輸出加工区(EPZ)の使用目的変更を提案

2022年9月9日(金)

現地報にこの話が掲載されていたので少々驚きました。何処のことかなと記事を良く読むと、HCM市7区にあるタントアン(新順)工業区のことでした。
此処は約300hrの面積を持つ輸出加工区で市中心から約5キロ、車なら15分ほどで工業区の入り口に到着するため大変便利な立地にあるのです。
1区の運河を渡ればもう7区。現在約200社が操業中、その30%強の66社が日系企業。何度も仕事に行ったので良く解ります。
かつて輸出高がフィリッピン・スービックを抜いてアジアでトップになるまでになりました。1991年に投資許可を得て開発に着手。ところが今と違って開発地は泥沼のジャングル。伐採から始まり盛り土。支持層まで数十mもあるので水が抜けず、道路は幾ら転圧しても沈んでしまうほど悪戦苦闘の連続。
未だ工場内部のコンクリートの土間や通路にも大きなクラックや、一部ではぶ厚い床が盛り上がっていて作業ができないくらい酷いが、海抜1mの地。
1993年に入居を開始したが(賃貸期限50年)問い合わせすらない状況。確か50米ドル/1㎡だったとの記憶があるけれど、入居促進のため優遇策として黒字転換後5年間は税金ナシと破格の条件を出したほど窮していました。
ある大阪の企業、ベトナム観光に来て、何故かここを見学。「えらい安いやんか!」と一緒に行った社長仲間3人が隣通しの区画を契約したのです。相手としても渡りに船。A社は京都に留学した人を現地の社長にして事業を開始しました。
何年か後、他の日本企業に売却、これで大儲けしたとあるがこんな芸当は今ならできるはずがありません。偶然だったかもしれないが呼び寄せられたのか、何か思い当たったのは確か。閃きや商売のセンスというのも必要でしょう。
因みに大阪の会社の方、ベトナム人の現法社長も存じ上げている。ご縁です。
開発主体はHCM市と台湾の李登輝率いる国民党の関係企業、中央貿易公司。HCM市は資金が無い。だからこの当時、何処の合弁企業でも行っていた現物出資、即ち土地を提供し、開発等にかかる費用は台湾側が出したのでしょう。
丁度ベトナムがようやく発展しようとする段階。当時この国は世界の最貧国に位置しており、国の発展のためには先進工業国化を目指さなければとの国家の方針があり、強く意識され始めたばかりでした。
この頃、現在の7区は存在せずニャーベー区と呼ばれていたのだが、この開発をきっかけとして7区とニャーベー区の二つに行政区が分かれたのです。
では何故日系企業が多かったのか。台湾側の責任者の陳嘉發部長は日本語堪能で、台湾大学卒後日本企業に勤務していたし、その下の胡志明さんも明治大学卒(日本人の奥さんとは同級生)だったことも一因。非常に良くしてくれたし、私がPMHでアパートを買えたのもこの方のお陰です。
HCM市で最も古い輸出加工区は空港に比較的近いタンビン工業団地なのだが、このタントアン工業区はここより西側に拡がるPMH(富美興)一帯の別荘や戸建て住宅、高層住宅、商業地区、大学などの教育地区、研究開発区、金融、物流センター等々の計画地と一体で計画され、HCM市の新都市ともいわれる総面積409hrの開発が始まったのです。
設計は日本から丹下健三事務所、アメリカなど外国のトップクラスの都市設計事務所3社が共同参画。ベトナム初の広大で一番の高級住宅地を新規開発すると言う基本コンセプトに基づき、将来構想として行政機能まで移転すると言う計画が話題に上りました。

1998年に第一号のアパートであるミー・カンが分譲されてから、現在ではベトナム最大級のSECC(サイゴン・エクシビション&トレード センター)が稼働して世界の各種展示等が開催されているとか、商業施設、主なスーパーや専門店、有名レストランやKFC、ロッテリアなどファストフードの店舗もいち早く街のど真ん中に進出するなどもほぼ出そろっています。また外資系のFV病院や心臓病センターもこの地に早くに完成。
現在はベトナムで最もしかしポテンシャルが高い街区、4万人が暮らしている憧れの住宅地。その内の1,5万人が外国人で、また日本人学校、台湾、中国、韓国の学校が並んでいます。

で、先の問題。ベトナムの工業団地の使用期限は投資許可が下りた日から50年間。この後に入居してもこれが適用されるので、その先はと言えば匙加減というほかありません。恐らく誰もが延長されると思っているのだが、今回の話はそうは問屋が卸さない、というわけで伝家の宝刀を抜く次第です。その期限は2041年9月23日。それまでに入居企業が対応できるのだろうか。
こうなると他工業区や外国人が所有する不動産にも影響を及ぼす可能性が高い。これまで投資した建物や設備を撤去、其処に働く従業員はどうなるのか恐らく具体的な事例はない。外国企業への問題もどうする気なのか。契約は契約だが、黙ってハイ分りましたと納得できないのは当然で、余りにも都合は良すぎる。
政府はどう対処するか。
では7区の人民委員会は何をする積りなのか。もはや宝の地に変身、儲からないモノ作り、労働集約産業、また工場や倉庫を廃してハイテク産業を誘致する。
要は金になる商業地と住宅にしたい訳。過去に全国の工業団地モデルケースになったタントアンの歴史を塗り替える。製造業からハイテクへの転換で言わばローテク否定をする感じです。あれだけ時代の兆次であったにも拘わらず掌返しで環境汚染や交通渋滞に繋がるなど否定的な見解をことごとく述べている。
その要因はサイゴン川対岸の新しい街区・トゥーティエム地区の再開発。以前は地方からの移住者が多く、金持ちは居なかった。橋も無くフェリーで渡る地。
それが俄かに脚光を浴びたので、これに負けてはいけないと競争心たっぷり。
PMH地区からはフー・ミー橋が架橋されておりこれで繋がり、相乗効果があると主張する勝手な言い分です。
既にタントアンは7区の存在価値は消滅したとでも言いたげで7区の総合開発に合致しないとまで言い切る。過去の経緯はどうでもいい、現在の立地と広大な面積を生き返らせるとやる気満々。だが都市計画の専門家は居ないし、そうした意見も聞いていない独断場。HCM市の総合計画との整合性など考えてなそう。

さて先のことなになるけれど、企業からみれば予想できた事態かもしれないが、流石に此処までとは想像できなかった。
もはや製造業よりIT、また高等教育や金融や三次産業へ目が行くのは分かるが、産業にしろ、山積みの課題は解決できていない。これを放置してイキナリ乱暴な!イザという時に顔をだすのが社会主義の怖い所。
政府が国家戦略をどう明確にするのか。かつての先進工業国入りは如何。

株式会社VACコンサルティング 顧問
(IBPC大阪 ベトナムアドバイザー)
木村秀生