劣化が進む植民地時代の邸宅 日本でも同じ運命を辿っている古い町家

2023年5月27日(土)

AFP通信によると、ベトナムの首都ハノイ市中心部にある、かつて富裕層が住んでいた植民地時代のフランス様式の邸宅で老朽化が激しいという。この内のひとつに生まれ育ったというグエン・マイ・チーさんは、基礎にひびが入り、屋根は崩れ、階段が反り返ってしまったので、ここから出る事を決めたとある。本心は愛着もあり離れたくないが、此処まで劣化が進めば危険で生活できない。彼が暮らしていた家は邸宅内に分割した3部屋の住居。昨年には保護の対象となるこうした邸宅1200棟が発表され、此の家もそのうちの一戸に選ばれていました。こうした邸宅の殆どはベトナムがフランス植民地であった100年ほど前に建てられたものだが、経年変化と湿度で劣化が進んでおり此処に暮らしている5家族も狭さと騒音、高湿気の問題に直面していると云います。

保護の対象であるというけれど、国の文化財保護政策をめぐっては方針が二転三転しており、一番の問題はこうした劣化が進行する家を保全するための費用がなかなか捻出できないでいることです。持ち主のチーさんは郷土色が溢れるアールデコ調の家で生を受けたが、子供なりにとても綺麗な家だったと回顧。郵便局の鐘の音や、ハノイ駅の列車の汽笛などが聞えるほどにロマンチックな環境だったと懐かしい往時の風景を振り返り、思いに耽っている。
一方、住民も高齢化しており住環境の悪さと先の見通しが無い中でも、今の家から離れたくないと転居を拒む人も多い。此処まで過ごして来たので今更何処にも行きたくないと執着を見せる方も居るけれど気持ちは分かる。ボロボロになった壁なども修理したいが他の住民の同意が無ければ不可能ともいう。
こうした家はかつて宗主国であったフランスやベトナム人建築家に拠るもので、元々はフランスのために働いている富裕層へ提供されているため、100年を経て現在は飲食店や雑貨店などが入居しているケースが多いとある。
古民家の事情や置かれた状況は何処でも同じです。

1959年にジュネーブ協定が成立。フランスが撤退する際には数千戸あったこうした建物は当時の政権に接収され、所有者がベトナムに残っている場合、一部を分割して貧困層への譲渡を無理矢理求められました。そこで一軒の家屋に数世帯が住むことになったが居住面積は狭く、一戸の家ながら一人の考えで何の修理もできなくさせ権利関係などの問題を複雑にしている訳です。
様々な事情があるなかで、一人の建築家が植民地時代の邸宅保存に動き出し、伝統的材料と修繕技術で建築学的価値を可能な限り維持したいと語っている。だが修復後の活用法には課題があり、保存事業はかなり難しいものがあります。
ダラットはかつてフランス人の保養地として開発され、今では国内有数の高原観光地となり、この時代の建造物が一部残されています。立派な別荘も数多く現存しており、現在リゾートとして森の中で宿泊施設として運営されているが、夫々の棟に個性と趣があり、此処での逗留をお勧めします。
現在この別荘は売買が禁止されているが、以前は荒れ放題。価格も数万ドルと記憶しているが、友人から買ったら!なんて気安く云われたことがあるくらい誰も手を出すことはなかった。何しろ改装費用の方が恐ろしく高く付く。
というより、こうした歴史的かつ文化的な価値を持つ建造物を保全しようとの思考と余裕はなかったと考えます。
HCM市では5区にあったチョロン地区の伝統的な、保存すべき伝統的邸宅も残念ながら解体されビルに建て替えられているのを目にしている。黄色い外観で、重厚・荘厳な造り。財力を誇示できるだけの風格を感じました。
かつて中国人の富裕層が住み、此処で幅広く盛んに商売を営んでいたが、数年前は館の周辺は漢方薬店が軒を連ねており、一帯には独特の匂いが漂った場所。
戦争が終わって、彼らはベトナム国籍をとるか、帰国するか二者択一を迫られ、数十万人が帰還。建物だけは近年まで残されていた。何かある、という冒険心を擽られる奥深さを感じる興味深い街です。

(京の町家も悩み 文化庁が京都に移転しても変わらない)

