発展途上国への支援とは

2022年9月22日(木)

ネットに京都の会社が南米パラグアイで胡麻農家を支援し、今年6月に初めて日本に炒った白胡麻が輸入された記事がありました。
胡麻は5千年の歴史があるが、栽培は難しく米や大豆の様に機械化が出来ない。このため手作業に頼るため、現在その多くは発展途上国の貧しい農家の収入源になっているとかです。
小学生のころ、祖母の旧家の中庭、莚に上に枯れた様な植物が並べてあった。何か分らずに触ってみると小さな粒がパラパラと落ちる、これが胡麻でした。こんな体験が記憶に残っているが、今の子は殆どの食品の元の姿を知りません。
パラグアイでは胡麻の栽培が33年前に日系人の手で行われていました。だが連作障害などで生産量、輸出量も2009年をピークに減少したというのです。
この国は日本が最大の胡麻輸出国だったけれど、アフリカ産に押されて生産が低迷。そこへこの会社の社長が再興を目指し技術指導や商品開発、並びに同地での胡麻食文化を後押しすることになったという次第。
日本では生産量が減少しているとかで、ベトナムにも大手メーカーが進出して胡麻の委託生産をしています。ベトナムでも胡麻を食べるし菓子もある。

京都は胡麻や胡麻油の食文化に長ける。国内産に拘り、手絞りで製造している専門店も市内の駅前にあるし、家の近くの公園にも毎土曜日にこの専門店の車が来て販売しているほど。
この会社の社長がJICAの調査で訪問したことが切掛けで、それ迄は生のままで輸出していた為、安く買い叩かれたり、農薬が微細でも残っていると購入を拒否されたりで農家は不安定な立場だった。そこで胡麻の栽培と製造方を臼と杵を提供して基本を教え、パンや焙煎機を使用して炒り方も伝授。最初は数軒だった栽培農家も数十軒に増え、安定収入に繋がったとあります。
現地では胡麻を食する習慣が無く、鳥の餌くらいにしか思われていなかったが、高い栄養素を持つ胡麻。現地の大学と協力して食育と食文化に合わせ付加価値のある書品を開発したと記されている。

もう一本記事がある。ラオスで雑草として扱われていたバタフライビー(蝶豆)
の天然色素を取り出す技術。これは滋賀県のメーカーだが新規食品加工事業に進出。粉末化して殺菌加工する特殊技術をこの植物に用い、青いチョコレートを製造。6年前に自生しているというラオスの村に行き、栽培を持ちかけたのです。だが信用しない。そこで頻繁に通って、この雑草から美しい天然の青い色素が採れることにビックリ。村人の意識が変化したという。
現在は日本や欧州に数カ月に一度、乾燥花を4トンずつ輸出されている貴重な収入源でもあります。

両社とも現地の人にとって、初めは詐欺師の様に思われたに違いありません。
見たこともないようなほぼ無から価値ある商品にできあがるのは、魔法に近いのなら当然。しかも外国人、信用できるかどうかわからない。

共通するのは一方的な支援ではなく、相手の懐に入ってこそ、何ができるのか考え、共有することが大切な要素です

・以前コラムにしたがフェアトレードの関連した話。

様々な支援の方法があり、どれが正解なのか一概に言えないが、発展途上の国には少なからず貧困層がいて様々な事情でその日の糧にも困る様な生活事情が現実にみられます。
なんとかしようと考え、現地に赴き自身のできる範囲で仕事を作り出し、それを輸出し収入を得て賃金を分配している。そこまで行かなくても何かしら貢献している方も存外に多く居らっしゃいます。ベトナムでも日本人や他国の人も居るし、それに協力してくれる人たちも国籍を問わず必ず現れるのです。
考え方も色々あって、日本にだけ製品化して送られるもののある。初めは小さな小屋の様なクラフトハウスから。次第に知名度が上がり、並行して段々高級化している。それでも日本人の苦労している人を助けたい、なんて優しい気持ちから買って行かれる。工場も大きくなり、販売もデパートとか専門店へと移って行く。こうなるともういっぱしの誰もが買える汎用品ではなくなる。
此処にフェアトレードの本来の目的から離れ、企業化していく落とし穴が潜んでいるのです。

主体は何処か、誰なのか。これが完全に隠蔽され、物語が独り歩きしてしまう。こういう危険性がある。結果として当初の純粋な気持ちが消えどんどん別事業に手を出す。こういうケースもあって大きくなるとか、利益が多く出る訳ではなく、その配分が偏り、結果として収奪の手段となる。もはや始めた時の理念や動機は消えている。

先日、ある人と話をした。海外進出を果たして事業が軌道に乗ってくる。現地で採用した人材が育ってきた。顧客も安定し業務も増大。それでも日本企業の良くない癖が出る。即ちいつまで経っても現地の人を役職に就けない。役員は日本から派遣し良い待遇で予定期間を終えて帰国。こうなると能力のある現地職員は面白くないのが当りまえ。適当な時期を見計らって如何に禅譲するか。この思考が無ければこれからの時代やって行けないかもしれない。
互いに頑張った分、株式を分割して譲渡も考える。次に何をはじめようか。
こういう考え方も面白いのでは。

・ベトナムで貧困家庭のボランティアを長くして来た。

地方からHCM市に来て、家とは言えず家財道具もないとんでもなく酷い環境で生活していた人々、学歴も手に職もない。必要なのは衣類に文具とか食品。
だが経済が豊かになるにつれ、生活状態にも変化が現れる。即ち物質的な支援は限界があってエスカレート、次第に金が欲しくなる。

借りた金銭であっても何時しか自分のモノにしてしまう。返せないのでなく、返さない。こうなると何時断ち切るのかは大切なこと。容易に相手を信じてはいけない。
自立への後押しとか、仕事を教えることは必要。しかし自分で額に汗してモノを造るのか考えない。人に頼るだけで自助努力する気が無ければ無駄に終わるだけで、ビジネスでも同じ状況にある。
人間の気持ちは何処でも変わらないというけれど、国民性とかあって、日本人は特にお人好しで親切。ところが恩に義や信で以って報いようとする考え方が出来ない人など海外にたくさん居るものです。

株式会社VACコンサルティング 顧問
(IBPC大阪 ベトナムアドバイザー)
木村秀生