ハノイからハイフォン行きのこれまた超遅い列車と並行する所での競争はどっこいという有様。懐かしい時代がありました。
1990年後半に日本の工業団地が出来たのだが全く売れない。商社の担当者は苦労したが今は宝の土地。近未来の経済予測は難しい。
市内に日本食レストランが一軒あり、HCMの馴染みの支店なのでご厄介を掛けましたが、遠く離れても縁が続くのは有難い。店の娘さんも綺麗で親切だがご多聞に漏れない。
この地は要衝。トンキン湾での米艦船への魚雷発射捏造がアメリカの戦争への口実作りとなるが、ハイフォン港にはソ連艦船も停泊し爆撃は危険行為でした。ハイフォンはベトナムの重要な歴史上の生き字引そのもののです。

・ハロン湾・バイチャイ

ハロン湾。海の桂林とも言われる有名観光地だが、桁違いに広く石灰岩で出来た島は奇しくも美し過ぎて神秘的。龍が宿る海との伝説もあって北部観光最大の目玉。一部海域は侵入が禁止され保護されています。中に撮影に入れたのは外務省の検査官が居るお陰。誰も居ない海をクルー全員が役得で満喫しました。
バイチャイ橋が日本のODAで完成して便利になりました。ハロンからこの橋を渡れば無煙炭を産するホンガイ。巨大なボタ山が築かれ、石炭運搬のために鉄路がありますが、道と言う道は地面が粉塵で真っ黒。日本なら差し詰め筑豊、青春の門。大竹しのぶは初々しく「信介しゃん」が決めセリフ。こんな純粋な時代もあったのです。
石炭採掘は日本の炭鉱が協力して超効率的に。この無煙炭、製鉄には欠かせません。ハロンは厳かで神秘的なにおい、バイチャイは工業化を進めるため必要な石炭を産出する産業の原点のにおいを感じる所です。

株式会社VACコンサルティング 顧問
(IBPC大阪 ベトナムアドバイザー)
木村秀生