ベトナム戦争は何だった

2020年4月2日(木)

・今も残る戦争の爪痕 被害に遭って泣き寝入りは何処でも何時でも一般人

ベトナム戦争とはいったい何だったのか?その経緯を振り返ります。
戦争に拠る死者は、民間人200万人、解放軍110万人、南ベトナム政府軍223、748人とされ。表に出ない戦死者を入れるとさらに多くなります。また枯葉剤の被害者100万人、精神を病む人600万人、難民1000万人。
人に及ぼした被害は戦争史上最大の狂気の沙汰、尋常ではありませんでした。
対してアメリカ軍58200人。同盟国部隊5200人が死亡とされています。
またこの戦争で落とした爆弾総量は、1965年~73年の8年間で1400万トンだったと言います。これは第二次世界大戦での全使用量610万トンに比べると僅か33万平方キロしかない大地にこれだけの量が落とされ、今なお2千万個を越えるクレーターがあってメコンツアーに行くと見られます。
さらに人を殺傷するためのゴール爆弾、ネイル爆弾や、新型兵器を大量投入してもアメリカは勝てない汚名を残したのです。
今も200万発の不発弾が全国に残されていて、現在も民家の庭で子供が遊んでいて爆発で吹き飛ばされたり、農夫が田畑で作業中に被害に遭ったりしています。1975年以降に判明しているだけでも4万2千人が亡くなったといい、国土の20%にその未処理エリアが残っているとされます。
かつて私の友人が2000年、中部にこの不発弾の処理作業に行かされたことがあります。彼は元南の政府軍に所属、中部のチューライ基地に居たからです。戦後1年間(一兵卒は)サイゴン北部の矯正キャンプに入れられています。
枯葉剤の影響は現在も続いていて、ベトナムの被害額はゆうに3500億ドル以上とも言われます。エージェントオレンジの猛毒主成分ダイオキシンは自然分解が極めて遅く、地中深くに存在すると半減期は100年ともされ、これが地下水に混入するが無色無臭で気が付かない。人の口に入れば体内で濃縮されて蓄積。母親の胎内で猛毒に感染した子供が今も生まれているのが現実。特に中部フエ省、クアンチ省などの井戸水に頼る地域には多くの障害児がいます。
枯葉剤の散布は北から南への補給路である、縦横に張り巡らされたホーチミンルートを発見して壊滅するため。薬剤が撒かれた山やジャングルは丸裸になり、植生はなかなか復活しません。まさにジェノサイドとエコサイドの被害者です。
その散布した航空機の航跡は地図を真っ黒にするほど異常な徹底ぶりでした。
戦後初めてベトナムを訪問した大統領、ビル・クリントンは「両国が共有する痛み」だと述べましたが、勝手に仕掛けておきながら汚く逃げた戦争。賠償も補償もしない可笑しな敗者の論理。アメリカ国内でベトナム人が提訴した枯葉剤被害者救済裁判では、アメリカ側の製薬会社などが全て無罪となります。
しかしベトナムで知らされずに枯葉剤を浴びた兵士や、帰国後に生まれたその子供にも責任を認め、補償を命じているという理不尽な判決を出しています。
これら爆撃や枯葉剤に拠る被害、殺戮など戦時中の行為、当時に使用した兵器については、敵味方、一般人を問わず、HCM市の戦争証跡博物館で展示物や写真を見ることが出来ます。以前より内容はおとなしくなりましたが。

・さてこのベトナム戦争に至るまでの経緯とは

1945年日本がポツダム宣言を受諾して第二次世界大戦が終結。フランスは日本に一度は敗れたものの、英米の援助を受けながら再度インドシナの植民地経営を再開します。フランスは富の源泉、宝の山の収奪地。人を強制的に使役して隷属するベトナムを是が非でも離したくはなかったのです。
だが仏軍をインドシナに送り届けたのは何とアメリカ。またイギリスは仏軍に武器を与え、ベトナムの独立運動への弾圧を支援しました。
46年には第一次インドシナ戦争が勃発。その後は徐々にフランスの国際収支は悪化、外貨が不足して国際競争力も低下して行きます。本国では経済に行き詰まりをみせ始め、ベトナムでは多くの犠牲を払ったにもかかわらずベトミンが優勢に立ち、戦況は些かも好転するはずはなかったのです。
この時すでにベトナム民主共和国が誕生しており、ホーチミンはトルーマンに新国家の承認を求め、国連に対しては植民地の実態を述べ、公正な解決の斡旋を依頼していました。しかし小国であるベトナムは、欧米の列強国のエゴから全て無視されて徒労に終わり、後の戦争になる芽を摘む機会をむざむざ逃がすことになります。
アメリカはホーに独立運動を支援するため、実は武器弾薬を供与していた時期がありました。何とも矛盾する姑息な常套手段、袖にされると途端に嫌がらせ。この国の何時もの見え見えの手口です。
フランスはホーを無視し植民地支配の拡大に精力を注いでいましたが、ついに
独立心に勝る人民の圧倒的な力に敗れる事になります。

次回に続く。

株式会社VACコンサルティング 顧問
(IBPC大阪 ベトナムアドバイザー)
木村秀生