日本を目指した二人のベトナム人 ファン・ボイ・チャウとクォン・デ物語④

2020年6月2日(火)

・東京義塾創設 東遊運動が終焉

ハノイで民間の東京義塾が1907年に創設されます。仏当局に正式に認められた教育機関で、新しい科目である体育や美術も教え、教育費は無料で文具類も支給されました。
東京義塾にはチンも積極的に協力していました。校長はハノイで塾を主催し儒士であるルォン・ヴァン・カン。チャウの熱烈支持者で元東遊運動のベトナム北部の責任者。子供の2人を日本留学させています。東京義塾は評判が良く、最盛時には500人の学生が居たとあります。
東京はベトナム語でドン・キンと呼び、フエに都が移る前はハノイが王都で、ホン河流域のドン・キン平野に位置。義塾はチンが見学に行った慶応義塾から取ったともいわれます。教師の一部には裏でチャウを支持、東遊運動で青年が日本へ渡る密航の手助けを内々にしていました。
1907年、日本に滞在しているチャウ達に突如、衝撃的事態が発生します。日本政府はフランスと日仏条約を締結。東遊運動がベトナムの人達に受け入れられ始めた矢先のことでした。
日本はロシアに戦勝したものの莫大な負債を抱えており、欧米諸国は東アジアを舞台に日本との間での複雑な利権絡みの様相を呈していました。
日本は疲弊した国家を建て直さなければならない時期にあり、欧米列強は大国に肩を並べた日本に重大な関心を持ち、強大になるのを注意していたのです。
戦勝したのは天の運、時の運。これ以上の危険を犯したくない日本。公債を引き受けて貰ったフランスに強くは出られない。借金した弱みで両国の海外領土を互いに認め、権益を確保するには条約締結が得策だとしました。
これに驚き失望したチャウですが、ベトナム国内でも影響が現れます。この頃フランスは重税と搾取を強化しますが、中部クアンナム省ではこれに反発した農民が抗議運動を蜂起。この省はチンの膝元であり、またチャウの影響を大きく受けていた地域で同志タィンの活動拠点です。
ハノイや他の省でも次々に反乱が起き、こうなるとフランス当局は黙っていられず、首謀者の逮捕と弾圧を強めます。
東京義塾の他にも玉川義塾や梅林義塾などが開設され、フランスはこのような運動が自国へ大きな影響を与えたとみて資料を押収。チャウ達の文書や証拠を集め、逮捕者には証言を強要します。
南部は中部に比べてまだ警戒心が薄く、情報は全て当局に握られ協力者が次々と逮捕されギロチン台に置かれる。なりふり構わずに見せしめです。
当局はチャウやクォン・デが日本に潜伏している事を掴んでおり、その証拠も把握していました。支持者や協力者をあぶり出し、活動内容を綿密に調べ上げ彼らと関係した人物の摘発にかかります。
また親たちに強制して日本に留学した子息を帰国させるよう指示。帰国する者は罪には問わないと、脅しと軟柔策の両天秤にかけて落とします。
国内拠点が壊滅されると、日本に滞在して活動するチャウにとって一番の問題はベトナムからの資金ルートが絶たれることです。
窮するのを見かねた浅羽はチャウに1700円の大金を提供。また犬養も帰国を希望する青年に船の切符を100枚手配し、さらに帰国のための費用として2000円を寄付します。*現在の換算だと1万倍ほど。
ここに1907年1月東遊運動は僅か一年程で終焉を迎えます。殆どの青年は故国へ戻り、また中国、タイへと離散して行きますが、志ある青年は日本に残り優秀な成績を残しています。

・フランス当局の執拗な追跡と日本のアジア主義者の援護

1909年に入って、フランスは日本政府にクォン・デの消息の調査を依頼。だが彼はタイに移っていました。日本での活動に行き詰まりを感じタイに拠点を移そうとしましたが、上手く進展しなかったため翌年3月、密かに日本に戻ります。
日本の当局はフランスからクォン・デに関する情報と逮捕要請を受けていて、10月に所在を突き止め身柄確保に向いますが、彼は危険を感じ神戸。イタチごっこの末、下宿先に舞い戻った際に拘束。この後11月1日門司港から上海に送られることになりました。
日本政府は厳重な監視下に置きましたがフランスを刺激したくない。逮捕させると死刑に処せられるため著名人や政治家を怒らせず穏便に処理したいと苦悩。役人の考えは何時も同じ事なかれ主義。国外へ去りホットしたのが本音です。
残念乍らクォン・デは日本滞在中に思った成果を得られませんでした。しかし、大アジア主義者の支援を得る事になります。列強からアジアの植民地を解放し、独立させることが同じアジア人の使命だと考える気骨の人達が居たのです。
福岡玄洋社の頭山満もその一人。伊豫丸にクォン・デの身を付かず離れず守るため乗船させた人物が中村天風。フランス秘密警察はクォン・デの出国情報を掴んでいて、反逆の首謀者として逮捕するために手ぐすねを引き港で待ち構えていたのです。

株式会社VACコンサルティング 顧問
(IBPC大阪 ベトナムアドバイザー)
木村秀生