COVID-19が蔓延する中 田舎暮しは健康にいい

2021年10月5日(火)

COVID-19感染を封じる優秀な国の代表格であったベトナム。だが7月になって感染者が急増。最も感染者が多いHCM市は連日4千人を上回り、また全国の累計感染者は18万人を超え、収まる傾向にない(8月5日現在)。
市当局は7月9日0時から外出禁止措置を講じました。外出許可証が無ければ外には出ることが出来ない。マンション内部での散歩も違反とされ罰金だとか。
7月初めには100カ所程度だった地域封鎖が今では数千カ所ともいい、市域全体がこの様な状況。また日を追って行動制限が厳しくなり、特にHCM市では緩和の見通しが立っていないと聞きます。
スーパーは5時まで、庶民が行く市場も何カ所かが営業を認められただけで、食料・生活物資が足りず船でメコンから送ってくると言います。
日本総領事館からは在留邦人へメールが送付され、これは事実上の帰国勧告だと知人は語っていますが、周りにベトナム人がいるなど、言葉が分らなければどうしようもありません。

では何故このように急激に感染者が増えたのか。筆者は疑問であったのです。あくまでも噂でしかないが、実は隠れ感染者がいた。検査が進んだ事と精度が高くなった為に急激に数が増えたとされます。
即ち検査方法に問題があった。昨年から中国製簡易検査キットを使っており(一部に韓国製もあったが中身は実は中国製)、しかも厳密な温度管理を行わなかったのが理由だと囁かれているのです。その後、日本製が入ってきて適正な管理ができるようになり、正確な検査ができたので数字が膨らんだと言われるが、真偽のほどは何とも分かりません。

この最中、笑い話にもならないけれど不倫中の男女。自宅に戻れなくなってしまったそうで知人にSOS。家には家族がいるのにと心配するもどう処理したかだが、スキンシップが過ぎたのか、女に陽性反応が出て隔離されたとか。
またCOVID-19に感染したと解って気の毒にショック死した方もあるとのこと。
現地では病院は受け入れるだけ受けているがもう限界。日本と同じように医療従事者は献身的に頑張っているが収容ができず、学校やマンションの仮設病院送りだとか。さらに7区に野戦病院(Benh Vien Da Chien 16)が完成。
こうなると外国人であろうが適切な処置は受け入れられない。外資系病院では患者を受け入れないそうで、アキラメルしかなさそう。インドネシアなどの様に邦人の死亡は聞かないが、これ以上蔓延すれば火の粉が飛んできます。

行政ではHCM市で収まるまでに数カ月かかるとの見方をしているようです。従ってこれ以上HCM市に居ては危険だから、若者は故郷に帰りなさいという。現地報ではどんどん実家に戻る人が出来てきているそうです。
外資系工場でも工員は通勤できず、ホテルが確保できない。このため敷地内でテントを張って泊めると言うのだが、何分に若い人たち。することもなく悶々。
現法社長が心配するのがデキチャッタにはならないかという。
実際のところ操業できず困っているようで、加えて労働局でも仕事にならず、取り敢えずビザは自動延長されるが労働許可は滞り、こんな時でもしっかりしている税関では、心付が増えたと怒り心頭のご様子。
こんな事はどうでもいいが、日本企業で医療関係器具等を製造している工場が幾つかある。かつてAPU留学前に知人がこの一の会社に在籍。EPZの中で高品質製品を製造しているが、これが日本に来なくなる事態だってあるのです。
日系企業は生理衛生用品でさえ車両の通行が困難なため必需品なのにと恨み節。
まあ、こんな話はいっぱいあり、ネタは尽きずどんどん出てきています。

日本・アメリカからはワクチン支援があったがとても足りない。現地の報道では詳しく伝えられていますが、フランスは自国民にワクチンを送ったとかだが、我が国政府はそういう気配は見えない。実施が困難ならただ同胞の無事を祈るだけです。
ベトナム政府は塩野義製薬と技術移転を協議中で他に韓国のメーカとも協議。
しかし早くても今年に供給できるのかは疑問です。

まだ日本の場合はなんだかんだと市民は好き勝手に毒づく。酒が悪者にされ、業界からは文句を言われ、路上で若者が酒を飲む。ストレスに我慢できず街へと繰り出し。見本となるべき公務員まで会食を重ねて感染。どうしようもない。
こうした行為に我国では強権発動はできず行政はたじたじ。東京での感染者が5千人を超えると現政権は持たないと田原総一朗が言っているが、これが日本。
ベトナムでの状況からすると我儘。是非はともかく鶴の一声で封鎖が決まり外出はできず、禁を犯せば見回りに捕まって罰金を課される。
優等生が油断したのかワクチンを過小評価。さて、この先両国の状況は如何。

さて本論
こんな中で古くからの友人がメール。昨年6月に生まれた可愛い女の子がもう立っている。産前産後の休みが長くとれるうえ、日本より進んでいると思うのだが、昨年の春からはテレワーク。
本人は一昨年、自宅を売ってダクノン省の山の中に土地を買って主人がブルドーザーで開墾、瞬く間に広い農地が出来ていた。
私が日系企業に居た時に採用した子だが、新聞社に勤務する傍ら、コーヒーの製造販売を長く続けてきた彼女。これから有機栽培に取り組んで自分で製品化と販売まで行う6次産業に目覚めたのです。
HCM市から車で行けばフィールドまで数時間かかると言うが、まだ行った事がありません。そのうちにと思っていたら、もう2年間も行けずじまいで残念。
メールにはCOVID-19からは蚊帳の外。星がきれいで、空気が澄んでいてとある。
ベトナムは農業国。だが改良や製品化がかなり遅れておりまだまだ参入の余地があります。昔から40歳を過ぎればリタイアして悠々自適する夢を語っていたが、この事業を成し遂げるにはもはや無理の様。しかし着実に自分の夢に向かって挑戦しているベトナム人が友に居るのは誇り。成功まで見届けられるか。

株式会社VACコンサルティング 顧問
(IBPC大阪 ベトナムアドバイザー)
木村秀生