ベトナムの農業 まとめ 2

2023年12月6日(水)

ベトナム農業に深く関わった日本の大学。実は九州大学です。1998年から2004年に掛けてJICAのハノイ農業大学強化支援計画、これを支援したのもこの九州大学なのです。なぜハノイ農業大学なのか。これは下記にある、
クア博士と密接に関係してくるのです。
九州大学に拠れば、ベトナムとの間で、古くからの続く縁の延長線上にあったと記しているが、実は二名のこの大学で学んだベトナム人が居ました。

・ルン・ディン・クア博士

ベトナム農業の父と言われる。メコンデルタ・ソクチャンの出身。裕福な家庭に生まれたが、父は暗殺され、母親は哀しみで自害という不遇な環境だった。
実は香港に留学、最初は医学の道に進んだが、1939年に中国・上海に渡りカソリック系の大学で経済学を学んだ異色の、だが頭脳明晰な方でした。
日本では医学を志す、つもりだったが、日本の進んだ農業に転換。イネの権威だった教授に学ぶ、これが人生の最大の分岐点でした。1947年、(昭和22年)に卒業とあるが、実は詳しい資料は九州大学に残っていないというのです。
筆者がこの方の奥様である中村信子さんの著書「ハノイから吹く風」を読んだ記憶では、日本に留学したクアさんは、英語、中国語、日本語など多元語を話される優秀な方だった。1942年に日本留学、44年に九州帝国大学の3年生に編入。長崎出身で、農学部の補助をしていた中村さんと結婚。京都大学へも留学して木原均教授の門下生に。外国人第一号の博士号を取得しています。
52年に帰国。サイゴンでイネの研究所に職を得たが、無能な上司ばかり。
実はハノイへ行く計画を秘密裏に進めており、ある夜、急に家族に打ち明け、仲間の手引きで家族を連れて、北へ夜陰に紛れて行ったのです。サイゴンでは熱心に研究を行なったが、研究所はまったくそういう雰囲気ではなく、憧れていたハノイへ行きたいという気持ちになったのは止むを得ないでしょう。
ハノイでは研究所の副所長待遇。早速品種改良に成功し、これは越産米と日本種米を交配したものだが、このほかにも果実・野菜の新品種や改良を行なった業績があり、ハノイ農業大学で教鞭を執ったのです。こうした成果で労働英雄の称号が贈られた。その後食糧増産に尽力したが、1975年、55歳の若さで急逝。恐らく脳疾患の類だったようです。

爾後、中村さんはサイゴンに。功績で兼ねてから親交があったヴォー・グエン・ザップ将軍からは、充分な生活が出来るように配慮された。また現地で窮した日本人の世話も多かったし、在住長崎県人と存命中は親しくされていた。

・ヴォー・バン・トン・スアン博士

九州大学に留学したもう一人のベトナム人は、令和4年に旭日中綬賞を叙勲されたヴォー・バン・トン・スアン博士です。長年の日越両国間の学術交流と、協力関係の構築と相互理解を促進した功績に拠る、誉ある評価なのです。
九州大学では熱帯農学研究を、井之上教授の指導で学位論文を提出。1973年に九州大学の農学博士号を取得されました。1993年にアジアのノーベル賞と言われるマグサイサイ賞を受賞されている。
ベトナム戦争が終結する前に帰国。カントー大学の教授職、アンザン大学初代学長などを歴任。この間母校である九州大学はじめ、日本の農学者と連携して研究を進めたという。農学分野で日越の交流の立役者ですが、彼の存在があってこそベトナム初の農業技術協力であるカントー大学農学部協力プロジェクトが推進されたと言われている。日本企業などから支援もあり、先進ノウハウも得る事が可能だったのは、信頼関係が強かったから。
帰国した時は、まだ戦争中。メコンデルタ・ベンチェ省はベトコンが生れた省だが、デルタ地域一帯では戦闘状態が続いていました。北軍も入り込み、このためカントー市も安全ではなく、多くの教員が避難する中で一人大学に留まり、北軍と対峙してまで圃場で育てている作物を守ったとの逸話が残っている。
この辺り、クア博士と思想的には異なるが、米の研究に関しては純粋であったと考えても間違いありません。
またアンザン大学でも農業を研究する学生も居て、TAOさんは後継者かも。米を収穫した後の、もみ殻の処理と活用法に関して論文を執筆しています。

・TAOさん

2008年に東京大学(院)に留学し、もみ殻の研究で博士号をとったのが、TAOさん。日本人と似て小柄で可愛い女性。論文を目にしてこの話をしたのが旧知の在住者とベトナム人の奥様。奥様は何を思ったのか直ぐ電話をした。
論文を読んだことを思いのほか喜び、何時か会おうと話したが、それっきり。
2011年9月に帰国してアンザン大学の教員になったのだが、彼女のテーマとは、脱穀した後のもみ殻の処理、有効利用しようと考えたのです。地元は米の産地だし、毎日見る脱穀だが、この処理は河川への不法投棄と野焼き。煉瓦を焼くとかライスペ-パーを作る際の燃料にもするが微々たるもの。ガス化して発電するとか、バイオ燃料にとの発案は彼女ならでは。CO2フリーの先駆けです。河川投棄はもみ殻にはガラス質があり分解しない、汚泥の原因になるが農民は気にしない。インタビュー形式で調査も実施。新しい農学部門の領域を開拓したと言えます。能力のある若い女性が先の両名の後を引き継、日本の協力で、ベトナム農業に革新を起こそうとしている姿は素晴らしいと考えます。

株式会社VACコンサルティング 顧問
(IBPC大阪 ベトナムアドバイザー)
木村秀生