いまベトナムで議論になっているのは、IELST(International English Language Testing System)だが、我々の年代は何?と聞かなければ分らない。
即ち英語を母国語にしない人達の英語力を測定するとかで、留学、就労、移住をするための能力試験とあります。イギリスが発祥なので、アメリカ英語との違いはあるとするが、世界140ヵ国で認められており年間350人が受験し、スコアは0~9で示されるという。
ベトナム大学入試ではこのスコアをポイントに換算できるようになっているとかで、これが人気となっている。しかし英語のコミュニケーション能力を上げるのに効果的に学習できるのか、単に大学入試のアドバンテージを得るために優位を競争するだけで、スコアを上げるため高額な塾の費用を払っているなど、問題があるとされているのです。これが必須要件に近いとなれば堪らず、場合によっては数億VNDを費やすなど社会問題でもあると記事に書く。
ベトナムは高等教育機関へ進むため、日本の様な学習塾もあるし、先生が生徒を自宅で教えるとか、家庭教師を付けるなど親は様々な方法で子供の学力向上のために必死になっている現状があります。また学校でも費用を払って補習を行っており、概して安くはないが、学校での勉強だけでは不安に思う訳です。
問題は費用だけでなく、本来するべき基礎的勉学が脇に置かれ、入試のためにテクニック化し、道具として試験対策となっていることを指摘されています。
教育関係者は試験で良い成績を採っても基礎学力が欠けている学生を生み出すリスク原因ともなり、大学での教育そのものが荒れるようになると警鐘を鳴らしているのです。何処でも上辺だけでは何ら結果が期待できないのは同じこと。
本来必要とされる留学などに使われるのではなく、公平性に懸念があるとする人もいるし、都市部でならまだしも農山村部や貧しい家庭などの生徒にとっては大きな経済負担となっている訳で、外国語能力の向上に結果が出るとなれば、学力を金で買うような歪な社会にもなっているのが現状です。
政府は外国語能力向上のため、幼稚園から英語教育を行う考えもあるし、このために英語ができる教員を増やすような政策を講じようとしています。しかし筆者の経験からしても、母国語も満足に出来ないような人もいるのに、役人が机上で考えるだけで現場の実態を全く考慮していない所に問題はあるけれど、将来的に英語が出来るか否かで全てが決められ様な雰囲気になって来ている。社会が充分成熟しておらず、施策を受け入れるだけの社会的な能力が備わっているものでもありません。何処か勘違いをしているのではと思ってしまう。
・英語は手段 IELSTが目標ではないとの主張も
英語能力の重要性を否定するのではないけれど、言語能力、即ち母国語が未発達なままでスキルを上げるのは適切でないとする教育者もいるが、政策立案者や保護者に問われるのは、激しい競争を助長しているという他なりません。
現地紙に掲載されたある親の見解。ベトナムの公立大学の授業料が約1億5千万VND程度なのに、自分の子供のIELSTスコアを4から6,5に上げるため、ほぼ同額の1億6800万VND(約6500ドル)も使ったが、外国語資格取得が大学の授業よりも高いことにやっと気が付いた、オカシイという。
これは毎年多くの家庭では最も重い経済的負担となっており、考えれば限定的な役割しかない訳で、こんな証明書の取得や試験準備のために出すのは疑問であるという。しかも仮に大学に入学しても殆どの大学は国際的に要するレベルの英語教育など出来ないのが現実。なのだが、全国的には語学教育の中心となっているのはオカシイともあるのです。問題は能力でなく役割だという。多くの外国語大学では教育学や言語プログラムに重点を置く、実践的な話すとか、書くなどの訓練をしていないので拠点としての役割が無いともいうのです。
筆者の事業パートナーの妹はハノイの師範大学を出ていたけれど、特別語学が出来るという風では無かった。しかし別の同僚はハノイ外国大学を卒業して、英語、日本語、中国語を話していた。この差は何だろう?留学した経験はなく、30歳を超えAPUに入学したのは立派。またHCM市で盆踊り大会を行った際、貿易大学HCM校の学生が無償で手伝ってくれたが、もともとこの大学は日本語が話せる学生が多く、また日本文化に興味を持っていたからです。
彼らは確かに能力が高いけれど、興味があり好きだから自ら参加して日本人と話す機会を得ようという姿勢が強かった。いわゆるお受験対策で何とか英語のスコアを伸ばしたいだけでは無理がある。しかも授業料は親が出して、嫌が上でも期待に応えなければという強迫感が精神を崩壊させているのです。
このまま今の状況が続けば外国語証明書など実際の能力の証明ではなく、高額な支払いのパスポートのままになってしまう。語学取得に一体何が必要なのか。
そこで提案は、教育支出は国のシステム内にとどめる。実質的な訓練の質を向上させる。言語機関の地位を向上させる。外部の試験および研修提供者への依存を減らすこと。が肝心で教育的にも経済的にも妥当であるとしています。
英語証明書の価値を巡る論議は根本的な疑問を投げかけると紙面に掲載。英語を学ぶ目的は何、どれほどの習熟が本当に必要なのか。これはベトナムだけではなく、我々日本人にとっても外国語の習得について考える必要があるということです。さらに言うなれば、外で遊ばないで塾通いなど何処まで重要なのか。子供に過度な期待を寄せ、考え方を無視するのは成長を阻害するだけでなく、教育費支出の家計に占める負担が増えても成果を望める訳でもありません。
株式会社VACコンサルティング 顧問
(IBPC大阪 ベトナムアドバイザー)
木村秀生