南部解放日

2020年4月1日(水)

ベトナムは4月30日(木)が南部解放日、5月1日(金)はメーデーで祝日。続く2日・3日が土日なので4連休になります。日本のゴールデンウイークと重なるため、この時期ベトナムへ行かれる場合は現地の休日に注意が必要です。
さて、この南部解放日とは何の日なのでしょうか!
もはや多くの日本人にとってベトナム戦争は過去の出来事。ベトナムへ赴任する人達でも、ベトナムがアメリカと戦っていた歴史-僅か45年前の出来事-ですら全く知らない時代になってしまいました。
1965年2月7日、アメリカ軍は北爆(ハノイ攻撃)を開始。これが悪夢の戦争への発端になった、とされます。
この戦争では日本は憲法上の制約があって派兵しなかったものの、アメリカ軍へは間接的に物質面などで多大な貢献を行い、或いは中継点として日本国内にある米軍基地が利用され、重要な役割を果たすことで戦争に係わっていました。

・言いがかりで仕掛けられた戦争
さてこのベトナム戦争に関して少々回顧してみます。
ベトナム戦争は「宣戦布告のなかった戦争」「マクナマラの戦争」と評されます。1998年ベトナムの首都ハノイで両国の軍人、政治家などが集まり「ハノイ対話」を行ってベトナム戦争の検証(論戦)をします。戦争当時者として国務長官であったマクナマラが提案、「ベトナム戦争は間違いだった」とまで言及しています。また戦争の引き金になったとされていた、1964年8月2日の「北ベトナム軍魚雷艇によるトンキン湾での米駆逐艦への魚雷攻撃」二回目は無く嘘だったとも発言しています。しかしベトナム人に対する道義的責任や犠牲者への哀悼の意を全く表さず、自国の外交路線の誤りへの総括も一切なく、戦争そのものは共産主義を推し進めるためハノイが起こした南への侵略であって、あくまでも冷戦構造の中で重要な戦いの場だったという自己都合説を押し通しました。この様に多くの真実はアメリカの都合で歪曲され発信されたものです。
また驚く事にこの偽善者は何回も戦争を停止する機会があったのにも拘らず、北ベトナム側が拒否したと公然と非難し、完全に論理のすり替えをします。
これはNHKでも放映されました。印象に残っているのがベトナムのヴォ―・グエン・ザップ将軍の毅然としながらも怜悧な態度。ホーチミンの片腕であり、フランス軍にディエン・ビエン・フーの戦いで勝利を収めた人物(後述)です。
マクナマラは先の1995年に書いた衝撃的な回顧録は各国で大反響を巻き起こしましたが、何のため書いたのでしょう。心からの贖罪ではなさそう。
1965年2月7日にアメリカ軍はこのトンキン湾事件を口実にでっち上げ、いわゆる北爆(ハノイ攻撃)を開始。本格的に戦争に突入したとされます。
続いてローリング・サンダー作戦と称し、同年3月2日から北爆が恒常化することになり、いよいよアメリカが威信をかけつつ、安易に勝てると踏んだのが思いもよらない泥沼状態に突入、抜け出せなくなります。
ハノイへ連日B52が飛来して爆弾を落とし、病院や学校、鉄道駅施設などをピンポイントで壊滅しますが、それでもベトナム人民は日本の連帯する労働者がわざと目標から外れるよう、工場で製造する誘導装置に細工してくれている、とのプロパガンダを信じて耐え抜き、幾度となく再起します。
しかし実際にはアメリカ軍のパイロットは学校、病院などの施設、ミグ戦闘機やソ連艦船は避けるようハイフォンは爆撃してはならない、などの制約を課せられていたそうですが、実はかなり誤爆が多かったようで、バクマイ病院なども大きな被害を受け手も足も出ない多数の弱者の犠牲者を出す始末。
そして戦費負担が増大してアメリカの財政が続かず、また国内では反戦ムードが盛り上がりを見せ始めたころ、アメリカは何時までも関わっていられない、都合のいい所で手を引こうと画策。1973年1月27日にはパリ和平協定が締結され、3月29日には武器弾薬を南政府軍に渡して「後はよろしく」と、散々ベトナムの国土を破壊しまくり、多数の犠牲者を出し、近代兵器に圧倒的な物量をぶち込みながらも勝てなかった恥のかき捨てたアメリカ軍は身勝手、不様にも撤退します。
アメリカ軍が去った後、怒涛のごとく北正規軍が押し寄せ、ついに為すすべも無く南政府軍はジリジリと後退を始め、上官でさえ軍服を農民のぼろ服に着替え前線を放棄、我先にとほうほうの体で逃亡します。
1975年4月30日サイゴン陥落。10年以上に及んだベトナム戦争(ベトナムではアメリカとの戦争と言う)は、当時の南ベトナム大統領府へのソ連製T51戦車の無血入城で完全に制圧され、終結します。
このシーンは未だにTVで何度も放映されていますが、この4月30日こそがアメリカ帝国主義者から虐げられた南部の同胞を解放したということで、祝日になっているのです。

次回は「ベトナム戦争は何だった?」。

株式会社VACコンサルティング 顧問
(IBPC大阪 ベトナムアドバイザー)
木村秀生