2010年~(最後のフロンティア ミャンマーへの波)

2018年6月10日(日)

長きにわたり軍事政権で経済は停滞し、世界でも最下位から数える方が早い最貧国に位置づけられるようになってしまったミャンマーであったが、2010年の選挙によってその流れが大きく変わり始めた。2010年の選挙を受けテインセイン大統領が誕生、民主化へと大きく舵を切ったのである。その少し前、2009年あたりからベトナムにいた私の耳にもミャンマーの変化が入り始めていた。例えばベトナムからミャンマーへの直行便が就航したりなど。私もホーチミンでミャンマー会を有志で開催していた。

ミャンマーは第2次世界大戦後フィリピンと並びアジアの優等生と言われていたのだ。昔はシンガポールから飛行機でラングーン(ヤンゴン)に買い物に来ていたという話を年寄の人から聞いたことがある。今では信じがたいことではあるが。高等教育ではヤンゴン大学は東南アジアNo1の大学であり、多数の知識人を輩出していた。そのミャンマーが民主化に舵をとるということである。
思い起こせば1990年代初頭、日本の海外進出の波の1つがミャンマーであった。残念ながらその後のアメリカの経済制裁により10年以上にわたり国を閉ざし進出の波は止まる。(下記参照)2010年の総選挙から世界中がミャンマーに再び注目し始める。日本企業も御多分に漏れずミャンマー視察&進出ブームが巻き起こる。ジェトロヤンゴン事務所においては来客者数が世界1になるほどの過熱ぶりであった。私は2010年から調査の目的でホーチミンから足を運んでいた。そのころの情景は丁度15年ぐらい前のベトナムを彷彿とさせていたのである。

それから7年。ブームは終わり、視察も一巡した感がある。まさにこれからが本格的なミャンマー進出の幕開けであろう。2017年は日本企業の進出は相対的にすくなかつたのだが、2018年になってから状況に変化が出てきている。地に足のついた企業の進出の相談が増えてきているのも事実である。
(第1次ブームは1995年~1998年)

ヤンゴン日本商工会会員推移