ベトナムの民族 文化と歴史④

2020年12月3日(木)

・その他の少数民族(一部) 多種多様多彩な文化と歴史

ラオ族は中国から南下してきたタイ族から分派したと伝われます。宗教は南伝仏教の影響も受けていますが、精霊信仰が部族民の中で根強く、悪の精霊ピーが体の各部位に存在し、人が亡くなると魂は天上に昇り、生前善行を積んだ者だけ再び蘇って、富と名声を持った地位につくことが出来ると信じています。
ラオスは中国、ベトナム、カンボジア、ミャンマー、タイに囲まれた内陸国で、長山山脈が南北に伸び、並行してメコンの急流が走る間に国土がある山国。
五方を囲まれている事は要衝であり、人口が少なく温和で敬虔な仏教国でありながら軍略上常に外国からの脅威に晒されていました。変遷を重ねてフランス保護領になり、国境に近いディエン・ビエンはグエン・ザップ将軍率いるベトミン軍がフランス軍と激突したところです。(コラム94に詳細)
多数の犠牲者を出しながらもベトミンが勝利。独立への礎になった歴史的戦場でした。このディエン・ビエンの盆地にはタイ族が多く住んでいます。飛行場は日本軍が建設、全土に駐留しました。
山岳地帯にはHCMルートが何本も入り組んで通っていて、ラオ族もCIAと米軍に武器を与えられ解放軍と戦いました。しかし彼らの末路は厳しく、見放されて、どちらからも非難されまともな扱いは受けていないとされています。
余り知られていませんが、ベトナム戦争中にラオスもまた国内に600万トンもの爆弾が落とされ国土が破壊されたのです。

この他北部高地山岳民族でモン族と同じ地域に住む同じ語族のザオ族は、酒造りが得意で蒸留酒造りを生業にしますが、最上級の酒は神への奉げものでそれ以外の酒は売り物。また発酵技術を用いて味噌や納豆も作ります。
米と穀物が主食で山では獣を獲りかまどの煙を利用して燻製肉を作りますが、京都の家の台所に阿多古社の祀符を貼るのと同じ様に、彼らはかまどに火の神様を祀る文化を持っており、文化人類学者の喜ぶ調査フィールドです。

メオ族は中国の苗族と同じ種族で中国南西部から移動してきました。ベトナム少数民族の中では標高800~900Mという一番高いところに住んでいます。

タイ族は人種的にはモンゴリアン系で紅河流域と高原地帯に住み、住居は木造高床式で農耕と漁を主体に生活し、祭り、祀事、歌や音楽を好む温和な民族で、宗教はインド仏教とバラモンが入っていて更に精霊信仰も持っています。

中部高原地帯のラオス国境辺りには、今でも像を操るエデ族がいます。
これらの民族は数十年ほど前には半未開状態で、酋長、部落民、奴隷の身分制度が社会に存在していて、北のマン族、中部ジャライ族バナール族ラー族セダン族も同じく、男は裸で女性は腰巻程度しか纏っていませんでした。
精霊信仰が強く森には特に畏敬の念をもち、精霊が人を害する時は虎になるという言い伝えを信じています。
ただセダン族のみ海洋民族の血が混じっていて、他の民族は母権制であったのに対し父権制。主にトウモロコシや米穀が主食で、農耕儀式が盛んに行なわれましたが、鶏、豚、ヤギなどの生贄の血を神に捧げると言う特徴がありました。男は弓矢などを携え何日も狩猟のため山に入り獲った動物は干し肉にして、山谷を巡る行動食に用いていた様です。
彼らは多くの民話を持ち、白い髭を湛えた老人が多く出てきますがこれは神様。天命で地に降り人々に生きる希望を与えます。厳しい自然に慄き、生きる苦しみから救ってくれる神様や精霊の存在を信じ、祖先を敬う優しい善の心と正義感を持つ人物を登場させ、ある時は動物を人間に置き換えて社会風刺を行ない日頃のストレスを発散させ、仙人に身を変えた神様を介して幸福を天に求めるのです。欲も得も無く、純粋な心を持ち精霊の存在を信じて生活する森の人達が未だに住む民俗学の宝庫がベトナムの別の顔です。

・京都ならでは 提唱された照葉樹林文化 日本と共通する食文化の源流域

ハノイの人から北部には味噌や納豆の発酵食品類があると聞きましたが、その範囲では雲南を発祥として日本に渡り変化したものと同じではなさそうです。
ブータンの農業に貢献した中尾佐助博士(京都大学-大阪府立大学)は、大学探検部創設第一号の京大で、川喜多二郎、桑原武夫、今西錦司、梅棹貞夫などそうそうたる部員のひとり。学術探検の流れを汲んだ立命館大学探検部顧問で、稲作伝播研究の佐々木高明博士(立命館大学-京大で博士号-国立民族博物館館長)。彼らが照葉樹林文化を提唱しました。また空海の研究で第一人者の上山春平博士(京都大学)もそう。高野山大学夏期講習で偶然同じ宿坊に泊まり、風呂で背中を流しながら貴重な逸話に聞き入りました。
日本~アジア北東部山岳地帯に広く分布する「照葉樹林文化」(各氏著書が豊富)の村邑には同じ食品群が見られ、現地踏査をしたフィールド学術調査で確認できたのは典型的な照葉樹林文化食品の特長。蒟蒻、芋豆類、蕎麦など雑穀類が含まれ、現在に至り世界トップクラスの日本の発酵技術に大きな影響を及ぼしています。何れも京都学派と呼んでいいのだが関連があるのが嬉しい。
なお日本の寿司の原型となるのは、雲南の山岳地帯の農村で貴重な塩と米を使い一年かけて作るハレの日の保存食。<豚肉の発酵食品>→<魚の熟れすし> へ変化した代表で現在も残るのは琵琶湖の鮒すし、という見方があります。
こうした高地民族の、照葉樹林文化地域に住み、稲作が出来ない代わりに古くは焼き畑で農作物を作り発酵食品を食していた研究があります。
*ベトナム少数民族の文化に関してベトナムの声放送に詳しい。(了)

株式会社VACコンサルティング 顧問
(IBPC大阪 ベトナムアドバイザー)
木村秀生