同じ事が日本でも起きており、100年以上経つ歴史的文化遺産として保存しなければならない物件。文化庁は有形登録文化財とするも、修理や保全に掛る費用は所有者とされているけれど勝手に出来ない。あほらしい限りで認定などして有難迷惑だが、こうした建物の保全は口でいうほど簡単ではありません。
まず当時使われていた本物の建材を調達するのが難しい。金物、建具に、指物の技を持つ職人は容易に見つからない。いるとしても少数で費用は高いとくる。
誰しも生まれ育った家を残せるものなら残したい。だが劣化が進めば伝統工法に拠り大工が丁寧に刻みを入れ、職人が土壁を塗り、本瓦を葺いた屋敷でさえ、様々な要因で傷んだり歪んだりしてくるのは避けられず経年劣化が進みます。現在の家と比較すると気密性に劣るし、防火・防災対策は講じられていない。家族の安全を考えると、何世代も前に一族係累が建て長年守ってきた家と言え保存しながら生活するのにも限度がある。こうしたやむを得ない理由で町家が年々千戸単位で滅失しているのが実状です。

ではこの跡地はどうなるのか。多くの場合は数戸を地上げされてマンションやホテルを新築。伝承されてきた町衆文化など見る影も無く霧散。かくして歴史が上書きされ、長きに亘って存在した人々の生活文化も消失する運命となる。
家は未来永劫に存するもので無いが、個人宅や商家、旅館など歴史の証人でも取り壊されており、残るは記念碑くらい。日本では明治村や地方の民家を移築して保存している民家園があり、HCM市でもクチ県に各地の民家を移築公開する方もいますが、家は住まなければ傷む一方。

ベトナムの友人たちが入洛の際、この様な旧家を一棟借りたことがあります。
畳の上で布団を敷いて寝るなど日本の暮らしに触れてみたい。座敷に書院造りの床の間があり美の小宇宙。引き戸は珍しく、襖で仕切られた部屋、雪見障子のある広縁、庭を配して渡り廊下で居室が繋がるなど日本古来の伝統的家屋はまさに芸術空間。生活の演出と叡知の精神文化は気候風土と歴史が育んできた。
この所、大手建設会社も木材を主にした建造物に着手している傾向にあります。世界に類をみない千年以上も承継されてきた木材加工の職人技、進化を遂げてきた道具。伝統技や気質は廃れて行く一方だが、一旦途切れると容易に復活など出来ない。まして一子相伝とか門外不出といった技や在来の工法。残したい。
年々構造や仕様が簡単になり工業化が進む木造住宅。しかし伝統美を再発見する機運は新国立競技場に採用されたように、一見生産性は高くはないけれど、価値はなによりも高い。幸い日本には多くの種類の木があり用途によって使い分けてきました。さらにこれを守るため森に鎮守様を祀り、宮大工の技を絶やさない様に式年遷宮などで社殿の建替えをして来た知恵がある日本。先人より受け継がれてきたワザを保存し、如何に後世に伝承するか考えるのが現代に生きる者の責任かもしれません。

(日本の在来木造住宅)

日本の家は夏を基準にしてきました。地域の気候風土に合う工法ながら、風通しを優先。となれば冬は寒くて堪らない。世界基準からみると殆どが不合格。実は人の寿命にも影響します。
問題となっているのが2025年問題。世界基準を導入するけれど新築住宅にこれが適用されるため高断熱対策を強化しなければなりません。
グラスウールやスタイロフォームを使っても効果はさほど大きくない。一番の問題は窓から逃げる熱。これを抑える必要があり、合成樹脂とアルミ製二重窓に複層ガラスが推奨されます。37年前に父親が建てた家にこれを採用したが当時は珍しくて建築雑誌に掲載されたほど。しかし一般に普及しなかったのは、建具と工事費が高く付き、建売住宅や大手メーカーでも採用しませんでした。
在来工法で建てた日本の住宅、特に和室の効用。ベトナム人が当家に宿泊した際、ぐっすり眠れたという。何でも天井板の柾目が綺麗だとか。研究に拠ると木目や木の色にはリラックス効果があり、血圧にも良いとの科学的根拠がある。
また檜や杉等の匂いには免疫効果を高め、NK細胞を活性化する事も証明されており国産材の積極利用を見直す絶好機会。近年洋室が主流となり、工事仕様はどんどん簡素化、使う新建材の多くはハウスシック症候群の原因になります。
都市部でも木材をフルに使ったビルを見かけるようになり進化したが街全体へ癒し効果をもたらすに違いありません。

株式会社VACコンサルティング 顧問
(IBPC大阪 ベトナムアドバイザー)
木村秀生