ホーチミン市を去る出稼ぎ労働者たち 1

2024年12月25日(水)

前のページに書いてきた様な、外資系企業が今まで考えなかった地域に進出する上で、懸念される事項に関してセミナーで説明されることはありませんでした。仮にベトナムに進出を考え個別に相談する機会があったとしても、現地の地方事情が分からなければ質問など出来ないし、確認したい点を整理してぶっつけたとしても納得が行く回答は恐らく得られないと考えます。
ではこれまでベトナムに進出した外資系企業が、このような地域でベトナム人管理者やスタッフに転勤を命じたとすればどうなるのか。仮に昇格昇進であっても答は火を見るよりも明らか。殆どの人は直ぐに辞めるでしょう。
これは一般論として、家族中心主義的生活が彼らの根本的は考え方であり、例えば上級管理職であっても、家族が(妻や子供など)体の具合が悪くなった場合に、遅刻や欠勤をすても茶飯事であり誰も咎めることはありません。
これは日本企業や日本国内ならば全く考えらないのだが、仕事よりも家族を優先する。さらに転勤となれば、まして南部から中部、北部へとなると話を聞いただけで拒否されることが多く、強制しようものなら辞職か、あるいは労働問題になりかねない。北部や中部から南への人の移動は多いが、HCM市から北部へ異動や移動となると難しくて、結婚でハノイに行った人でさえ帰りたいと話している。日本人には分らない南北間の問題は根が深いのです。

企業が活動する上で必要な三要素は人、モノ、カネ、と伝われるが、人手が無くては立派な工場を建てても稼働できない。先に書いたけれど人が余っているという訳では全くありません。また農業にしても継承する人は居ない、工業に従事(ワーカー)したい人も多くありません。学力学歴は別にして、誰もがかっこいい仕事に就きたい。若い人は都会で暮らし、事務職がいい。
だから地方から都市部の大学へ来た人の殆どは帰らないで、そのまま残って就職する、家族を持つのです。これは戻ったところで仕事が無いとか、能力を発揮できる場所が無かったから、が大きな理由としてあげられる。

ところがこの所変化が出て来ました。ひとつは徐々に郊外、地方に工業団地が出来て仕事が生れた。大学の地方に出来た。これに拠り日本の大学・院を卒業して博士号まで取った優秀な人が帰郷したという実例も数多くある。
さらに少しずつであるが交通インフラが整備され、スーパーなどの利便施設が地方へ展開を始めたというのがこの所の動きなのです。
しかも11月に現地紙に掲載されたのが、このコラムのタイトルそのもの。HCM市からどんどんと出稼ぎ労働者が故郷に戻っているという実態がある。
これは重要な事だが、この背景にはパンデミックの後遺症と考えられる状況、またこれまで外資企業の都市と周辺省への集積で不動産価格が急騰したこと、経済成長が続きインフレで働いても都会では食えないし、もはや暮らせない。かつてのような都会への憧れなどありません。知人親戚などを頼ってHCM市に出て来たけれど、彼らにこき使われるだけ。成功した人などほんの一握りで、殆どの人は敢無く撃沈されている。元々学歴が無いうえに、年齢を重ねて手に職や何らかの技能がなければ何処も雇ってくれないのです。
これまでだって工場で辛いワーカーで糊口をしのぎ、いくつかの会社を散々変わって来た。しかし特別な技術や能力とか得意なものは無いし、金は田舎に送って来たから貯えなど無い。中には日本語を覚えて頑張った結果、秘書として登用されたなんて実際にあるけれど、これは特別な一例に過ぎません。
多くの人は先のことなど考えもせず、勉強もしないで生きて来た訳です。
経済成長は様々に大きな格差を造って誰かを犠牲にして来た一面がある。
そして今、地方への流れが出て来て、距離感や時間軸が短くなったけれど、これは何れの国でも同じ状況だが、それでも大企業や能力のある人などは、何時までも何事にも有利な都会に留まる傾向にあることは否めません。
工業団地にしても一企業の問題ではなく、本来国が国造りの一環として地方の将来をどのようにあるべきか、地域に特化した産業の構築や文化や教育面で優位性を考えなければならないだろうと思うのだが、まだそこまで余裕や人材、資金などに対応できる段階には至っていないというのが実態です。

・記事に書かれた具体的な内容とは

中部の省出身でHCM市に来て4年目の若者。この都会こそが運命の場所だと考えたけれど、毎年高騰する家賃や生活費を賄うことが出来なくて故郷へ戻ることになった。HCM市か活気にあふれオープン。若者に適した仕事が沢山あるのだろうと考えた。しかし時期が悪く、コロナ禍で街は封鎖。宿泊費と食事費を得るために配達の仕事を続け、収まってからやっと営業の仕事にあり付けた。だが思いのほか顧客が見つからず月の収入は500万VND。
ここで2年頑張ったけれど、生活できるどころか貯金を崩して苦渋の生活。それでも追い付かず、頼る親戚も居ないのでとうとう帰郷を決意した次第。
さらに追い打ちをかけたのが、両親と子供が南部に行くのを嫌がったことも大きな理由だとしている。家族重視のベトナム人、これは辛くて厳しい。
この様な地方から出稼ぎにきた何十万人もの人が、HCM市の労働者不足を補ってきたけれど、何しろHCM市の出生率は全国最低。
2019年のデータでは全国の出稼ぎ労働者の11,5%がHCM市に来ており、隣接省のビンユン省の26,3%に次ぐ2位だったのです。

株式会社VACコンサルティング 顧問
(IBPC大阪 ベトナムアドバイザー)
木村秀生