北中部に投資機運 高速鉄道整備にプラスの影響も

2024年3月12日(火)

日経新聞・電子版によるとベトナムの北中部で投資機運が高まっているとある。
昨年には台湾のホンハイ精密工業も進出を決めたが、開発が遅れていたという北中部の成長は、政府が目指す南北高速鉄道の成否も左右しかねないとハノイに駐在する日経記者が書いています。
ではこの北中部と呼ばれる地域とは何処なのか。北から順番にタインホア省、ゲアン省、ハティン省、クアンビン省、クアンチ省、トアティエン・フエ省の6省だが、フエ省からベトナム三大峠のひとつであり、難所でもあるハイバン峠を越えると中部最大の都市ダナンがあります。
今ではこの峠を通らず、トンネルが日本の援助で完成しているから時間的にも短くなったが、反対に観光面からすれば美しいと言われた魅力のランコー島が見られず、山越えの面白さも半減しました。
かつてTV撮影のアテンドで、ハノイから車で一般道を道なりに進んだことがあるけれど、記事の通りこの辺りは昔から貧困地域と言われていたそのまま。この理由とは海岸線からラオス国境に接する地域までの距離が短く、耕地面積が狭いうえに、また塩の影響が強くて米の収穫率が極めて低いのです。従って学を立てるしか成功できなかったので、優秀な人材を多く輩出しました。
ホ・チ・ミンさんはゲアン省、片腕ファム・バン・ドン元首相クアンガイ省、ヴォー・グエン・ザップ将軍はクアンビン省、東遊運動指導者ファン・ボイ・チャウもゲアン省など、他にも有名な政治家がこの地から出ているのです。

・この地域の歴史を少し振り返る 日本との関係性は高い

1945年、ただでさえ米がとれない地域に起きた200万人?餓死した事件が起きています。日本軍がジュート麻を栽培するため米耕作地を変更したともいわれるが、これは完全なデマゴギーであり、フランス軍と商人が悪意をもった作戦。だが統一後は時の政府に政治利用され、学校でも日本軍の仕業として教育されたのです。だが実際にはこの地には日本軍に居た将兵が居残り、独立戦争に参加、初の軍事学校を設立するなど貢献しフランス軍に勝利します。
しかしその後、第二次大戦が終わってから現地の女性と結婚し家族を持った、いわゆる残留兵は強制的に帰国させられたという歴史があります。
戦争時には南北の軍事境界であった北緯17度、ベンハイ河を境にして非武装地帯があったのです。この地域を初めて訪れた1990年代はヒエンルン橋が残っており、大激戦地であったクアンチ省を中心に戦跡見学ツアーもあった。しかし国道一号線であっても未舗装の砂利道。さらにアメリカ軍がベトコンをサーチするためバラ撒いた枯葉剤によって山は丸はげ、ダイオキシンを含んだ井戸水を飲んだ人の子供に障害を与えたとか、孤児となった子供が多く、その施設が日本人の支援で建てられていました。また山間部には米軍基地があり、ダナンは良好であるため米軍の司令部があるため、特にこの当時南ベトナムであり、ベトナムで最も海岸線から50キロしかない狭い所があるクアンチ省、フエ省は特にテト攻勢で有名だが、激戦地ゆえに小説も多く書かれています。
この地域、特にフエ市には日本語を話せる人が多く居ます。かつては東洋一の商都と言われたサイゴンにあった、南洋学院と言う時の日本外務省が管轄した専門学校が発端。1942年~45年僅か3年間の存在でしたが、1990年に卒業生が青春を過ごした地に感謝の気持ちで設立したのが南学日本語学校。HCM市の現人文社会科学大学に次いで、1993年にはフエ師範大学内にも設立されました。さらに小学校にも日本語クラスを設けたのがフエ市で、この担当は元南学教師のK氏、最初の先生は南学出身で友人のANHさんでした。
また少し南のダナン、ホイアンはかつて日本の御朱印船が交易し、日本人町が造られ800人ともいわれる日本人が居住していました。

・有利になる条件が此処に来て多々ある

記事に拠ると人材を確保し易い、新空港建設で利便性がある、とする。さらに日本語が出来る人材は多いが、フエ大学、ダナン大学を卒業して都会に行った人達もかなりいます。優秀な女性は地元に残るが、これは日本の地方国立大学と同じで、家の事情で生地を出る事が適わなかっただけ。実際に折角の語学力などを活かせなかった人は沢山いるが、これで就労先が出来ます。
また記事にはクアンチ省で23年12月、住友商事が工業団地を造成したとあり約20社から引き合いがあるという。ダナンには日本との直行便があって、高速道路が通じるとアクセスは格段に良くなる。気候条件は厳しくが生活費などはかなり割安。だが最低賃金は?どうなるのか。ダナンはHCM市等と同様だが、人材を確保するためには極端な格差が生じては当てが外れる。またこれまでダナンの工業団地に居た人たちも経験者として採用のターゲットとして考えられるし、ダナン港を利用するとか、フエの新港を活用するとかで、物流も改善すれば工業製品の輸出にメリットが出るのは間違いない。
最も考えられるのは先の台湾とアメリカ企業の進出。まさにサプライチェーンの移転であり、北部と南部に集中していた機能が移転させられる。また筆者が思うに北部工業団地はサムソン村、いよいよ陰りが出て来たサムスンの販売高、利益ともに急落傾向。新しい産業構築にピッタリと言えるし、何よりの現政府の指導者の出身地は、記事に拠ると首相や国会議長、書記局常務など共産党の意思決定を担う政治局員の16人中6人を北中部出身が占めるという後ろ盾があるという強み。地域の存在価値はますます高くなると考えて良い訳です。
記事にはまた、計画している南北高速鉄道の件に触れ、観光客が中心とするのでは採算がとれないけれど、中部が活性化して経済やビジネスが活発になれば、ハノイとの人物往来が増えるので建設促進になるとある。
即ちかなり飛躍した論理であって、例えばハノイ~フエは約700キロもある。
これは東京~新大阪よりも距離は約140キロも長いし、経済の発展度合とか途中の主要都市がどれだけあるか、これを考慮しておらず期待感のみ。
仮に時速200キロ運転であれば3時間30分。フーバイ空港からハノイには約1時間、もちろん空港までの移動時間の分があるけれど、それでも早い。
また新幹線の料金がまだ決まっていないので、コストパフォーマンスが高いのはどちらなのか分かりません。さらにデジタル情報社会、そこまで頻繁に人の動きがあるとは考えにくいわけです。
観光に利用するとしても、高速鉄道を利用するよりも折角のベトナムの旅路、ここはベトナム国鉄ゆえのゆったりした雰囲気と車窓からの眺め、地方の停車駅での食を味わいたい。これが本当の贅沢であり、もはや日本の地方路線でさえ感じることなど出来ず、旅好きはこちらを選ぶのは世界共通。絶対にお勧めします。

株式会社VACコンサルティング 顧問
(IBPC大阪 ベトナムアドバイザー)
木村秀生