ベトナム料理の原点と進化の歴史

2019年11月14日(木)

ベトナムは南北1650キロに及ぶ細長いS字型の国。ほぼ4分の3は山地で豊穣の収穫を約束するデルタは養分をたっぷり含んだ沖積地です。
南部・中部・北部の三地域に大きく分かれ、長い海岸線と異なる文化に厳しい気候風土、熱帯モンスーン地帯は深いマングローブの植生、肥沃な大地、高原野菜を産する玲瓏の山隗。これがバラエティーに富む料理の源泉で、天祐の恵みを余すところなく受けた国です。
ベトナムは南下して来た民族の食文化が北部紅河デルタで発達。また千年に及ぶ中国支配の影響が最も大きく、蒙古からは牛肉を食べる習慣が伝わります。
中部はチャム族のジャワを主とした海洋渡来民族の食文化。南部はクメール、タイ、インドなどのターメリックや胡椒、唐辛子、生姜、大蒜などの香辛料を使う東南アジア系民族の食文化が融合したと考えられます。さらに南下に従い、多民族間での混血、婚姻と移動や習慣等が複合して作り上げられてきた味覚なのです。
箸を使う慣習、大きな丸くて深い中華鍋を使い油で揚げ、炒める料理は一般的ですが中国からの伝来。しかしそれ程油っぽくありません。
唐に強要された仏教も大きな影響を及ぼしました。仏に仕える者は肉食が禁じられ、今も多くの人が月に一度は寺に参詣。肉食がいけない(魚類、卵も牛乳も忌避)日があり、これが精進料理コム・チャイ(Com Chay)を生み、日常ヘルシーな野菜を多く摂る要因だろうと考えられています。
明国から渡ってきた料理も定着。客家では揚豆腐の中にミンチ肉を詰めて煮込んだトマト風味のドウフー・ニョイ、湯麺にアヒルの肉入りのミー・ティット・ヴィットなどと言われます。

東チベットに源を発する雄渾のメコン河は、4ヵ国に渡って全長4100キロを滔々と流れ、遥か南シナ海へ注ぐ間、流域に那由多の土砂を運んで260万ヘクタールにも及ぶ広大なデルタを築きました。人々は多数の支流を形成することからクーロン(九龍)と畏敬の念で呼びますが、更に縦横無尽に走る運河を通じ、一面の大地へ肥沃な堆積土と豊かな水を絶え間なく供給。多くの作物の実りをもたらし世界有数の農業国に育てました。
南部はクメール帝国の領土。1679年明朝の滅亡で逃れてきた3千人の亡命中国人、ホイアンに居住する日本人などが入植して開拓が始まり。1698年にはフエの広南グエン氏はメコンデルタ流域を併合。爾後耕作地の少ない中部からの入植者が増え、開墾して私有地に変貌します。

この宝の地を狙うフランスはベトナムを植民地にし、収奪の限りを尽くしましたが100年に及ぶ支配の影響が食生活に根付いています。例えば街で店頭や行商人が売り歩くバィン・ミーと呼ぶフランスパン。このサンドイッチは腹に包丁を入れて卵、パテ、ハム等に野菜を挟みます。使われるトマトは16世紀に入って来ました。その他のクレソン、レタス、ジャガイモなども西洋からの野菜。本来ベトナム人は生野菜を余り食べずに焼く・煮る・炒め物やスープに用います。
コーヒーにもフランスの影が。超深煎りなので濃いテイスト。仕上げにバター少しを入れるので見た目艶々としたテリがあり、ブラックでも少々油が浮くのはこのため、コンデンスミルクを入れて飲みます。因みにグラインドしてある安い袋入りは砂糖キビ等を混ぜ100%ピュアではありません。素人には判別が難しく焙煎豆を買う方が安全。
ミルクにバター、チーズ、ヨーグルトの乳製品。カスタードプリンにタルト、ベーカリーで見るパンにケーキ、ハム・ソーセージも食生活の一部になっています。ラグーとはじゃがいも、人参、玉ねぎを使ったビーフシチュー風料理。
これにバィン・ミーがピッタリ合う。
ベトナム料理はまさに『越魂洋菜』。宗主国がもしイギリスであったなら、間違いなくバケットではなく食パン。コーヒーではなく紅茶が食習慣に取り入れられたことに間違いありません。

株式会社VACコンサルティング 顧問
(IBPC大阪 ベトナムアドバイザー)
木村秀生