交通機関について ~遠距離バスと鉄道~

2021年5月21日(金)

日本の高速バスに関して、在住中国人女性が利用した際の状況を紹介する記事がネットにあがりました。
これに拠ると、母国で利用した時と比べ遥かに快適。またターミナルはとても綺麗で清潔だし、路線ごとに色分けされた導線があり迷わず、行き先や時刻などの情報は電子掲示板で分かりやすく表示されている。
また係員も親切で乗客も秩序正しく整然と並んで乗車するのに驚いたとある。さらに車内は美しくて座席はファーストクラスの様だったと書いてある。
高速道路でも降りられると記事を見た人も称賛しているが、確かに便利であり京都では深草、大山崎の2BT。京阪、阪急に乗り換え可能。
日本と異なり中国は国土が広大で、年に一回しかない帰省などでは飛行機や今や新幹線を使う方が便利だが、数日かけてバスで大きな荷物を抱えバスを利用することも多い。だがターミナルは大混雑で人と荷物がいっぱいで秩序がなく座席も良くないが、一番の問題は危険だとの意見。ただ新幹線が伸びバス便が減少しているとあります。

私が初めて利用したのは47年前、東京~大阪間の旧国鉄ドリーム号。昔なのでリクライニングだが、4列シート、トイレは無く途中休憩の時に利用する。夜間は眠るだけなので男は気にならないけれど、多分女性は嫌でしょう。
また28年前、最長距離だった博多→新宿を西鉄バスに乗った際は3列シート。夕方5時頃に出発し、明け方6時に到着。13時間ほどの長旅だったが、後部にトイレがあり席はカーテンで仕切られていたので快適。夜食に配られた飲物とパンは嬉しい気配り。山陽道~名神~中央道を経由。時間は掛かるが気楽で安いのが魅力、時間も上手く使えて効率的です。

ベトナムの長距離バスは、HCM市だと老舗のシンカフェやハンカフェなどが運営するバスに何度も乗りました。昔は日本から輸入した中古の公営バスを左ハンドルに改造。行き先表示はそのまんま日本語を残してあるという具合で、観光にも使用し外国人客を乗せていた。今は冷房があり座席も良く、ダラット、ムイネ、ニャチャンなどのリゾート地へも快適に行けます。
勢力を伸ばしてきて人気があるのはフォンチャン。車体がオレンジ色で清潔。テトにはリー・シー(お年玉)をくれるなど親切で路線も増えた。
これ以外にもHCM市には東と西にバスターミナルがあり、遠く北のハノイへ2000キロ・2泊3日の旅程や、中部ダナン・フエなど、南部メコンの主要都市へ路線があるが、これは正直かなりシンドイ。
注意すべきは、客集めがいて行先を書いた紙を持ち大声で客を誘導するバスもある。アジア特有の光景だが危ないのでお勧めは出来ない。
長時間トイレ休憩なしもあって、外国人女性が我慢の限界だが話ができない。代わりに伝えたが、もう少しの我慢だと停めてくれない物騒な事もありました。
今の夜行便はベッド付きが多くなった。横にはなれるが思うほど快適ではなく、バンメトー市からの帰りにはマイリン・バスの普通席にしたことがあります。
途中休憩は近年ほぼ24時間営業している施設があり、何時でも食事ができて便利だが、それだけ多くの夜行バスが運行しているというほどベトナムはバス大国なのです。
他にも幾つかの会社がありローカル路線にバス便を出しているが、ターミナルは無くそれぞれの会社の前で待ちます。規模が小さいとバスも小さく、かなり疲れる。最近は携帯電話があるので途中の路上でお客をピックアップするとか下車もできるが、これは日本だと絶対に無理。
今は分からないが以前は合作社のバスもあり、路線がない全くの地方の小さい町村へはこれしか手段がなく、これも夜便だが飛ばすは、定員は無視するはで、怖くてかなり窮屈だが満員でも断らないアバウトさがありました。
路上では早朝から乗客目当てに食事を出す店や、コーヒーなどの飲物、土産のバケットを売る店があります。だが外国人には分かりにくいし、まず乗らない。
小さくなるほどに危険度も増し、英語が殆ど話せないため外国人とトラブルになったケースも多いのです。いざ事故になっても補償は難しい。
またカンボジア編で書いたが、HCM市からプノンペン等へは国際バスが運行。
国境越えなど日本のバス旅行にはない経験するのは面白い。

・寝台列車

また中国の寝台車にも触れてあり、客は大声で話すし携帯電話も喧しく、車内はきれいでないし、臭いがした事もあったと記しています。
日本の寝台車はホテルの様だと褒めているが次々廃止され、残念ながら現在、唯一の寝台特急はサンライズ瀬戸・出雲だけとなりました。
明治33年4月に京都~山口(防府)間に運行されたほど歴史は古いのです。その時代毎に名特急、名車両が運行され、昭和の時代にはブルートレインと親しまれました。車体が青色、それまでのブドウ色から少しお洒落になったので付けられた愛称。西村京太郎のサスペンスに何度も登場します。
平成には電車型となったがかつてEF60型電気機関車に牽引され、ピューと鳴る汽笛は哀愁の音色。ガタンという連結器の音の深みと強さを感じた雄姿は見られなくなりました。
新幹線の開通以後、夜行列車も廃止なのは寂しい限り。便利さだけでなく人生の節目になった夜行急行。50年前は合宿や卒業旅行等に利用しました。
大阪~西鹿児島間、往路は鹿児島本線利用の急行・しろやま、18時間5分。
復路が日豊本線経由の急行・霧島。真夜中の駅で就職する学生が家族、友人に見送られ泣きながらの別離。東京の大学へ進学した息子に会いに行く母と対座し話したこと。人生を運び、希望を感じる光景は無くなりました。

ベトナム国鉄。最初に乗ったのがハノイ→フエ。コンパートメントの4ベッドの上段。飛行機よりも高いが満室。ベトナム人親子とお菓子などを分け合った。もう一人は日本人の奥様だった方、もう一人だそうでHCM市に帰えるがこの時一番早いS1でも42時間ほどかかったのです。
とにかく遅いが輪をかけて到着が遅れるのは常套。単線故に離合が問題なのか3~4時間の遅延は国民の常識で、待ちぼうけもありました。
駅は人生劇場の出発点であり、夜行列車は物語を生み出します。

食事は朝・昼・夜3食付き、決して豪華ではないがローカル度満点。水も配られます。窓には金網があり、これは勝手乗車をさせないため。以前は屋根に上がって無賃乗車、トンネルの入り口で頭を打ってサヨナラという事態もあったほどゆっくり走るので途中の景色を眺めるには最適。サイゴン駅まで1700キロも走るため、南下するに連れ光景がどんどん変化するのを楽しめます。
魅力が満載、鉄道の旅をお勧めします。

株式会社VACコンサルティング 顧問
(IBPC大阪 ベトナムアドバイザー)
木村秀生