現地で長期間在住している日本人の経営者が、近頃、といっても2~3年前から労働許可申請が非常に難しくなってきたとの苦言を呈しています。
日本国内で用意する警察本部が発行する無犯罪証明書とか大学の卒業証明書等々、これらを取得するだけでも時間と手間が掛る。さらに書類の公証が必要である場合もあるし、ベトナム語に翻訳した各種書類を現地の役所へ提出する。さらに指定された病院などでの健康診断書、これは流石に本人が行かなければならないけれど、実際には事務作業を会社の担当者がしてくれることが多い。しかし申請手続きを殆ど自分ですることが無く、手数が掛る面倒な仕事だとは知らないまま許可証を手にしていたのです。
20年ほど前など、それほどやかましくはなく黙認の形。新聞などにベトナムで仕事をしている外国人の半数以上は労働許可をとっておらず、おまけに給料がとんでもなく高いとやっかみ半分の記事があったことを覚えています。
しかし外国人の現地駐在者や技術者などが居なければ会社や工場は回らないのだから、目を瞑ったとしても仕方ありません。
大手企業などはしっかりしていた様だが、一応は大卒以上の学歴とか、専門職の仕事に日本で従事していたなどが条件であったと記憶している。けれど余り関心は無く、必要な職務経歴書や雇用契約書も作成され、更新時期が来ても何ら支障なく出来たように感じる。また比較的融通が利くのがこの国のアバウトな、ある意味で良い部分かもしれないが、大卒でなくてもその筋の業者で適当に申請書類を上手く書いてもらっていたとの噂話も聞き及んだことがあります。
ところがこの所この神通力が全然通用しない、かなり厳しくなったという。
要するに外国人がベトナムで仕事をできるということは、ベトナム人の能力を上回っている。あるいはそのような技術やノウハウなどを持っていないということを証明する必要があるという訳なのです。
現地で工場を建てたとするならば、雇用するベトナム人スタッフやワーカーに生産するために必要な能力や特別な技能が無く、彼らに適わないというのが本来の労働許可の条件。ベトナム人が出来る仕事をわざわざ外国人にしてもらう必要など無い、というのが基本的な考えです。当然と言えばその通りで何年も言い続け徐々に改善して来た経緯はある。これまでが違っていて、法治国家で普通にあるべき姿になっただけの話。
即ち、2000年辺りベトナムはまだ世界の最貧国のひとつであり、万年貿易赤字国。これと言える産業は自国に無く、先進工業国化を目指すも精密部品を造れないのが実情。外国企業の投資に拠り工場は建設されるが、設備や機械に原材料もない。さらに運用する人材も居ない、取り扱いも出来ない状態では何一つできないため、技術職や管理者も含め何十人も来越していたのはやむを得ない。経営や業務を行う上で一連の管理、生産や品質管理にアフターサービスにしても不可能な実態。これらを統括できる現地職員もそれほどいなかった。
今でも大学や企業で未だに技術支援をしているけれど、何れ技術者、研究者が育って行く可能性は高い。そうなると加速度が付き自立して行くのは自明の理。出来ない理由はないし、若い人材も育ってきていることに間違いありません。
しかしながら最近は、法律通りに運用し始めたとあります。こうなると多くの外国人はどれだけ条件を満たせるか。かつては20歳代の駐在員、現地採用者も多くいたけれど、もはや無理ではないかと伝えています。海外で働くのが夢、なんて単純な動機など通用しない。卒業後直ぐベトナムへ、というもの駄目。
現地で配偶者を持てば親族ビザがとれるので、滞在も労働も可能。だがこれは時の運だし、人とのご縁。計算通りに行くものではありません。とは言っても法律通りに期限内に更新出来るのか?何れにしても経験上からは分らない。
実際、これまでにもコラムにしたけれど若い世代の人の活躍は目立っています。2000年前後は海外(日本)への留学など極めて大変で、一部の人しかできなかった。大阪の総領事館では学生数も把握しているし、名前、滞在先、大学、生活状況は須らく掴んでいたが、厳しい環境下の学業生活を強いられていた。
しかし近年、本来の大学・院への留学は経済事情が向上してかなり多く、この中にはそのまま日本に残って就職。そうした人達が技術を習得、帰国して一念発起。企業を設立するなど、非常に優秀な若い人材が活躍しているのは事実。
特にベンチャー企業が注目を集めているのは昨今の傾向。IT分野での人材の質は高くなっており、こうした中には国際ビジネスの経験ある者がいて日本へ支店を開設。日本国内で開拓を行って得意先を拡大している。
特に注目すべきは語学力と、日本人には無いハングリーさ。これは大きな武器になっています。
既に2000年初めころにはベトナムへオフショアを依頼していた企業も多く、こうした企業へ訪問した事があるけれど、かなりの受注実績を上げていました。
既にこの時点で、日本の情報処理技術1級を持っている人もいたから驚きだが、例を挙げると、日本からマンションの図面を送信してもらい、パンフレットを作成するとか、各種チラシ原稿の校正等も行っていた。さらにアニメーションの作成もしている所もあったほどで、実際にはかなりの作業をベトナムの若い社員が担っていたわけだが、ほとんど知られていません。
株式会社VACコンサルティング 顧問
(IBPC大阪 ベトナムアドバイザー)
木村秀生