日本を目指した二人のベトナム人 ファン・ボイ・チャウとクォン・デ物語⑤

2020年6月5日(金)

・クォン・デ救出の顛末

上海では秘密警察が待機していて客を徹底的に調べ、海上は警察が取り締まりを強化、水も漏らさぬという意気込みでした。
柏原は上海の日本郵船に至急電報を打ち、クォン・デを救出するように手配。現地郵船社員もメンバーなので、用意周到に匿う準備をしていました。
何時まで経っても下船客にそれらしい人物は見当たらず、混乱する間に全員が船を下りてしまい発見できない。フランス総領事が日本総領事館を訪問、伊豫丸にクォン・デが乗っている事は確かめた。日本側が意図的に政治犯を匿えば、借款問題も極めて難しくなるとの脅しも匂わせましたが、応対したのが総領事代理・松岡洋右、後の外務大臣でこの時29歳。松岡は伊豫丸の出港を待ちフランス側に偽名を教えて捜査劇を演じますが、実際はクォン・デ保護に奔走していました。何時の時代にも強い外交官が居ましたが・・・。
一方で日本人ボーイを秘密警察が拘束、持ち物まで調べた事は不条理と抗議。実はこの中に変装したクォン・デが紛れ込んでいて間一髪の際どい脱出でした。クォン・デ達は数日間上海に滞在の後香港へ身を移します。
柏原はクォン・デが日本を離れる前、1000円と護身用に拳銃を与えました。
クォン・デは日本の官憲に、必ず戻ってくると述べたと調書に残されています。
怒りが納まらないのはチャウ。一足先に広州に逃れていた彼は、クォン・デの国外強制退去処分を知って激怒。外務大臣小村寿太郎に抗議文を送り、日本にあこがれて東遊運動を始めたのに酷い扱い、と激しく日本政府を非難します。
チャウは宮崎箔天とも何度か会っています。彼もアジア主義者でチャウが孫文と面会したときも同席していた人物。中国革命を支持し孫文から絶対的信用を得ていた豪快な九州男児。彼はチャウに日本に支援を期待しても無駄。日本の政治家は信用できないので、世界から同志を集めなさいと説諭。
しかし犬養や大熊たちには来日当初から親身になって世話を受けた大恩がある、批判したいがそうは行かない、と心は複雑に揺れます。
浅羽もチャウたちが日本を離れなければならないと聞き、政治家はご都合主義、歯がゆい、と述べたと後年チャウは語っています。
激動の最中の日本。孫文を支え現在の金額で1兆円の資金を援助、死後一切を語らずと遺言した梅屋庄吉。あるいは頭山満なども右翼とされるが、アジアの独立を無欲で本心から支援した民間人は多く居ました。政府の方針に反し支援した官吏も多く居たのは今と違ってこの時代の特長で、他にも例はあります。

・チャウの活動に変化

日仏条約締結後、失望と落胆のうちに二人の活動は大きな転換期を迎えます。日本出国からその後の軌跡を辿ります。
チャウは日本を離れて広州に身を潜めます。この間ベトナム国内ではフランス当局が東遊運動に関係した人物の摘発と弾圧を強化。初めからの同志タィンも逮捕され島流し(後に獄死)。ハノイに居た東京義塾校長ルォン・ヴァン・カンも逮捕。穏健改革派のチンでさえ流刑など多くの同志が拘束監禁や死罪にされます。為すすべもなく、中国国内では清朝と革命派の対立が激しくなってきたため、チャウはタイへ行く事に決めます。欧州列強国に挟まれながらもタイはアジアで唯一植民地にされることなく近代化を進めており、多くの同胞が住んでいて安全、地理的にも故国に近く有利との考えでした。
タイ王国から入植地を与えられたチャウは、活動の拠点を置こうとしますが、日々農作業と平穏無事で刺激の無い生活に飽きあき。葛藤の中で一年ほど経ったとき、中国で大きな政変があったことを耳にするとチャウは堪らず、またもや広州へと足を向けました。1911年10月の辛亥革命で清朝と革命軍とが激突、翌年1月宣統帝は退位し清朝は滅亡。代わって孫文が中華民国臨時政府を樹立したのです。
広州に戻ったチャウは維新会を解散。新たにベトナム光復会を結成して共和制を主張。この裏には新生中国の協力を得ようとする魂胆がありました。
立憲君主制から宗旨変えでクォン・デは必要なくなり、チャウは新政府に武装蜂起を起こす資金と武器を得ようと考え孫文に会いますが、僅かの時間しか与えられません。原因は名称にあって、光復は同じ中国の革命派でも孫文の系統ではなく不快感を持たれたのです。代わって対応したのは黄興という武人で、ベトナムに長く居た現政府の大物。彼も梁や犬養などと同じ意見をします。  準備が無くては武装蜂起など早計。人材育成が先決で援助をするとの話にも拘わらず忠告を無視して独自で軍隊を作ります。だが武器は全く持たずベトナム国内でフランスの高官や指揮官を狙った殺害、軍属するベトナム人を内部蜂起させるという考えに過ぎず、いざ決行すれば訓練や経験の無さなど甘い見通しが露呈。国内に入り込むどころか国境で拘束、あるいは潜入した所で逮捕され、殆どが死罪か自決。まともな戦術など無く、軍を相手に行き当たりばったりで、またも多くの人材を失う失敗の繰り返し。チャウは悲観に暮れ苦悩します。

株式会社VACコンサルティング 顧問
(IBPC大阪 ベトナムアドバイザー)
木村秀生