職人とは簡単な機械や道具を用い、自らの卓越した知識と経験、熟練の技術によってモノを作り出すことを専門に生業(職業)とする人、だそうです。
この様な定義や歴史は別にして、その道一筋を長年に亘り打ち込む謙虚な姿を見て、またその作品の精緻にして気品のある美しさは感性そのもの。最終工程を職人が仕上げる作業は未だに行われ、機械では不可能な微妙で計算ができない勘や、指先の感覚ひとつで製品の優劣に作用する事もあるし、現在の様な素材や機械、道具が無かった頃の孤高の名工と言われる職人の技物が、数百年、数千年の時を経てもマネが出来ず、門外不出、製法の解明が出来ない技物もあります。これぞ職人の技、偽物を見破る目利きというもの。天賦の才を形にし、技と気質を古来後継者へ伝承してきた日本が、世界に誇る高品質で制度の高い製品を創り出し、物つくりの基盤を作って来たと考えるのです。
ドイツにはマイスター制度がある。国家が認めた職業制度の最高位の資格者のことだそうで、各種工業の経営者、教育者としての証であることの証明です。
HCM市に楊井さんが居て、彼は大阪にあったエーワンベーカリー社長の弟。昔、空港近くにあった高級ホテル、オムニ・サイゴンの経営を任されていましたが、同時に当時HCM市内で一番美味しいパン・ケーキを作って販売。半額になる夕方が狙いどきでしたが、この理由とは彼はドイツでパン作りを学んでマイスターの称号を得た人だからなのです。
ホテルの料理にもその素材の良さや風格が現れ、他を寄せ付けませんでした。職人肌の楊井さんが自ら食材の買い付けに海外に飛ぶのが理由のひとつ。
ベトナム語で一般的に職人はTho、専門職人をChuyen Ngiepと呼ぶのですが、Thoの次に職業の名が入ります。Tho Mocなら大工、Tho Giayなら靴職人などですが、日本で思われているのとは少々異なると感じます。例えばレストラン。
受付やウエイトレスを募集する際にも、Can Tho Nu(女性)などとなっていて、特別難しい技能職ではありません。だが手工芸品や美術品を造る人たちもいて、これ等もTVでも職人と言っているので幅は広く明確な区分は無い感じです。
また、現地で完全なローカル会社をしていたことから言えることなのですが、
日本人で初めて電気の店を始め、事務所や店舗の内装工事から家の建築をした
経験と、日本の現場での経験から比較してみます。
日本の建築は業種ごとに細かく決められていて資格もある。職種ごとに専門の親方と職人が居ます。工事を行う際、取り合い部分がポイントなので、各職方を纏めて指示を出すのが監督の役目。緻密に計算通りには天気の加減もあってなかなか捗らないが、それでも工期厳守と安全第一は責任を持って行い予定通りに引き渡すのが日本の建築、絶対的な職人の力があればこそ可能です。
では当地はどんな状況でしょう。
一軒の家を着工から完成までを見ると、基礎工事は専門業者に発注しますが、これは機械装置が必要だから。だが、此処から。日本は木の文化、様々な木を使い独自の加工技術と道具類が発展しました。しかし此処の家の建築は梁と柱は鉄筋コンクリートの完全なラーメン構造で、床もコンクリートを打つ極めて典型的な箱型の構造です。
内外の壁はレンガの組積。地震が殆どないので日本人が見ると怖い位に細くて頼りなく見えます。細かい話は省くが、大工仕事とは此処では全てを含みます。これを勘違いして器用と言うがトンデモない。
コンクリート練りや掃除などの雑用は下働きがしますが、その他の仕事は型枠から配筋、レンガ積、モルタルやプラスター塗、サッシュに扉、設備の設置から内外の塗装、タイル貼り、金具の取付け、屋根の瓦葺き、屋上防水施工に至るまでやってのける。要に何でも屋、その道に長けた職人などいない。なので、工事は荒く収まりは無視、完成度は低いのが一般的です。
日本の職人は道具を大切に扱います。様々な道具を自ら考案し、何十種類もの建材に応じて使い分けるが、此処では出来ない。翌日に備え道具や機械の丁寧な手入れや整理などもせず、鏝にモルタルが付いたまま置きっ放しという具合。金属には錆が浮くなど職人の心は見えません。建材も養生しないので傷は付いたままだしペンキが飛び散るのも平気。汚れれば拭けばいいという考えだから仕上がりは汚い。こんな親の姿を見て育つとどうなるか! 綺麗に仕上げようという気概や、施主に喜んで貰うという気持ちもない。自分の仕事に誇りや矜持を持っているのか、と言えばNO。明らかに日本と職人とは大違いです。
毎日これが続くのでイライラも限界、いくら言っても聞かず馬耳東風、さらに言えば仕事に来ない。工程管理は出来ず1~2か月の遅れは当たり前の繰り返しでは精神衛生上極めて良くない状況になる。郷に入っては郷に従えというが、工法の違いなど関係なく、本当に信用でき任せられる職人など居ない、という結論です。
専門学校を幾つかみたが、ベトナム流の建築方法を学んだ実習生が来日しても無駄、余計な知識など無用の長物だし精神面を鍛えなければならない。だから日本の建設関係の企業は現地に自社の建築専門学校を作る理由です。
日系企業の工場を見れば一目瞭然。「5W2H」とか「さしすせそ」など日本語とVN語でスローガンを掲示、道具の片付け方法も何処でも示してある。
先進物つくり国家を目指すベトナム。輸出のトップは携帯電話なのだが、殆どはアッセンブリー。部品の多くは輸入頼るので裾野産業は生まれません。
社員は単なる組み立て工。職人の存在などみる筈はない。伝統と気質が生まれ、育まれる土壌と可能性はあるのでしょうか。
株式会社VACコンサルティング 顧問
(IBPC大阪 ベトナムアドバイザー)
木村秀生