COVID-19禍で

2021年10月30日(土)

・こんな時でさえベトナムから入国

9月10日、日越経済連携協定に基づき、ベトナム人看護師・介護士候補者が95名入国したと言うニュースがありました。今回で8回目ということだが、11日にも108人が入国のため合計203名(看護師37名、介護士166名の候補者)となり年々増えている。
彼らは既に母国で1年間日本語研修を受け、日本語能力試験でN3を取得済か、個人的にN2を取得しているが、この先2カ月間、日本国内で日本語研修などを受講した後、国内の受け入れ先病院・施設で雇用されるとなっています。
2014年に初の第一陣が来日。昨年までに合計1340名が来ており、このうち看護師116名、介護士484名が試験に合格していると言うが、他国に比べて合格率は高い。私の行く病院にも今年から二名の看護師が病棟で勤務しており馴染んでいる。海外から外国人の入国は困難なのに、このような若い人材がベトナムから入国しています。
日本で高度な看護技術を学びたいと強い意思と情熱を持ち、この様な制度が無かった時でさえ、ビザ取得が難しく費用もとんでもなく高額なのに、ベトナムから何人も看護師試験を受けに来日していました。1990年代のことです。
私が初めて渡越した1997年3月、ノイバイ空港に旅行社のアルバイトで迎えに来てくれたのがTHANHさん。ちょうど日本から帰国して間なしだったと言うのです。この半年ほど前に読売テレビが放送した「ドキュメント97」、日本で看護師試験を受ける過程を取材された友人と一緒の訪日でした。出身地ナムディンで日本語を学習し、日本で支援者から日本語の指導を受けて望んだが結果は不合格。難解な医療関係の専門用語など教えられる人など現地にいる筈など無く、余りにも理不尽で酷な話。多くの受験生が涙をのんでガッカリ。
彼女には関西のプロサッカー・4チームのU20と、ハノイ公安チームが国際親善試合を行った際に通訳を依頼。この後国内で偏差値の高いハノイ貿易大学へ進学し日本企業へ就職したほど能力が高い女性でした。
その後も何人かがチャレンジ。少しずつ合格者が増え、千葉県船橋市の病院は多くのベトナム人看護師を採用してくれました。長くフエ市に滞在した知人はベトナム人の奥様と子供を連れて帰国。西船でフエ料理店を営んだ際には唯一ベトナム語が飛び交う店として人気だったのですが、彼は暫くして他界。寄り添ってケアしてくれたのが同朋である彼女達ベトナム人看護師でした。
帰国した人の中には国際病院で勤務。日本語を活かして日本人患者をケアしてくれた方もいる。早くにこの制度を作るべく行政が動いていれば日越双方に多大なメリットがあったと悔やまれる。こんな裏話が20数年の間にありました。

・感染状況と経過

10月5日現在、全国の感染者は82万人、死者がほぼ2万人と高い死亡率。
南部は感染者が多く、HCM市はロックダウンを2カ月以上も行いましたが、第4波以降、連日報じる保健省の速報値に拠ると全感染者の約60%と最大数、厳しい外出制限などの社会的隔離政策を課していました。次いでビンユン省、ドンナイ省、ロンアン省の順。
これまで感染者が出たアパート等からの出入り禁止だったのが、全域となれば全ての人を対象として外出できるのは本当に必要な場合のみで、自宅で留まる様に要求されます。また何が必要な場合かと言えば食料、薬品など必要不可欠な商品やサービスの購入だが、例えば米は良いけれどパンはダメと無体な解釈で罰金を課す馬鹿げた話を報じている。
またアパート敷地内での散歩も外出にあたると弁護士が解説する程、厳格というか呆れるくらい錯綜していた。もし咎められると100万~300万VND(約5千円~1万5千円)の罰金刑となります。
要は公安などの胸一つ、と言ってもいいけれど、ある日本人が外出しようとして見つかり、何とか言い逃れはしたが例え家の外に出て体操するだけでもいけないなど。精神的にもはや限界となるまでの辛い状況にある。
だが巡回監視する公安に感染者が出て亡くなるケースもあるなど、7月24日になって夜6時~翌朝6時までの外出禁止と、家庭ごとに配布される買い物券に記載された日にしか買い物ができないなど不自由さは増すばかりでした。
こうなると困るのは外国人。生活できなくなります。

ところが感染は留まるどころか8月に入ると増加する一方。20日には買い物さえ認められないとの噂が出て、食品の買い出しに奔走。このためスーパー等では生鮮食品はスッカリなくなりました。またガスはプロパンだし水道水は飲めないのでボトルを買うがもたない。冷蔵庫が無い家庭は食品が保存できない。
我先に買いだめに走るのはやむを得ないことだが、規制を強化するたびに恐怖心に煽られた市民はフェイクニュースに踊らされるようになったと言います。これには当局がSNSで買い占めしない様に注意したとあるが、もはや止められるものでは無い所まで来ました。経験した事が無い災難といえ、いわば行政の不徳の致す所。
恐らく昨年はこんな事になるとは露知らず国内旅行で需要を掘り起こし。封鎖されたとしても、下町の飲み屋では遅くまで常連たちが酒を傾けてモッ・ハイ・バーとやっていたが、よもや此処まで酷くなるとは見通しが甘かったか。
8月23日以降、外出制限が強化され、9月15日までとなっていたのが30日まで延長されたと、現地から。仕事はリモートとあったが、こんな状況、日本人は想像できるでしょうか。

・感染経路不明では処置無し

これまで感染者の隔離、濃厚接触者の特定、地区封鎖を行ない、拡大を押えてきたが8月に急速に拡大。これは感染経路が特定できないと言う原因に外ならず、知らず知らずにウイルスを撒いていたのです。経路不明が約50%とされるが、これは行動制限が実は十分守られていなかったのではという疑念と、検査を受けたからこそ陽性が判明したわけです。または陽性ではあるけれど、無症状者が多かったのではと考えられます。

株式会社VACコンサルティング 顧問
(IBPC大阪 ベトナムアドバイザー)
木村秀生