二つの訃報

2022年8月3日(水)

・中村信子さんご逝去

ベトナムのことをかなり良く知っている、という御方でさえ、殆どご存じないのは残留日本兵が果たした役割と、中村信子さんについてです。
残留日本兵のことは以前にも書いたが、先日、日越友好協会京都支部が行った2回目となる京都に在住する留学生・実習生への食糧支援では、ベトナム人の若者が色々と応援してくれました。この内の一人S君の出身地がクァンガイ省と言う中部の省だが、彼の地は日本陸軍の石井少佐がクァンガイ士官学校を造って教鞭を執り、トゥイホア軍政学校長を歴任したところです。
彼はフランス軍に最も恐れられ警戒された人物だが、ベトナム人に近代戦術や秘密戦での戦略・戦術などを教えました。
ベトナムでよく言われたが、アメリカと戦争に勝てたのは元日本軍人が無償で献身的に近代戦を教え武器等を供出したからということ。しかし皮肉にも戦後、時の政府に平和に暮らしていた家族とある日突然引き裂かれ、秘密裏に帰国を強制されたのです。まさに掌返しの不条理な仕打ちだが、この裏に軍事顧問であった旧ソビエトの意向があったとされているけれど真相は分っていない。
ベトナム独立ため私利私欲なく残留して戦った日本人兵士・士官は多い。私が在住した時にはまその生き字引として活躍された落合さんが日本商工会に在籍され、同じ部会でお世話になり、戦時下の劇的で数奇な話も聞くことが出来きたのは幸運でした
ところが件のクァンガイ省出身のS君、先の様な史実を全く知らない。もはや教えられていないようだが、多くの日本兵・士官までが帰国せずベトナム人と死をかけて戦闘に臨んだなんて、これは日本人も一部でしか知らないことです。

さて、VOV:ベトナムの声放送で、かつて日本語アナウンサーとして日本向けの放送をし、サイゴン陥落も伝えた中村信子さんが5月13日に逝去されたことを報じました。享年100歳。一つの歴史が幕を閉じました。
此処までは一般的な報道ですが、これまで何度かコラムに書いたベトナムの農学者であるルン・ディン・クア博士の糟糠の奥様なのです。長崎県佐世保市の出身で在住の県出身者とも親しくされていました。
彼女が書いたご本を見ると、九州大学に留学中のクアさんと出会い、クアさんはその後京都大学農学部で外国人初99番目の博士号を取得。越・日・英・中等の語学に堪能で本来嘱望される人物だったのです。
1952年、ホー主席を尊敬していたクアさんはある事情でサイゴンに戻り、稲作研究を行なっていたが、その様な中で連絡があり兼ねてからの計画を急遽決行、夜陰に紛れハノイへ一家揃って移住したのです。信子さんは63年ごろVOVで日本語放送開始と同時に勤務。各地の村を回って解放の実情を見聞。友好国でさえ分らない、時の北ベトナムの真実を最も良く知る方でした。
クアさんは自宅で若くして突如逝去。ホー・チ・ミンさんから労働英雄の称号を与えられたほどの優秀な人物でした。道路の名称として名前が冠されている。
信子さんは帰国するも彼女を利用しようとする輩が居て、会社を作って騙され、ベトナムに戻って安寧の棲家を得たのです。
数年前に逝去したヴォー・グエン・ザップなど政府要人とクアさん共々親しく、過去には何か問題が生じた際に助けてもらった在住者も居たと聞きます。

・日本人の子供がプールで溺死

日本のメディでも報道されたこの事件。私はこの1週間前に現地の日本人から状況を聞き、ベトナムなら普通にあり得る真相隠しを見ました。
日本で報道されていない内容もあり、全ては控えまるが、しかしベトナムならでは、何もおかしくない前近代的事情もあります。
4月5日、事件が起きたのはムイネーという保養地。何度も行った好きな場所の一つなのだが、かつては鄙びた漁村、ホー・チ・ミンさんが教師として赴任したファンティエットにある。
海に面した砂漠や浸食された山がまるでグランドキャニオンの様だとこじ付け、観光客を集めて急速に高級リゾート地化。気候を利用したヌックマムの産地であり、実はサボテンの実であるタンロンの一大産地でもあるのです。
事件は子供用の1Mほどの深さしかないプールで起きた。140cmの子供なので普通なら溺れる筈はない。写真では背中一帯に格子状のあざがあり、これは排水口に吸いこまれて付いたものです。誰が見ても一目瞭然。しかし地元の公安やセンタラミラージュリゾートを運営する業者、大手不動産業ノバランドはこの排水口に吸い込まれたことに起因する溺死だと一切認めていない不条理。明らかに責任逃れでしかありません。
ところがベトナムでは企業と官との癒着がほぼ公然と行われているのが現実。強いものが袖の下を使ってもみ消してしまう実態がある。長く在住していればこんな事は日常行われている現実を知っている。そこで日本人の父親は居住するHCM市の日本総領事館に訴え、総領事館経由で事実究明を請願しているが、何処まで当局を動かせるのかは極めて疑問です。これは首相が動いて究明する指示を出さなければ沙汰闇になること請け合い。岸田首相が訪越した際、チン首相に内々に究明を促すべきだったのです。
かつてハノイで日本人児童の誘拐事件があったが、これは政府のひざ元。直ぐに公安が動いて犯人を逮捕し児童は無事だったが、国際的に大ごとになるのは避けたい政府の意向が働き、メンツをかけたのです。
日本でもこうした事件があったけれど、事件は警察が詳しく調べ責任者などは業務上過失死事件として裁きを受け、それなりの補償をしなければならない。
だが此処では、例えば現地の者同士なら比較的簡単に処理される。建築現場での死亡事故でさえ僅かの金銭で口を封じられてしまう。多くの人はそれほど裕福で無いから仕方が無いと諦め泣き寝入りする現実。

今回の出来事、何とリゾート側が児童の死因は転倒したと主張。明らかな虚偽申し立てで公安を盾に逃げ得を画策している。
今や現地の新聞も各社で取り上げ、中には意見として循環ろ過設備はシステム設計が世界の安全基準に準拠していない。
かつては二つの循環システムがあり、オーバーフロー循環はプール上部の溝から溢れた水はフィルタータンクに戻る。
しかし10年ほど前だが、この底部循環系の吸い込み口に水泳中の人が吸い込まれて死亡が多発した事があり、採用しないとしたことを書いているが、事件を報じていないのがこの国。
写真は明らかに吸い込まれたことに間違いない。従って清掃はプールの閉鎖時にするべきだがこれをしなかった。事件解明は簡単。明らかにオペレーションの責任だとベトナム人からもまっとうな提言があったとしている。
とうとう事件が表面に出てしまった。しかも外交ルートで相手国の地元公安へ事実究明を依頼した。これを司法はどのように捉えるのか。
専門的観点から、過去の実態把握から捜査し、解明しなければ国際的に通用しない。しかしこのまま放置すれば、国としての尊厳など無く、まだ社会的には未成熟国、との印象を免れない。
まだまだ理不尽な問題が多々あるけれど、現実を知らない日本人は多い。イザとなれば相手に吸い込まれるだけ。

株式会社VACコンサルティング 顧問
(IBPC大阪 ベトナムアドバイザー)
木村秀生