住宅法改正(案)に関連した話題 日本人には全く理解不能

2023年6月16日(金)

・ベトナムの住宅開発 先ずは2000年前後の状況から

ベトナムの住宅。都市部は近年アパートが一般的な居住形態となってきている。
これは都市の近代化と、外資系企業の進出に拠る経済発展で、地方から沢山の若い働き手が集まってきたため人口が急増して集積。さらに外国人の駐在員等が必要とする住宅需要と高級化がHCM市と近隣省にも及んできた背景があると考えます。この傾向が明確になったのは1990年代から2000年初頭にかけてであり、物件を購入したのが富裕層。北部に居る人の資金もかなり流入してきました。初めは賃貸収入とキャピタルゲインが目的であったが、やがて目先を読める人達の投機の対象になり、株式の利益から不動産へ資金が流入。一回目の不動産バブルへ突入する一因に繋がってゆくことになるのです。
もちろん誰もが戸建てに住みたいけれどそんな資金は無い。また地方からきたワーカーや学生は寮などが完備されていないため、共同で住む所が必要なので安普請だが定額の家賃で借りられる劣悪長屋も町外れに多数出きて来ました。
もちろん郊外は戸建て住宅の方が多かったけれど、数戸の建売分譲を繰り返すというミニ開発が主体、環境の優れた大規模タウン開発ではなかったのです。
筆者はこの当時、日系資本のサービスアパート・マネージャとして招聘されたが、新築間なしの物件なのに従業員は誰も実務ができない。そこで日本企業で不動産開発事業などに関する一連の経験をオーナーが知ってのことでした。
ベトナムが丁度不動産過渡期に入る頃合に運よく現地入りしたが、何の準備もされておらず順調に仕事が捗る状態には全くなく、ほぼゼロスタートだった。

2000年には5区のチャイナタウンに高級アパートが販売に出たというので、見学と資料を貰いに行ったのだが、一般の市民には高値の花。おまけに古くから中心部に住む人にとって好む住環境でなかったため、いざ分譲開始となると悲惨にも全く売れず、その後賃貸に切り替えたプロジェクトだったのです。
しかし次第に高層アパートに人気が出て抽選という事態もあったけれど、これには間取りや設備は急速に良くなり、かなり住み易くなった理由もあります。
こうなると僅か数年間にHCM市郊外のそこかしこにまで高級高層住宅が建設され地域の景観は急変しています。その殆どは日本と異なり一棟だけというのでなく開発規模は桁違いに大きい総合設計。数棟の超高層住宅群と一部タウンハウスから成り立っており、しかもかなり広大な庭園にプールが完備されるという高級感たっぷりの住宅エリアとなっているのが特徴といえます。
多くは急成長したデベロッパーや銀行の関連会社なので資金はある。だが日本のように融資制度は整っておらず、購入者が準備しなければなりません。
銀行系は利息が高く融資額も思うほど多くないが、一応は住宅ローンが使えるメリットがあるので比較的購入し易い。だが何れにしても庶民には縁遠いもの。
取り分け地下鉄1号線が開通する事を見越し、道路インフラ整備と併せてほぼ国道1号線沿いに開発が進められた経緯もあります。なかでも駅近かの地域にはプロジェクトが数件も同時に進行中。徒歩で駅まで行ける物件だと将来的に値上がりが期待できるとの判断が動くため売れ行きも早かったのです。
こうした事が切掛けとなり、市中心から離れ開発面積が広い郊外へドーナツ状の広がりを見せ、何もなかった地域に開発案件が突如幾つも出て来ました。
何処の国でもこういう状況はほぼ同じように進行してゆくが、この10年間で考えると、取り分け市の南部と東部から広がりを見せてきたと思えます。
その起爆材となったのは、HCM市と台湾の政府系・中央貿易公司が開発主体となり、日本の丹下健三都市建築設計事務所やアメリカなど海外の大手企業が企画・設計を担当した、当時国内最大の近代的でHCM市の副都心計画として進められたサイゴンサウスのPMHがあります。
この大規模都市計画に先立ちほぼ隣接して、タントアン(新順)EPZ、即ち工業団地が分譲され外資系企業の受け入れが始まりました。その内のほぼ半数以上が日本企業で占められました。今では考えられない優遇策と安い用地費。
此処は2000年初頭には当時アジア最大であったフィリッピンのスービックを抜いて輸出量1位になったほどで、近未来のもの作りを約束する団地でした。

大規模開発が行われたのは現在7区となっているPMH(フー・ミー・フン/富美興)地区で、一番目は1990年代後半に分譲されたミー・アン(美安)。此処は4棟から構成されており、外国人やベトナム人富裕層が購入する当時の感覚からすれば国内初の超高級物件でした。だが我々プロからみれば施工精度は低く、設備・仕様も日本の公団住宅と変わらないレベル以下でしかなかった。
使用する建材はベトナムでは生産できず、殆どが中国本土からの輸入。これはPMHの設計技術者が中国人であるためだが、さらにスケルトンでの引き渡し。
要するに室内専用部分の内装や設備は購入者が好きなように出来る形式です。
外国人が納得できるようなものは造れず、家具什器にしてもインテリア業者にはこうした経験は無い。まともな既成品など少なくて、こちらから絵を描いて指示しなければ相手から提案など期待ができない。こんな状況であったのです。
中心部からのアクセスは悪いし、道路はガタガタ未舗装。買い物にも苦労するほど何もない僻地に等しい。しかも1区の南側に流れる運河から(4区)先は殆どの市民は出たくない地域。という訳で売れ行きは芳しくありませんでした。
この後に様々な物件が次々開発され、スーパーやレストラン等も出来て行くのだが、この様な物件でもバブルが来た時は3倍ほどに値上がりしたのです。
もちろん市内のど真ん中にも古くからアパートはあり、少し離れた郊外でさえ中層アパートも建っている。これらは場所的に主に地方からHCM市に来た人がまとまって住んでいて、知人が住む住戸にも訪れたけれど、殆どがいわゆる2DKタイプでシャワールーム付き。だが建設されてから50年位経ているので老朽化は激しく、共用部分でさえ彼方此方を修理しなければいけないのだが、法律での定めなど無いのでどうしようもありません。
昨年には1区の一等地と言える場所にあるアパートが老朽化で危険となった為、市当局は取り壊しに着手するとした報道がありました。確かに見るからに危険な状況は分かるのだが、建築方法にも問題があるのではと感じる所です。また
いわゆる住民の権利など何処にあるのか、と思うけれど、所詮は区分所有物件に類する法律など無いので早期に整備する必要があるけれど考えすらない。

株式会社VACコンサルティング 顧問
(IBPC大阪 ベトナムアドバイザー)
木村秀生