街のにほい、を前に書きました。ベトナムの各地方が夫々持つ様々な「におい」全般に関して、でした。においが切掛けで思いだしたことがあります。
日本の秋、10月には金木犀の芳香が庭中に漂います。生垣にしている程この香りが好きで、瓶に詰めてベトナムに持ち帰り、香りを愛でてせめて秋の気配を感じて貰おうと思ったのに、香りは飛んでしまっていて無用な試みでした。
透き通る青空にこの花の彩香はピッタリ。また早春には梅、その後には沈丁花など気品ある香りが舞う日本。だがHCM市のテトで買われる縁起物の黄色い梅の花ホア・マイ、大ぶりだが鼻を近づけても香りは殆どしません。日本人はにおいに敏感なのか、言葉にも薫り、香り、匂い、臭いなど使い分け、形容詞が加わると一層美しい響きになる。こういう嗅覚とか色彩感覚、感性は四季の恵みの賜物なのでしょう。日本人の情操や五感に影響を及ぼしています。
この金木犀の香りを胸に吸い込みながら公園の遊歩道を縫って買物に行く途中、保育園の子供達に出会いました。お出かけするには絶好の季節。3~5歳児かなと思うほどの列と遭遇。すると前列の幼児が「おはようございます」と声を掛け、それが合図ではないけれど、皆が先生に促される訳でもないのに次々に声を揃えます。手を振れば同じ様に紅葉の様な手を挙げて返してくれる。後ろの人にも同じ仕草をしており思わず振り返るほどに。微笑ましい光景です。
さて、思い出すのが7区の自宅近くの保育園。朝7時前から、夕方は5時過ぎまで預かります。此処には知人の子供が預けられ、仕事を終えた母親が5時頃にバイクで迎えにやって来るが、如何にもベトナムらしい風景。これは小学校でも同じく毎朝夕に平然と繰り広げられ、道は渋滞になるが誰も気にしません。
だが尋常でない混み方のせいなのか、通りすがりの人に挨拶を交わす事は一度もありませんでした。中国のサイトに日本人の幼稚園児に教えられたとの書き込みがあって日本の子供の躾に触れていたが、此処には考えも余裕もない。
・ベトナム語で躾は何という?
ある時、ご近所にある日本人の釣具屋のお母さんから、ベトナム語で「躾」ってなんていうのかしらと。さて何だったっけ?と辞書を引いてみるとGiao HuanとGiaoDuc GiaDinhとありました。教訓とか家族教育という意味だが、何ともしっくり来ないし馴染まない。ベトナム語は日本語と同じ漢語から来ているので身のこなしを美しくするためのノウハウ、というように拡大解釈すれば分からなくもないが、これでは良く分からないわねと仰る。「身+美」=「躾」で、殊のほか日本語は難しいけど、美しくて奥があるわねと妙に納得される。
言葉だけではなく内にある精神性、歴史的社会基盤が備わった日本と違って、永い間他国に支配され、蹂躙と収奪をされ続け明日に命を繋ぐことが出来るのかさえ分からない状況に置かれたDNAを持つ。生き残るため、他人に対して形振り構わないのはやむを得えまいが、自分勝手なマナー無視とは異なる。
・実情を垣間見ると
さる日本人宅にベトナム人のお手伝いさんがいて、炊事洗濯掃除と買い物+店では販売もこなしていました。彼女が来たときは日本語を全く解せなかったが一念発起、日本語学校に通って日常会話は殆ど話せる位に成長。この娘が可愛がられるのは素直で控えめな性格もあるが、客が帰る時に笑顔でありがとうと自然に口に出るからです。この国の店員、この一言をいえない人が実に多い。
しかし顔馴染みになると有名なケーキ屋。「これ、昨日のだから。やめたほうがいいよ」なんてフレンドリーさが嬉しい。幸せの気分はKEEP SMILINGから。
結局は文化の差。というか日本のこれでもかと接客態度が過剰で特殊なのか?
経営していた店でも同じ。せめてお客様が帰る時にはありがとうと言えと諭してもさっぱり。やれないのでなく、やろうという気がない。売り上げを上げるため如何にしてリピートオーダーをとろうか、客に喜んで貰える工夫をする。それがモノを売る原点だなんて全然思わない、考えない。習慣もありません。
埃を拭くとか、床にごみが落ちていても拾おうとしない。ケースの中の商品は天地左右一切無用。きれいに商品を見せようという考えなど一切なく、単なる店番と同じ。気分はすっかり看板娘なのに商品を右から左に移すこともしない。商売の基本も基本、感謝の気持ちがない。会社として課題でもあるが、それ以前に最低限の躾くらいは家庭がすべきことなのだが、できない。
道徳という教科がある。修身かと勘違いする二宮尊徳に楢山節孝か!お父さんお母さんを大切にと教えます。でも一旦外にでると君子豹変。交通信号も何のその、指示器は出さず、ラインオーバーに逆走、確認も減速もせずに飛び出す。レストランではミニ横綱のガキたれがドタドタ走り回るが、親は平気で「まあ元気な子ね!」モラルにマナーも全く無い。この親にしてこの子ありです。
ボランティアをしていた時、地方から来た母娘。中学校に上がる時、母が買ったのは学習机。家は4畳ほどだが小奇麗だし、出かける前にはアイロンをかけこざっぱりした服装、良いものでは無いが清潔にしている。食事時は絶対に親より先には箸を付けない。貧富の格差など関係など無くどう振舞うかだけです。
躾とは親の心。子供への愛情の印です。貧しくても鈍しない。どの国の子供もしっかり親の後姿を見て育つ。然るに子は親の鏡。大切なのはキュッと抱きしめ「愛してるよ」「大丈夫」とか話して安心させる事。ディープな生活経験から、親は気持ちに余裕が無いのか愛情表現が下手なのか、気にいらないと叱るだけ。
株式会社VACコンサルティング 顧問
(IBPC大阪 ベトナムアドバイザー)
木村秀生