日本を目指した二人のベトナム人 ファン・ボイ・チャウとクォン・デ物語①

2020年5月20日(水)

ベトナムがフランス植民地であった時代、独立を目指して来日。壮絶きわまる流転人生を余儀なくされた二人のベトナム人の系譜と足跡に触れてみます。
2013年、日越国交樹立40周年記念として合作。両国で同日にテレビ放映された「ファン・ボイ・チャウ物語」がありました。
独立解放を目指す民族運動の最中、チヤウが提唱し、前途ある有望なベトナム青年が日本に留学しました。東遊運動です。
ドラマは明治の頃、日本に来た留学生や指導したチャウの様子、彼らを支援した日本人医師との交流などを描いています。
筆者はこの医師・浅羽佐喜多郎直系のひ孫と奇しくも大学の同級生。だが当時は一言もその話題に触れませんでした。聞くと役場から止められていたのです。しかし今は静岡県掛川にあるチャウが建立した顕彰碑に在日本VN大使が着任した際に訪れるほど。一私人の善意を忘れず恩義に報いています。
チャウ達は民族独立を勝ち取るため決死の努力も空しく、密航と抵抗に退去、アジア各地への流浪と挫折を重ねます。幾人もの同志が非業の死を遂げ、翻弄され、夢は実現できませんでしたが、外国の支配から真の独立に向け青春と命をかけて戦った人達の歴史が近世にあります。
日本海海戦で日本が勝利する一年前、二人はフエで出会います。ここから独立運動に投じた英雄と、ひとりの皇族の壮絶で日本での空しい物語が始まります。
チャウは1867年ゲアン省に生まれました。父親は塾の教師、母親は商いをして家計を助けましたが、この地域は痩せた土地に気象条件が悪い不毛の地。唯一の出世が身を立てる手段ゆえ、科挙試験合格者を多く出している地として有名で教育熱心。当時はまず漢字を覚え、四書五経など儒教の書物を読むのが学問でした。これが後にチャウの活動にとって大きなプラスになります。
儒士であった父親と母親から漢字の手ほどきを受け、6歳で教本「三字経」を僅か3日で習得。さらに論語を筆写して覚るほど、神童と呼ばれる子供だったとあります。
家の事情でチャウは教師として働きますが、1900年32歳で郷試に合格。この後チャウはフエ国子監に入学します。国子監はグエン朝が設立した大学で、皇族や朝廷高官の子弟、地方から優秀な人物を受け入れ、科挙最の最終試験である廷(殿)試を受けるために造られました。
チャウはフランス革命の記念日に、ゲアン省の省都ヴィンにある行政機関を襲撃する予定でした。これは未遂に終わりますが、綿密な計画はなくまた武器は刀剣類のみ。これでは僅かの同志が反乱を起こしても直ぐ鎮圧され何の意味もないと中止。
ならば優秀な人が集まるフエに行き、同志を募ろうと言うのが入学動機です。しかし進士となっても優雅に官吏人生を送ろうとは端から思わず、あくまでもフランスから独立する手段でしかありませんでした。
クォン・デは1882年、皇族として生を受けます。グエン朝を起こした初代ザーロン帝から4代目ですが、第二夫人の子で4位の明命が皇位を継いだため傍流に甘んじていました。
21歳のクォン・デには美しい妃レ・ティー・チャンと子供が2人(後に一人増える)。一応は何ら不足の無い暮らしです。
チャウは同志と方針を議論する中、皇族を引き入れる事が一般民衆の支持を得るひとつと判断し、クォン・デ邸に出入りする占い師から彼の存在を知ります。
先帝ハム・ギがフランスに抗戦。流刑から20年ほどしか経っていないため、残党や反仏の気概と闘争継続の意識は人心に残っていました。皇族を担ぎ出す事は、チャウにとって民衆の絶対的支持と活動資金を得る事に繋がり、南部に縁が深いクォン・デは強い存在であったのです。
クォン・デと話をすると、大志を持ち人間的にも信頼できる人物。事の次第を打ち明けると、迷うことなくクォン・デは賛同します。
チャウは早速行動を開始。フエの南方クアンナム省へ行き、ハム・ギ帝と共に抗仏に身を投じた生き残りグエン・タィンに会い決起を説明。彼はクォン・デが一緒なのに驚きますがチャウに同意します。
翌1904年に入って、チャウはタィン他20名の同志と共に、独立に向けて秘密組織である維新会を結成、クォン・デを会主にします。
チャウは組織の拡大に奔走。必要な武器の入手や海外から支援を得る策を検討。チャウと他2名が日本へ行くことを決定。しかし合法的出国はできず密航です。
理由はフランス統の統治下にある国内での武器調達は不可能。中国は清仏戦争に負け頼る事はできず、事実ハム・ギ帝が支援を求めたのに黙殺されている。日本はアジアの小国として唯一列強ロシアに勝った国でアジアに理解がある。行けば何とか独立資金や武器をくれるだろうという考えでした。
充分な情報が無い時代ですから、このような安易な考えをしたのでしょうが、アジアの国際情勢はそれほど単純ではありませんでした。

株式会社VACコンサルティング 顧問
(IBPC大阪 ベトナムアドバイザー)
木村秀生