・ことの起こりはフランスの植民地時代
46年にフランス軍はハイフォンでベトミンを攻撃。これに対してベトミンは一斉反撃を開始。第一次インドシナ戦争(抗仏戦争)が始まります。
フランスはベトミンへの攻撃は共産主義拡大を防ぐためと主張し、アメリカから援助を引き出しますが、実は植民地支配を堅持するための口実、ウソの方便でした。
49年フランスはベトナム国を樹立させてバオダイを担ぎ出して、あるときは日本軍、今回はフランスと、蝙蝠のような人物をまたも傀儡元首にします。
バオダイをホーの対抗馬としますが、この時点ではアメリカは何の手段も講じませんでした。しかし翌50年1月、新生中国はベトナム民主共和国を承認、ソ連も同月これに続きます。そうなるとこれに対抗、遅れを取ったとあわてて米英はベトナム国を承認。アメリカは身勝手さをむき出しにして後出しジャンケンでインドシナへ軍事援助を開始します。
ここに東西対立構造が明確になり、その板挟みの地になったのがベトナムです。
53年に入るとラオス、カンボジアが次々独立。ホーはインドシナ和平を示唆するのですが、フランスはディエンビエンフーに立てこもって挑発。翌54年ベトミンの総攻撃の前に陥落します。アメリカはフランスの求めに応じて軍事介入を検討しますが、議会の支持も同盟国の同調も得られないまま断念します。もし議会の承認があれば原爆投下もあったかもしれない緊迫した状況下でした。
強硬に提案したのが後の大統領になるニクソンだったのです。
この後3年に及ぶジュネーブ会議を経て、7月21日に休戦(ジュネーブ協定)が成立することになります。
その内容は、北緯17度線にあたるベンハイ川を軍事境界線として、フランスは南に移動する。56年までに統一のため総選挙を実施すると言う内容でした。
このベンハイ川にはヒエンルーン橋という鉄橋が架かり、10数年ほど前まではこの橋を利用していて、観光に来ると歩いて渡ることも出来ましたが、今は戦史上の保存施設なのか、残されたままで通行には新橋が使われています。
しかしこの協定、ベトナムにとって東西冷戦の中で対立する大国同士の利害が優先される中で勝手に進められたことが悪夢と悲劇の始まりとなります。
アメリカは調印せず、2年後に約束された統一選挙も反故にし、55年10月26日ゴ・ジン・ジェム政権をサイゴンに樹立させ、ベトナム共和国を成立させました。ここからフランスに代わりアメリカが前面に出てくるのです。
・冷戦とドミノ理論
アメリカは統一選挙でホーが最高指導者に選ばれれば、ベトナムは瞬く間に共産化し、アジア諸国は瞬く間に共産化されるという「ドミノ理論」に結びつくと判断しました。アリューシャン列島から日本、台湾、さらにインドシナ半島へ続くラインが、アメリカの曰く防共防衛線なのです。何としてもこれを死守できなければ太平洋は「赤い海」になると恐れ、事態を真剣に捉えたのです。
56年、へとへとになったフランスはベトナムから完全撤退。すると代わってアメリカ軍はサイゴン政府への直接援助と軍事訓練を加速し、抜き差しならなくなり自ら泥沼に両手両足を突っ込んで行きます。
さて「東西冷戦」の火ぶたを切ったのは、1947年トルーマン・ドクトリンですが、共産主義の拡大を防ぐため東南アジアの中でもインドシナ半島はまさに扇の要。ここが落ちればアジア諸国は急速に共産化してゆくという恐怖から、不幸にもドミノ理論が構築されたのです。
このドミノ理論は更にアイゼンハワー、ケネディーなど歴代のアメリカ大統領に引き継がれ、中近東にまでもその危険区域という範囲に組み入れられました。
アメリカのベトナムへの軍事介入は、まさにこのドミノ理論に基づいて実施されたものといえます。言わば世界の警察国家を自認する絶好調の時期でもあったのです。
JFケネディーは国際政治経験が薄い43歳の若造。老練ソ連のフルシチョフに弱みを見せまいと必死でした。60年ホワイトハウスに入ってまもなくの事、このままだとベトナムは一年で共産化すると、「ドミノ理論」の呪縛から逃れられず悲観と絶望に明け暮れ、誰にも言えないその苦悩を紛らわすために裏では若い女性秘書に溺れていました。(文藝春秋2012年11月号に本人手記掲載)
キューバ侵攻がものの見事に失敗し、米ソ首脳会談でも押しまくられて二進も三進もいかない。心の内では何とかしなければとの焦りと猜疑心からとうとうベトナムがその格好の犠牲者の役割を演じる舞台に押し上げられたのです。
表に見せるスマートな笑顔とはまったく以って真逆の、裏での弱々しい精神力。
任期の裏、このままでは自由主義大国アメリカのかじ取りなどできず、示しも付きません。真相は未だに不明で全ての推測の域を脱しない。だが、そういう黒幕の判断が消去に繋がった可能性も否定できないのです。
株式会社VACコンサルティング 顧問
(IBPC大阪 ベトナムアドバイザー)
木村秀生