祭礼から見る伝統の保存・継承への気概

2021年7月27日(火)

・祭礼から見る伝統の保存・継承への気概

今夏、京都の山・鉾巡行は昨年に引き続き中止。神事だけを執り行いました。
山鉾建ては34のうち17の山・鉾で実施をしたが、祭礼が無くても釘や金具など使わない技、鳴り物なども後世に伝えて行くべき使命があるからです。
タペストリーなどの数百年も前に海外で制作された懸装品は重要な文化遺産。
これを虫干しのため風と日光に当てないとカビが生じる。この様な織物が町内で保存されている一方、新しく設えるものもあるが、これを忠実に再現できる技術が現在に息づいているのも素晴らしい。
これ等は強制されるものでは無く、知らず知らずの内、ごく自然に身につけ、伝承してゆくもの。町内の子供にしろ、絶対にしなければならないというより、1100年の伝統を受け継ぐ町衆の名誉と誇りであり、自分の代で絶やさないとの強い信念がある。
35年ほど前、四条通りに面した函谷鉾町にあるビルで勤務。向かいの月鉾を窓越しに眺めていました。毎年の見慣れた光景。だが改めて日本の季節の行事や祭礼には深長な意味があり、歴史ある伝統と文化を築いた先人の想いは時空を超えて深く根付き、祈りの気持が刻まれているのを感じる。
日本の工業製品にも、こうした精神が脈々と受け継がれているのが認められる。

・仕出し文化にみる 最高の品質を創り出す職人技はもの作りと共通

この夏の季節に京都で好まれる旬の食べ物と言えば鱧。この魚は獰猛で下手をすると鋭い歯で指に喰らいつき離さないので大怪我をする。生命力が強く水が無くても当長く生きられるので海から離れた土地ゆえに活魚として喜ばれます。
梅肉や酢味噌で落としも美味く、吸い物、焼き物も良い。淡泊な味なので高級蒲鉾に使われます。すり身にした後に残った皮は火で炙り酢の物にすると香ばしい。
鱧は小骨が沢山あって骨切りが上手くなければ食べられたものでは無い。サク、サクと皮一枚を残して切る専門包丁の音が気持ちいい。この技は難しく余所ではこれをできる料理人は少ない。
良い職人が居て、良い道具があってこそ技が磨かれ、伝承されてゆくのです。
魚は北海道から入る棒鱈、身欠き鰊、若桜街道を経て入洛する塩鯖があって、これらは半乾物か塩を塗して運ばなければなりません。棒鱈と海老芋を使った平野屋のいもぼう。鰊蕎麦、鯖寿司も結構値が張るが、巧みに真似のできない味を創ってきたのです。しかし昔はネコでも食べないと言われる位の下種魚。
海の幸の貧弱さ、不味さは歪められないが、野菜だけは種類が多く豊富で旨い。
これを組み合わせ、ワザで補って芸術品にまでに高めてきたのが、実は京料理。
上質の調味料を使い素材を活かす薄味の奥義を極める。季節の彩をあしらい、愛でて楽しめる工夫。職人は知恵を凝らし試行錯誤しました。

京の旧家や老舗では来客があったとき、家で料理を作って振る舞うなどしない。代々出入りしている仕出し屋に料理を頼んでのおもてなしが習わしです。
長い付き合いのゆえ心得たもの。そこには信頼関係があり、舌の肥えた旦那衆が厳しい目で見て、時に意見するので料理人は一層の精進に励みます。
時節を鮮やか、細やかに表現。旬の食材と器も料理に合わせて吟味。そして品と格を極めた品々を大切にしている顧客にお出しして満足して戴く。良き伝統を尊重しつつ時代の流れを見定め、新しい事へ挑戦して行く風土となります。

料理を支える醤油、味醂、酢などの調味料は日本で発達進化した発酵食品が主。創業以来、老舗では家伝の技は門外不出、一子相伝の技に手を抜かず、風味を左右する天気と微生物に向き合い製造過程に気を遣いつつ、丁寧に最高のものを造ろうと常に努力をするのです。
先祖から伝承した逸品は店の看板に恥じないよう一切妥協を許さず、子々孫々、本物をだけを造ってゆく。むやみに店を拡げる様な他所との無駄な競争をせず、堅実な一品入魂の矜持を重んじる。脈々と受け継がれてきた伝統の重みと深さを想います。こんな精神が200~300年という伝統となり今に至っており、現在のもの作り文化と共通。高品質で精密な製品の基盤に繋がると思います。
これ等を支えたのが軟水。豆腐、調味料、和菓子、女酒と言われる伏見の酒。西陣織の染色にも欠かせない。彼方此方から水が豊富に湧き、地名も水に因むところが多い。琵琶湖に匹敵する地下湖が町の下にあり、この天賦の水が京の産物と文化を育んできて今に続いています。
また料理に付随して発展したのに雅な器や道具などがあり、工芸品に成長して美術文化が形成され、普段の生活の中にもしっかり根付いていると考えます。

・京都企業の源流

千古の都。もの作りの原点は宮中へ納めるため、集められた職人が四季折々の優美で精緻な細工物を誂えたのが始まりのようです。老舗は寺社、社家、名家に、格式があり贅を尽くした道具や品物を納める御用達という誉を持っていたからこそ優雅で高品質、優れた名品が作られ、その伝統が子々孫々に亘り代々受け継がれてきました。職人は世襲制や厳しい徒弟制度の中で封建的で閉鎖的なシキタリの中、ひとつのモノを造るため、その道一筋の匠による分業体制が秩序と社会を保ってきました。
京都は中小企業が全国的に比して多く、こういうもの作りの歴史があったから。以前に顧客宅へ訪問する機会がありました。
訪ねたのは神具を造る父と息子2人。路地の奥まった家で作業をしていた。
設計図は頭の中、手が覚え動かすだけで寸分の違いなく出来上がる。これぞ職人技。
また扇を卸している店。扇の奥は深くそれを見ただけで地位が分る場合もある。一本の扇、だが十以上に細分化された工程があり専門の職人が分担しています。
こうした商舗はウナギの寝床、やたら長い。
仏具を扱う所、友人の部屋は中庭のさらに奥。井戸があり、設えは町屋の典型。肌で文化を知るのは大切です。
今でも老舗が続く理由として挙げられるのが、変えてはいけないものは頑なに守るが、時代・時流の変遷に伴う新しい流行をも自由に絶えず採り入れてきた。

京都は世界に例がない長寿企業が数多く存在するが、それはこの様な源に発すると思えるが、大手企業でも変わりません。即ち企業や大学等研究機関等が持つ独自性・精神性に、保守と革新、柔・剛、軽・重など二面性が遺伝子として組み込まれ、世界的発明や物つくりに活かされていると考えます。

株式会社VACコンサルティング 顧問
(IBPC大阪 ベトナムアドバイザー)
木村秀生