ベトナム通貨に纏わるお話①

2020年12月30日(水)

日本では2024年に新紙幣を発行予定だが、これは偽造防止が目的だとかで20年ごとに行われ、その度お札に描かれる人物がほぼ代わります。歴史上で夫々の分野や社会に貢献した偉人が沢山おられると今さらながら感じ入る。
今回、一万円札は実業家の渋沢栄一、五千円札は教育者の津田梅子、千円札にペスト菌を発見した細菌学者北里柴三郎。紙幣の裏は1万円札が東京駅、五千円札は藤の花、千円札には葛飾北斎の富岳八景が描かれ、日本的で美しく芸術品レベルです。
旧紙幣は、一万円札が聖徳太子→福沢諭吉、五千円は聖徳太子→新渡戸稲造→樋口一葉、千円は伊藤博文→夏目漱石→野口英世の順で、今回の偉人へ変更。
また手元に古い紙幣があって五百円札に岩倉具視、さらに百円札には板垣退助の肖像画になっていますが、勿論今は使われていません。
聖徳太子の一万円札の裏には平等院の一対の鳳凰、また岩倉具視の五百円札には本栖湖から見た富士山が描かれており風格と歴史が読めます。
現在、徐々にキャッシュレス社会になる過程にありますが、まだ多くの日本人はお札を使っているし、かつては聖徳太子一枚とか、福沢諭吉二枚貸してなど親しげに言ったもの。軽い一枚のお札に重みを感じ、深い有難みがあった。
その昔ポケットの中を確認せずに洗濯。新幹線の未使用切符は見事に紙くずと化したが紙幣は何ともなかった喜びの記憶もある。

さてベトナムの通貨の呼称はドン、すなわち銅の意味。400年前朱印貿易で栄えた頃に日本から輸入された銅がその名の始まり。また千の単位はギンで、これまた同じく日本から輸入した銀がそのまま受け継がれています。当時我国は金銀銅の世界的産出国、日越間での通商が古くから繁栄した証拠。
ベトナムもキャッシュレス社会へ移行中、85%がスマホ決済を利用している。紙幣は2百、5百に1千、1万、2万、5万、10万、50万ドン札があり、市場など市井ではまだ普通に使われていて、当面はなくならない様です。
かつて素材が紙だったのが今はポリマーに変わり、全てホーおじさんの顔だがそのまま肖像がリニューアル、オーストラリアで造幣されています。
ほんの一時期100万ドン札が発行された事がありましたが大層不便。今ではそんなのあった?と完全に忘れ去られました。高額紙幣がでるのはインフレが酷い証、ただでさえお札の価値は下落する。キャッシュレス化が進むと紙幣の役割は低くなります。新年のお年玉やお祝いに現金を渡すのではなくスマホでと味気ない方法に変わるかもしれません。これでまたひとつ、渡す人の気遣い、受け取る者が手にして想いを馳せる喜び、生活習慣上の感性や伝統文化が消え去るのは残念で寂しい。
古いドン紙幣はかなり汚く、日本の様に頻繁に交換されないため綺麗でない。またポリマー札は実に困りもの、偽造防止のためだが、折るとシワがきっちり付いてとれない。これはまだいいが熱に弱いのが欠点。チリチリに縮むは色が変わるは、擦れると絵柄が判らなくなるほどに汚くなります。
ポリマー札は微妙に感触が違います。日本の銀行で札を数えるような職人芸、かっこいい捌き方は出来ません。新札はピタッとくっついて離れませんから、時たま多めに渡すこともありますから、両替屋では念のため目の前で確認しましょう。万一間違えばもう一度その場で確認させること。

硬貨の歴史は新しく10数年前にようやく発行されて5種類。200、500、1000、2000、5000VNDがあります。
発行当初は地方に行くと珍しく、もちろん本物の金や銀とは夢にも思わないが、誰もが欲しがった時分がありました。だがこの硬貨は厄介者。自動販売機など使える場は殆どなく、出動機会が少なく引き出しに眠ったまま。当然だが此処ではコイン用のガマ口はありません。結局はお札の方が使い勝手が良いのです。

さてお気付きと思いますが、何故か100VND貨幣がありません。実際には奇数のお釣りはありますが、100VNDはどう処理するのでしょう。レジでは500+200+200=900など組み合わせるなんて絶対にあり得ない。小額の釣銭を返すなんてことは皆無。
同じく端数が300ドンの時、顧客も500ドン渡して200ドンのお釣を貰うなどシチ面倒くさい要求などしません。500ドン渡せばそのままレジに納めるか、時たま取らない。互いに阿吽の呼吸なのかそ知らぬ顔。端数処理を任しているのかレジ担当は気にせずテキトーな気分を穿ちます。
市場や露天では心得ていて1000ドン単位。いちいち計算など面倒臭くてしない。肉野菜など買えば香草やネギをお釣の分として目の子で入れてくれる。
日本人のように「1円足りなくても電車に乗れないぞ」、なんてお金の大切さを家庭で教えることは一切ありません。日本人は律儀にもキチン合うように努力するけれど、はっきりいって無駄。ベトナム人は何をするのだろう?と冷めた目で見ている。ここに日本人の几帳面さとベトナム人の何につけてもアバウト感覚という、双方国民的DNAがしっかりと現れます。
過去に日本で1円玉が不足した時、社員こぞって集める努力をした事があったが、此処ではそんなチマチマした無駄な抵抗など致しません。よく言えば鷹揚、悪くいえばズボラなのか民俗学的見解は分かれます。
だがキャッシュレス社会になると、このお札、文化はどうなるのでしょう。

株式会社VACコンサルティング 顧問
(IBPC大阪 ベトナムアドバイザー)
木村秀生