ベトナムの物流事情 日本の流通・マーケティング・物流の先覚者

2021年12月8日(水)

輸出トップの電子部品などはコストが掛かっても迅速さが要求され、深夜便のカーゴを利用するが、このところ飛行機の便数は増える一方だとか。
サイゴン川やメコンの運河などでは船が活躍。だが米や農作物、砂やバラスなどの建設資材を大量に運べても所詮は水の上だけ。
こうなると陸を走るトラックに分があり、小回りが利き速くて小口配送もできるので重宝されます。だが各所にある道路通行料の支払い、検問では意味の分からない通行料とまるで封建時代。日系企業の社長はかつてこれに頭を痛めていました。何とかならへんやろか、と商工会部会では情報交換のやり取り。

またダナンの工業団地。日系企業の悩みとはダナン港は水深が深い良港、だが毎年秋に数回来る台風の季節は製品出荷が止まってしまう。顧客には納期を迫られ、ではどうするか。トラックでハノイかHCM市に運び、船に載せると話していたが費用が掛かり過ぎ。こういう事態も進出して後に初めて分かった事。
ベトナムはインドネシアに次ぐトラック大国。陸運物流量は2019年の統計では790億トン、海運が560億トン、その他260億トンとなっている。
この物流改善が今一番の課題になっています。産業の発展とサプライチェーン化がかなり期待できるようになり、国が適切に方向性を示さなければ物流改革なんてできない。企業にとっては費用と時間の節約、競争力に差が出て来ます。

こんな中、ベトナムのベンチャー企業が陸海運の効率化やデジタル・インフォメーションを提供する事業を開始し、内外の企業から注目を集めています。
この他にベトナム物流人材育成協会なるものが設立。2025年までにロジスティックサービス開発、競争力向上に向け計画を実施。年間15%成長する物流界の人材育成と質的向上を図るとあります。

・物流が停滞している

物流は経済成長のライフライン。ところが感染の拡大が激しくなった8月中頃から、オンラインショッピングに支障が出始め、今ではEMS、フェデックスにも同様の事態が発生。このほかの地場物流会社にも影響が及んで企業の物品や書類は届けられない状態が続いていると聞く。
外資企業はベトナムで事業をする際に必要な公証や書類への署名・押印が出来ないので現法社長が困っている様です。こういう書類が無ければ取引や通関が出来ない、倉庫も閉鎖されて商品発送も止まってしまう。人の流れが止まっているが経済の流れも完全にアウト。これでは何時か後遺症が出てくるのが必至。
それどころかHCMの港沖にはコンテナ船が滞留して動きが見えない。
この事態、国内に物資が入ってこないという事です。これでは製造業でなくても輸入業者の扱う材料や商品も同じで、生産、販売活動ができません。医療器材も同じ状況で、そのうちに一般消費者の生活に支障が出て来ると心配するが目途が立たないと言います。

・日本の流通・マーケティングと物流 理論と実践の先覚者

日本でスーパーマーケットが興隆し始めたのは昭和30年初期。大阪千林では主婦の店・ダイエー薬局が産声をあげ「良いものをより安く」でたちまち人気沸騰。中内功氏の「わが安売り哲学」が売れに売れ、価格決定権はメーカーでなく流通業者にあると松下電器に喧嘩を吹っかけ、この理念に消費者は喝采。
日本の小売を変えるぞ!と情熱に燃え強い志を持った人が多く、強烈な個性を発揮。ゼミの同級生も業界に飛び込んだ活気に満ちた面白い時代でした。
兄弟別れしたサカエ薬品と1社に統合したのが西の横綱ダイエー。東の横綱はセゾンG総師で小売りの魔術師・堤誠二が率いるスーパー西友。シロ、フタギ、オカダヤの地方スーパー3社が合併してジャスコ。他にも雨後の竹の子の如く全国で群雄割拠と栄枯衰勢。スーパーマーケット台頭は時代の流れ。マス小売り時代の幕開けでした。百貨店法から大店法に代わる契機にも。

この様な激動の中、二人のマーケティングの先覚者がいらっしゃいました。
一人は今年6月に逝去された林周二さん。東京大学教授などを歴任。中内さんの誼か流通科学大学で特別教授の職にもありました。この方は多くの流通業の創始者へ影響を与えたほどで、1962年日経で「流通革命」を上梓、これは僅か34日で執筆したほど力の入れ様。また、東大助教授だった1968年には「物的流通」(フィジカル・ディストリビューション)。このほか様々な流通に関する著書を出されていますが、これを初めて読み商業流通(コマーシャル・ディストリビューション)より此方がこれから大切になると思ったのが二回生の時。物流を重視した論文など殆ど無かった時代に先見の明をお持ちでした。

二人目は水口健次さん。大学を卒業した翌年1957年に市場調査研究所(現・日本マーケティング研究所)設立に参加。彼は学者の林先生とは異なり実戦派。マーケティングの権威者としても活躍されました。
法学部の出身ながらマーケティングの世界へ飛び込まれたが、後になって大学の大先輩であった事に気付いたのは誠に失礼千万な話です。
現代マーケティングの戦略とか戦術を主に、各業種・企業と消費者との接点を重視、具体的な現場の検証に基づく第一人者でした。
様々な経済本の中で、ブランド戦略とかセールス実践等が多く、営業に携わる方なら参考にされた筈。目まぐるしい動きをするマーケットで常に新しい視点と観点で市場を見る。1973年には既にエコロジーを打ち出す感覚にも優れ、現場重視主義に徹した実務派の先覚者です。
今や再々編成の時期となり、多様化の最中に老舗も凋落、合併の渦中にある。

少し後だが物流の典型例。先発業者の権益を保護する運輸省の路線免許不交付の嫌がらせに対抗。小倉昌夫氏の気骨と顧客の利便優先精神が宅配システムを完成。事業開始初日は僅か11個!クロネコヤマトの宅急便、誕生の秘話です。

株式会社VACコンサルティング 顧問
(IBPC大阪 ベトナムアドバイザー)
木村秀生