ベトナムの民族 文化と歴史③

2020年11月30日(月)

・チャム族の続き 豊かで智に長けた民族だった記録が残る

11世紀、李王朝に三度侵攻され一部領土を奪われたものの、ほどなく勢力を復活。1177年にはチャム族は甲冑や鉄兜を着けて、クメール帝国の王都に侵攻しました。勇壮果敢なチャム族、戦いの様子がアンコールトム・バイヨン寺院回廊の壁レリーフに描かれていて有名。だが一世紀に及ぶクメールとの戦いで国力は減速、疲弊。チャンパの勢力を低下してゆく原因となります。
14世紀には陳(チン)王朝に攻撃を掛け、ハノイに攻め入り一時は占拠するほどの勢いがあったものの、15世紀に国の勢力は衰退して行きます。
1471年には後期・レ王朝の聖宋(タィン・トン)が攻め込み。ヴィジャヤが陥落。この後チャンパは破滅の道を歩み18世紀に滅亡します。
チャム族の主要経済は農業と交易。山を熟知し、海のこともよく分かっていた民族。河川を利用して長山山脈の奥地まで分け入り、山岳民族から手に入れた胡椒、象牙、紫檀黒檀などの高級木材、香木などを扱い、日本や中国、印度、中東などと交易しました。日本では香木が珍重され京都で香にされましたが、チャム族は香を葬送の儀式に初めて使った民族とされ、実際この地は高温多湿で腐臭を避ける為に香木を焚いたのが焼香の本来の起源。日本でシキミを使う理由には毒性があり虫が寄り付かないのと同じ知恵だが時代を経て全て形骸化。
マルコポーロは1285年、チャンパ王国に滞在。豊かな国情やモンゴル帝国との関係を「東方見聞録」に書いています。
このチャム族の末裔は中部一帯に残っていて、ビントァン省ポーナガール遺跡では今も伝統的な宗教祭祀が執り行なわれています。遺跡である建造物は精緻。
高い空間がある建築技法は未だに解明されません。

・クメール族 誇り高い民族 一時はベトナム南部を支配した

メコンデルタのブナン国を滅ぼしたのは同じクメール族の「真臘」で、5世紀後半のことです。真臘はカンブジアと呼ばれ、トンレサップ湖周辺の土着民でしたが、インド人との混血を繰り返した民族だと言われ一夫多妻制社会でした。
彼らはメコン河を下り中流域に居たチャム族を侵攻、そこに王都を建設したが、この時すでにクメール寺院の建築様式と高い稲耕作文化を持っていたとされる。
しかし8世紀初頭に国が分裂状態になり、これを統一。802年にアンコール王朝を開いたのがジャヤバルマン二世です。アンコールワットを造営したスールヤバルマン二世と、アンコールトムを造営したジャヤバルマン七世の二人の御世1113年~1218年頃がクメール帝国の全盛期。北はラオス・ビエンチャンから、南はマレー半島の北部域。西はタイ・チャオプラヤ河下流域より、東は現在のベトナム南部全域を統治した位、広大な領土を誇っていました。
クメール人は芸術感覚に優れ石像や祭祀のためリンガとヨニを作り、また高度な建築技術に長けていて600箇所に石造のクメール寺院を建築しています。しかしジャヤバルマン七世の死後衰退を始め、タイのアユタヤ王朝と抗争を繰り返し、1432年に王都は陥落。爾後カンボジアと呼ばれる事になりました。
その後タイの支配を受け、ベトナムとの抗争が続くと衰退の一途を辿り、終にはフランスに植民地化された一小国になってしまいます。
元々の領土であったメコンデルタ南部には今もクメール人が多く住んでいて、クメールの伝統文化を守って生活しています。旧正月にはチョル・チュナム・タミー(Chol Chunam Thmay)という行事や独自の祭祀を継承し、クメール寺院蝙蝠寺が残され、ローカルTVもクメール語での放送と番組があります。

・モン族 戦後居場所を無くした山の民

「モン族の悲劇」という本があります。これはベトナム戦争下、山岳情報に詳しいモン族はアメリカ軍の要請に呼応して参戦。ホー・チ・ミンルートを壊滅するため、グリンベレーと戦闘服を着て山中を飛び回り、北政府軍と解放戦線を相手に戦い多くの犠牲者を出した民族です。このために戦後政権からの迫害もあって、アメリカは難民として受け入れ保護しますが、生活は一見良くなったものの、勇壮だった山の人々はアメリカの近代文化に全く馴染めなく、言葉も理解できずに孤立。仕事ができない、することが無く麻薬に溺れて暴力沙汰など多くの事件を起こし、アメリカ国内では大きな社会問題になっています。
いまでこそ政治的にはほぼ融和していますが、ベトナムに残った家族などへの仕送りは生活を潤すものの、傷跡や遺恨は深く、また引き裂かれた者の悲しみは戻らず、彼らにとってベトナム戦争は未だに終わっていません。
モン族は花モン族、白モン族、黒モン族、青モン族と呼ばれ、女性は独特の衣装を身に纏っています。モン族の刺繍は有名で、一人ひとりが工夫した刺繍を衣装に施し、上着にも派手な模様があり銀製の大きな首飾りをすするのが特長。これは祖母や母などから伝承されるもので大切に飾ってあります。スカートは裾が長く扇状に刺繍が施され、これは現代でも通用するものです。こういった山岳民族の織った生活が染込んだ本物をかつてHCM市でも比較的安く購入することが出来ましたが、今では偽物が殆どで貴重な物なので現地でしか手に入りません。手にとって確かめた事がありますが、厚い手織りのしっかり作った布で高地の厳しい気候や生活条件、労働にはかかせない必需品というのが印象。
北部山岳地ハジャンはモン族が多数住む所、中国国境に接するライチャウや、ソンラにも分布しています。ラオスにも居住しアヘンになるケシの栽培を行なっていましたが、政府が禁止し他の農作物に転換しています。

株式会社VACコンサルティング 顧問
(IBPC大阪 ベトナムアドバイザー)
木村秀生